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オラトリオというジャンルで活躍したヘンデルの代表作「メサイア」(前編)

   12月になると、1年も終わり、という実感が強くなってきますね。また12月はクリスマスシーズンです。日本の年末にふさわしいクラシックというと、歳末の季節感にぴったりなベートーヴェンの「第九」が筆頭に挙げられますが、同じく、12月に盛んに演奏される曲に、バロックの作曲家ヘンデルのオラトリオ「メサイア」があります。メサイア、とは救世主のことです。クリスマスシーズンにふさわしい題材ですね。今週と来週の2週にわたって、ヘンデルと「メサイア」を取り上げたいと思います。

  • 肖像画からもエネルギッシュさがつたわってくるヘンデル
    肖像画からもエネルギッシュさがつたわってくるヘンデル
  • 肖像画からもエネルギッシュさがつたわってくるヘンデル

同じ年に、同じ中部ドイツで生まれたバッハとは交流なし

   クラシック音楽の歴史の中で、バロック時代の作曲家というと一番に挙げられるのはヨハン・ゼバスチャン・バッハですが、ヘンデルは、そのバッハとまったく同じ1685年に生まれています。生まれた場所も似ていて、ヘンデル生誕の地、ドイツ中部のハレは、後年バッハが活躍したライプツィヒから35キロほどしか離れていません。しかし、この二人は一生出会うことはありませんでした。バッハのほうからヘンデルに2度ほど面会を依頼したらしいのですが、携帯もメールもない時代、行き違いがあったのでしょうか、結局直接話すことはなかったのです。

   同い年で、同じ中部ドイツの出身で、同じ音楽の巨匠となりながら、この二人は実に対照的でした。もともとバッハは代々続く音楽家の家系だったのに対し、ヘンデルのお父さんは医師、ヘンデルが音楽家になることに反対した、と伝わっています。しかし、ヘンデルは音楽の才能にあふれ、父親の勧めに従って地元の学校で法律を学ぶ傍ら、教会でオルガニストも務めていました。そして、結局彼は音楽を選択し、故郷を離れて、北ドイツの有力都市、ハンブルクのオペラ座のヴァイオリン奏者として活動を開始します。

オペラの母国であり音楽の最先端でるイタリアへ

   そのころのドイツは、現在と違って、たくさんの領邦国家が存在する地域で、小さな宮廷がいくつもありました。音楽家は、それぞれの街の宮廷か教会に奉職することで生計をたてていましたが、宮廷の音楽事情は領主によって激しく変わります。音楽好きの領主ならいいのですが、代替わりで音楽嫌いの君主が即位してしまったり、領主がイタリア好きならイタリア系の音楽家が重用されたり、フランスびいきならフランス的音楽ばかりがもてはやされたり、と音楽家たちは政治に翻弄されました。バッハもヘンデルも、仕えていた宮廷の環境変化によって、勤務地をたびたび変えています。

   しかし、ヘンデルがバッハと激しく異なるのは、バッハが勤務地をたびたび変更しても一生北西ドイツから離れることがなかったのに対して、ヘンデルは、音楽のためとあらば、迷うことなく国境を越えたことです。語学も得意だったといわれています。

   ハンブルグのオペラではヴァイオリン奏者としてだけなく、通奏低音奏者としても―つまりチェンバロなどの鍵盤楽器でアンサンブルの「低音と和音」を受け持つ―仕事をし、オペラ作曲家としてもデビューしたヘンデルは、わずか3年でハンブルグのオペラのレベルに見切りをつけ、オペラの母国にして音楽の最先端地域、イタリアへ向かいます。イタリアの各地で、コレルリやスカルラッティ親子といった現代にも名を残す巨匠たちと交流し、オペラだけでなくカンタータやオラトリオといった宗教曲も作曲し、高い評価を得ます。

ドイツへ"凱旋"も今度はオランダからロンドンへ

   4年近くイタリアで、オルガンやチェンバロの奏者として、また作曲家として腕を磨き活躍した後、「イタリアをよく知るドイツの音楽家」として、ハノーファーとならぶ北ドイツの重要都市、ハンブルクの宮廷楽長として迎えられます。

   普通なら、以降ドイツで活躍しました...となるところですが、活動的なヘンデルは、ハンブルクの宮廷楽長に就任してすぐ、故郷ハレを皮切りにまた大旅行に出かけ、オランダ経由、ロンドンに向かいます。先進国イタリア風のオペラは、北ドイツだけでなく、遠くイギリスでももてはやされるようになっていたのでした。

   ロンドンで、「リナルド」というオペラを発表して大当たりをとったヘンデルは、なんと、ハンブルグの地位を顧みることなく、イギリスに腰を落ち着けて、活躍することを選択します。あろうことか帰化までしてしまいます。日本語の表記は出生地主義のため、ドイツ語で「ゲオルグ・フリードリヒ・ヘンデル」と記されることがほとんどですが、本当は、「ジョージ・フレデリック・ハンデル」と呼ばなければいけないのです。バッハより9年長生きして1759年に亡くなったヘンデルは、気が付けば人生の3分の2をイギリスで暮らしていたのでした。

   イタリア・オペラに強い作曲家としてロンドンに渡ったヘンデルが、なぜかの地で、代表作である傑作オラトリオ、「メサイア」を作ることになったかは来週のお話にしましょう。

本田聖嗣

本田聖嗣プロフィール

私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でピルミ エ・ プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソ ロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目CDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラ マ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを 務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。