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鳥谷敬氏、ロッテで現役続行にかけたモチベーションは? 阪神ラストシーズンの悔い

プロ野球の阪神・ロッテで活躍し、2021年限りで引退した鳥谷敬氏が元中日・巨人の井端弘和氏のYouTubeチャンネルに出演し、引退を決断した経緯などを語っている。
  • 2013年WBCでの鳥谷氏(写真:AP/アフロ)
    2013年WBCでの鳥谷氏(写真:AP/アフロ)
  • 2013年WBCでの鳥谷氏(写真:AP/アフロ)

引退きっかけは「勝ち負け直結の場面で使われなくなった」

   阪神で04年から19年までプレイした鳥谷氏は、19年オフに阪神を退団してロッテに移籍した。当時のことを「ロッテに移籍した時からいつ辞めてもいいなという感じだった」とい振り返る。ロッテ1年目は42試合、2年目は32試合に出場していたが、次第に起用法が変化したという。最初の年は「1年やって1軍にずっといましたし、要所要所で自分が出ていく場面がチームの勝ち負けに直結する場面だった」が、2年目は

   「自分が準備する場面が試合の勝ち負けの直結する場面でなくて、誰かが出た時の代走とか点差が開いているから打席に立ってないから立っておこうか」という状況での起用が増えていた。そして1月に2軍降格が決まった時「このままシーズンが終わった時に1軍に呼ばれなかったら辞めよう」と決断し、10月31日に球団に引退の意思を伝えたと鳥谷氏は話した。

   後悔は「全くないですね。自分ができるMAXの成績と試合数だと思っているので」という鳥谷氏だが、阪神退団時にはそのような満足感がなかったのかと井端氏は問いかける。これに鳥谷氏は「最後勝負の舞台に立てなかったので。開幕する時から出られないという感じで勝負ができなかったので、そうなったらもう1回どこかで(試合に)出れる出れないじゃなくて、勝負のスタート地点に立ちたい」と話す。「それのためには阪神では無理だったので違うところを探して、可能性があるところを」と移籍先を探した経緯を振り返った。

   阪神時代の19年の開幕戦で、鳥谷氏は入団以来守っていた遊撃手開幕スタメンのポジションを新人の木浪聖也に譲り、シーズンでも74試合の出場だった。

   動画ではそのほか、阪神とロッテのメディアからの注目度の違いなどが語られた。