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初対面のコミュニケーションで「手足が3本ありません」 僕が身体障害をオープンに伝える理由

   新年度が始まると初対面の人と接する機会が増える。打ち解けるために、どんな会話をすればいいかと考える人もいるだろう。

   山田千紘さん(31)は20歳の時に電車事故で右腕と両足を切断し、両足とも義足を履いて、腕には装飾義手をつけている。そんな山田さんは、初めて会った人と話す時、手足を3本失った障害のことを自ら最初に伝えるのだという。そこにはどんな考えがあるのか。山田さん流の初対面でのコミュニケーションを聞いた。

   【連載】山田千紘の「プラスを数える」~手足3本失った僕が気づいたこと~ (この連載では、身体障害の当事者である山田千紘さんが社会や日常の中で気づいたことなどを、自身の視点から述べています。)

  • 山田千紘さん
    山田千紘さん
  • 山田千紘さん

質問は自分に興味を持ってくれている証だと思うので嬉しい

   初対面の人だと、基本的に名乗ると同時に、「手足が3本ありません」ということを伝えています。両足義足で、仕事の時などに長袖長ズボンのスーツを着ていると、僕の体がどうなっているか外見で分かりづらいんですよね。

   隠すことではないと思っているし、相手からしたら「気になるけど聞きづらい」という人もいるかもしれない。だから先に自分で触れて、会話の入口を作ります。そうすると相手も切り込みやすくなる。「なんで手足がないの?」と次の質問をされれば、「生まれつきではなく、20歳の時に事故で電車にひかれたんだよ」と伝えます。僕も話を広げやすいです。

   会話で大事にしているのはキャッチボール。自分が一方的に話しすぎたら、相手は聞くのが大変です。「そこまで聞いてないよ」と思われるのも避けたい。逆に相手から同時にいくつも質問を投げられると、僕もいっぺんに処理するのは難しい。交互にキャッチボールできるように、まず僕は最初の球として「手足がない」ことだけを伝えて、「あとは質問があればどうぞ」という気持ちで待ちます。球が返ってきたらまた話します。

   質問してもらえるのは、自分に興味を持ってくれている証だと思うので嬉しいです。答えづらいことは基本的にありません。もしそういう質問が出てきたら素直に「それは答えづらい」とか言うかもしれないけど、聞かれたこと自体は気にしないです。

体の話題を自分から振っていくと、初対面でも打ち解けやすくなる

   今の会社に入ってからできた友達に「千紘くんの障害は気にならなくなった」と言われたことがあります。そうなった理由の1つは、僕が自分の体をオープンにしているからかなと思っています。

   出会った当時も、自己紹介で僕の方から手足が3本ないことを伝えていました。「この義足と義手は外れるんだよ!」みたいなことを言ったのを覚えています。向こうも「聞いていいんだ」と思ったのか、いろんな質問をしてくれました。「義足は簡単に外れるの?」「義手は動かないの?」。聞かれたら僕も全部答えました。

   そうやって体の話題を自分から振っていくと、初対面でも打ち解けやすくなります。相手を知る姿勢と自分を知ってもらう姿勢がお互いにあれば、短時間でも距離は縮まります。そのためにも会話は大事。僕は障害が自分の個性だと思っているので何でも話すし、「体のことを話題にしていいんだ」と思ってもらえると一気に距離が近くなっていきます。

   障害に限ったことではないですが、お互いのことをよく知らないと、人は相手に固定観念を持ってしまいがちです。見た目から想像してしまうことも多いです。でも会話などでコミュニケーションを取ってみると、印象が変わることもまた多いです。

   その点、僕がこの体をストロングポイントだと思うのは、多くの人にとって忘れられない出会いになっていることです。どこの現場に行っても、再会した時に僕のことを忘れている人はほぼいなくて、「山田さんですよね」と声をかけてくれます。それは一見すると「マイナス」なこの体を、「プラス」に変えられている例だと思っています。

伝えられずにいたら、心配されるだけの人間になってしまう

   なぜこうやって積極的に体について話すようになったかといえば、事故直後の経験も関係していると思います。当時、それ以前と同じように接してくれる人もいた一方、想像以上に多くの人からファーストインプレッションで心配されました。どういう思いでの心配だったかは分からないけど、とにかくその人よりも僕の方が「かわいそうな人」になっていた。

   大きな障害なので当然といえば当然です。だけど、実際のところ僕に何ができて、何ができないかを知ってもらいたいし、それは自分から発信しないと伝わらない。伝えられずにいたら、心配されるだけの人間になってしまう。

   僕自身、多くの人が「できないだろう」と思うようなことでも、実際にできるようになったことは色々あります。自己紹介では、最初は「手足が3本ない」という外見上の話から入るけど、見た目だけでは分かりづらい部分の自分も知ってもらいたいと思って、何でも話すようになったのかもしれません。

   会話の中で「何か配慮が必要なことは?」と言ってもらえることがあります。ありがたいけど、僕がよく言うのは「みんなと同じように接してくれるのが僕にとって一番の配慮」ということです。現に身近な友達からは「特別に何かしないといけない」とはあまり思われていないし、何か配慮が必要になるのは、基本的に僕からお願いする時だと思っています。本当に必要な時は「助けてほしい」と申し出ます。

   それも全部キャッチボールです。「困ったことがある」「助けてほしい」と思っていても、自分から発信しないと分かってもらえない。何に困っているのか、どうすれば気持ち良く助けてもらえるか。相手が受け入れやすいように球を投げることはいつも意識しています。

障害そのものに対する認識も変わっていくかもしれない

   こうしたことは僕の個人的な考え方です。障害者全員が僕みたいにオープンなわけではなくて、大っぴらに話さない人も当然いると思います。あくまで僕は、出会った人に自分を知ってもらいたい、相手のことも同じくらい知りたい、と思っていたらこういう考え方になったということです。

   自分からこの体のことを話し、相手からも体に関する質問が出てくる、ということを繰り返すと、僕としては相手にとって障害そのものに対する認識も変わっていくかもしれないという感覚があります。

   僕自身、手足を失う前は障害のことを全然知りませんでした。障害のある友達もいなくて、障害について知る入口が少なかったです。この体になって初めて分かったことは数え切れないほど多いです。今は自分が誰かの入口になれれば、その人が障害を知るきっかけになれる。もちろん僕に限らず、障害のあるいろんな人と会って話を聞いていけば、その人自身のことを知ることができるのに加えて、障害への理解も深まっていくと思っています。

(構成:J-CASTニュース編集部 青木正典)