J-CAST ニュース ビジネス & メディアウォッチ
閉じる

「手足の本数3対1だからね」 二刀流パラアスリート×手足3本失った男...友達2人が語り合う本音

   20歳の時に事故で手足を3本失った山田千紘さんは、東京パラリンピック陸上日本代表で北京パラリンピックにもスノーボード日本代表で出場する「夏冬二刀流パラアスリート」小須田潤太選手と、約10年来の友人同士だ。山田さんと同じ時期に小須田選手も事故で右足を失い、同じ病院に入院したことで出会った。今や、まったく別々の場で注目を集め、活躍する2人。10年を経てお互いに何を思うのか、どんな変化を感じているか。北京パラリンピック開幕を前に、「ただの友達です(笑)」という小須田選手と山田さんが、本音で対談した。

   【連載】山田千紘の「プラスを数える」~手足3本失った僕が気づいたこと~ (この連載では、身体障害の当事者である山田千紘さんが社会や日常の中で気づいたことなどを、自身の視点から述べています。)

  • 山田千紘さん(左)と小須田潤太さん
    山田千紘さん(左)と小須田潤太さん
  • 山田千紘さん(左)と小須田潤太さん

「なんだこの生意気そうなやつは(笑)」

   ――2人はどうやって出会ったのでしょうか?

   山田千紘: 僕は約10年前の2012年に事故に遭って、手足を3本切断しました。最初の病院に入院した2か月後くらいに、埼玉の国立障害者リハビリテーションセンターに転院したら、先にこす君がいました。どれくらい違うんでしたっけ?

   小須田潤太: 俺が入院したのは10月ごろ。

   山田: 俺も10月。じゃあ本当に同じタイミングだ。年齢も1歳しか違わなくて、こす君も右足を切断していて、近いものを感じたので仲良くなっていった感じです。

   ――すぐに仲良くなったんですか?

   山田: 第一印象、言ってみますか。

   小須田: 俺にとっての山田の第一印象は...病院にいる時の山田はそれくらいしか覚えてないんですけど、病院に義足を制作する部屋があって、俺が行ったら車いすに押されながら入ってくる若者がいて、「なんだこの生意気そうなやつは(笑)」と思ったのが山田でした。ずっとグチグチ文句を言ってたんですよ。

   山田: 間違いない! 恐縮です。自分にとって、こす君はまずシンプルに「イケメンだ!」って思いました。黙々と歩く練習をしてましたね。こす君のほうが1歳上だけど、当時から考え方もしっかりしてるなあって思ってましたよ。

   小須田: 最初はどうやって出会ったんだろうね。たぶん山田から話しかけてきてると思う。俺、結構人見知りなので。自分からあんまり話しかけにいかない。

   山田: 自分、ズカズカ行くんで。同じタイミングで入院して年も近かったのって、この2人だけだったよね。だから勝手に意識して、自然に話したんだと思います。

   小須田: 入院中は同じような生活サイクルで、体育館で一緒に体を動かしたり、風呂も一緒に入ったりしたよね。必然的に仲良くなりました。

「パラリンピックを目指したらすごいだろうな」

   ――入院中のことで、印象に残っていることはありますか?

   山田: こす君はとにかく本当に運動神経が良くて。俺は筋トレでも何でも勝負したがりだから、「一緒にやってください」みたいな感じで勝負を挑んでは、毎回負けてました。

   小須田: 手足の本数3対1だからね。

   山田: いやいや、だとしても! 風呂入った時とかにバキバキの体見せつけられて「ちくしょう、かっけー」と思いましたよ。おかげで俺も本当に鍛えられました。

   ――当時から仲が良いんですね。お互いにとってどんな存在なんでしょうか?

   山田: 僕からすると、ケガした直後から一番近い存在だし、一番近い目標でもあります。こす君は全体的にステータス高めなんですよ。だから刺激をもらってました。

 ケガのレベルは違うけど、近づきたいし、できるなら超えたいし。こす君がいなかったら、自分のリハビリも「こんなもんでいいかな」って妥協してたかもしれない。でも、こす君は僕のすぐ近くで、めちゃくちゃ綺麗に義足で歩く。それを見ると「俺もまだまだできる」って燃えました。

   小須田: 今でこそYouTubeに11万人登録者がいますけど、僕にとっては変わらず「ただの友達」ですね(笑)。とはいえYouTube頑張ってるなって思いますよ。山田は昔から友達がめちゃくちゃ多いし、人当たりも良いし、可愛がられる人間。そういう長所をしっかり理解して、自分の経験を生かして、体について発信して、多くの人に届けている。シンプルにすごいですよ。自分にはできない。

   ――今お話に出たように、山田さんはYouTubeで登録者が11万人いる発信者です。そして小須田さんはパラアスリート。入院中は、お互いがこういう道を歩むとは思っていなかったですよね。

   山田: 病院にいた時から、こす君の運動神経が抜群だったのは分かっていたので「パラリンピックを目指したらすごいだろうな」って何となく思ってました。

   小須田: それで言ったら、山田が今やっていることも、本当に「天職」だなと思う。YouTuberでよく見かける「爆買いしてみた」みたいな特別な企画をやるんじゃなくて、普段の日常生活をありのまま見せることで、人の目を引き付けられる。それは山田の性格だからだろうなと思います。

僕らは「短所」を「長所」に変えようとしている

山田千紘さん(左)と小須田潤太さん
山田千紘さん(左)と小須田潤太さん

   ――そうすると、お互いに刺激し合っている感覚でしょうか?

   小須田: そうですね。お互いが自分にはできないことというか、それぞれ長所を生かしてここまで来ていると思います。良い感じに刺激し合ってますね。山田は同じ障害者で、フルタイムでサラリーマンをやりながら、これだけ発信をしてメディアにも出ている。自分も頑張らないとなって思います。でも一方で、山田の活躍はそんなに驚かないというか。山田の感じだったら、目立つのも喋るのも好きだし、良い場所を見つけたんだなと思います。

   山田: 手や足がないことって、多くの人にとって「短所」なんですよ。僕らはその「短所」を「長所」に変えようとしている。こす君がいろんなスポーツにチャレンジしていく姿がそれ。足が1本ない状態でもスポーツができる。走ってみる。走り幅跳びをやってみる。スノーボードやってみる。

 僕も手足3本ないけど、1人暮らしをやってみたらできている。料理もできる。できることが増えていくから、僕はそれを発信している。やっていること自体は特別なことじゃないけど、手足がなければ「普通やらないよね」と多くの人は思う。だから、見てもらえるんだろうと思います。

   小須田: 俺もSNSで発信しなきゃなって思います。自分たちが特殊な状況で生きているのは貴重なこと。自分は今スポーツをやっていて、結果を出してメディアにも取り上げてもらっている。そんな中、山田は自らYouTubeチャンネルを開設して、自ら発信している。すごく大事なことだと思います。

 自分自身、小学校の頃とかに義足の人と触れ合うことってなかった。義足というものを考えたこともなかった。でも、山田がこれだけ発信していれば、義足を見る子どもは増えるだろうし、感じ取ってもらえるものがあると思います。

   ――知ってもらうことが大事であると。

   山田: 手足がない人がどれだけいるかとか、どんな生活をしているかって、入院する前は全然知らなかった。手足がなくなってから知りました。

   小須田: 俺は山本篤さんの存在すら知らなかったです。

   山田: 「義足の人、義手の人で有名な人って、あんまり思い浮かばない。手足がない人なら乙武洋匡さんは知ってる」。それくらいが世間一般の認識だと思います。乙武さんも義足ではなく車いすを使っているから、僕も手足を失った時に「車いすに乗るのかな」って最初は思いました。だけど、義足で歩くことができた。

 東京パラリンピックの影響もあって、障害のある人が徐々にフォーカスされる時代になってきたけど、まだまだ知られてない実態は多いです。そうすると、発信して知ってもらうことって大事だし、自分の存在意義があると思っています。

ネガティブに見える物事も、裏返して見たらポジティブに見える

   ――知らなかったことが多かったということですが、障害の当事者になってご自身の中で変わったこと、気づいたことは、どんなものがありますか?

   山田: 僕は手足が3本なくなったので、「何も変わってない」と言ったら強がりというか嘘になる。生活は大きく変わりました。でも表面的には変わっても、自分自身の本質は変わらないかな。

   小須田: 基本的には全てにおいて不便になったんじゃない? 特に山田は。

   山田: それはそうですね、間違いなく。不便になって気づいたのは、生まれ持っていたものの大きさ。両手両足があった時にもっといろいろできたなとか、逆に片手だけでもいろんなことができるなとか。

 ほとんどの人が、自分の足で歩けるのが当たり前だと思っていると思います。自分も当たり前だと思っていたけど、その当たり前がなくなった。そして、同じように当たり前じゃない人が大勢いることも知った。自分がどれだけ恵まれていたかということに気付いたし、それがなくなったことで、もっと頑張らなきゃいけないと思いました。

   小須田: 良くも悪くも全部変わったんじゃないかな。山田も言ったように、当たり前にできていたことができなくなった。でも、それが再びできるようになることの喜びも感じられた。「できないことができるようになる」というのは、人間の喜びの本質なのかなと気づきました。

 歩けるだけ、走れるだけで嬉しい。そういう感情って、小さい頃に持っていたはずだけど、大人になってからも持っている人ってあんまりいないかもしれない。今、妻の妹の子どもが1歳で、最近歩き始めたんですけど、めちゃくちゃ楽しそうに歩いてる。それと同じ気持ちを、足を失ったことで自分が味わえているのは物凄く良いことだと思います。

 自分が今、大切にしているのは「全然楽しくなさそうなことでも、楽しいと思い込んで取り組めば、たぶん楽しくなっていく」ということ。ネガティブに見える物事も、裏返して見たらポジティブに見える。そういったことは、おそらく自分がケガをしていなかったら気づけなかったと思います。

「周りと比べる必要はない」「本気で物事に取り組んでほしい」

対談する小須田潤太さん(左)と山田千紘さん
対談する小須田潤太さん(左)と山田千紘さん

   ――気づきの多かった約10年だったんですね。そうした経験から、次の世代や子どもたちに伝えたいことはありますか?

   山田: 「周りと比べる必要はない」ってことですね。障害の有無にかかわらず、誰でも何かしらコンプレックスを抱えている人はいると思うけど、周りと比べず自分らしくいてほしい。可能性は無限大。考え方次第でピンチはチャンスに変わります。

   小須田: 俺は「足がなくても、やってみればできないことはほとんどない」ということ。あとは、「本気で物事に取り組んでほしい」ということです。自分の経験として、何の目標も持たずに生きてきて、この体になってようやく物事に本気で取り組むことの大切さを学び、視野が広がりました。好きなことでも何でもいい。「失敗したらどうしよう」と考えるのではなく、まず挑戦してほしいですね。

   ――挑戦というとまさに、小須田さんは東京パラリンピック出場から約半年で、これから北京パラリンピックに挑みます。友達の山田さんとしてはどう感じていますか?

   山田: 健常者からすれば、パラリンピックがどれだけ大きなイベントかと聞かれても、分からないところはあると思います。こす君が夏と冬の両方に出ることは、もっとメディアで発信していけたら良いなと思います。こす君がパラリンピックをさらに盛り上げてほしい。ガンガン行ってほしい。俺もSNSで自慢しますよ。「同じタイミングで入院してたんだぜー!」って。めちゃくちゃ活躍してほしいっていうのが心からの願いですね。

   ――最後に、お互いに対して今、伝えたいことはありますか?

   山田: 僕は一言。出会ってくれてありがとうございます。入院中のこともそうだし、退院後は頻繁に会えるわけじゃないけど節目節目で連絡をくれる。自分がつまずきそうになった時に背中を押してくれる。出会ってなかったらどうなっていたことか分からないですね。

   小須田: 俺は、これからもよろしく、ですね。まあ、ただの友達なので(笑)。

   山田: 出会って約10年経った今でも、切磋琢磨というか、お互い自分らしい生き方ができているのが良い関係だと思っています。こっちこそ引き続きよろしくお願いします。

(聞き手・構成:J-CASTニュース編集部 青木正典)