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日韓交流事業に参加した障害者学生らが
「盲ろう者」東大・福島教授の経歴に圧倒

   公益財団法人「 韓昌祐・哲文化財団」の支援を受けた「日韓・次世代の障害者グローバルリーダー育成事業」。この事業の一環で、群馬大学の任龍在(イム・ヨンジェ)准教授を中心に開かれた「肢体不自由者の自立と社会参加」のシンポジウムに参加した学生らが、東京大学先端科学技術研究センターの福島智教授を訪ねた。

  • 盲ろう者の東大教授、福島智さん(中央)が日韓の障害者学生たちを前に挨拶に立った。左側の女性が指点字通訳者
    盲ろう者の東大教授、福島智さん(中央)が日韓の障害者学生たちを前に挨拶に立った。左側の女性が指点字通訳者
  • 盲ろう者の東大教授、福島智さん(中央)が日韓の障害者学生たちを前に挨拶に立った。左側の女性が指点字通訳者
  • 指点字通訳者は、任龍在准教授(右)の言葉や表情、引率した韓国の学生たちの雰囲気までも福島教授に伝えていた
  • 障害者で東大准教授の熊谷晋一郎さん(右から2人目)の講義で始まった。群馬県立盲学校、前橋市立前橋特別支援学校、埼玉県立行田特別支援学校の教諭らも参加した

「絶望のどん底にいました」

   福島教授は、視覚と聴覚の両方を失った障害者、つまり「盲ろう者」と呼ばれる。映画「奇跡の人」で有名なヘレン・ケラーは盲ろう者として世界で初めて大学進学を果たしたが、日本では福島智(さとし)氏が第一号。福島教授が驚異的なのは、世界初の常勤の大学教員に就いたことだ。

   福島教授は話すことはできる。だが自分の声が聴こえない。当然、相手の声も聴こえず、顔も見えない。隣に座る「指点字」通訳の介助を受けながらの語り合いになった。

   福島教授は3歳で右目、9歳で左目を失明。14歳で右耳、18歳で左耳の聴力を失った。

   盲ろう者になった経緯を話すと、学生たちは一様に驚きの表情を浮かべた。

   「盲ろう者になって、半年間は絶望のどん底にいました」。絶望から救ったのは母親が考え出した指点字だった。相手の6本の指をタイプライターのように打って伝えるコミュニケーション。そこから生きる意味を見出した。

   東京都立大学(現・首都大学東京)に入学、同大学院へ進み、みずからの障害と指点字による障害の克服を分析した論文を書き、東京大学の博士号を取得。現在、バリアフリー研究で知られると同時に、世界盲ろう者連盟アジア地域代表などを務める。

壮絶な体験に言葉が出ない学生ら

   壮絶な体験を闊達な声で語る福島教授に学生たちは圧倒されたのか、質問を促されてもすぐに質問が出なかった。

   やがて車椅子の韓国の学生が「一対一でなく、大勢の人と接する場所でもコミュニケーションは取れますか」と尋ねると、「私は今、皆さんとコミュ二ケーションを成立させていますよ」とほがらかに笑った。

   緊張していた会場の空気が変わり、質問が相次いだ。

「障害者の中にも差別があります。自分と違う差別を持つ人の辛さを想像できることが大切です」

   と福島教授が説いた。

   交流会を立案した群馬大学の任龍在准教授が、最後にこう語った。

   「自分たちとは異次元の障害を持ちながら常に前向きに生きる福島智先生の人柄に、韓国の障害者学生たちがすっかり魅了されて、不思議な体験をしました。今回の日韓交流で、留学への希望、語学への意欲も高まりました。彼らの中からグローバルリーダーが育ってくれることを期待しています」

(文・ノンフクションライター 村尾国士 写真・菊地健志)

公益財団法人韓昌祐・哲文化財団のプロフィール

1990年、日本と韓国の将来を見据え、日韓の友好関係を促進する目的で(株)マルハン代表取締役会長の韓昌祐(ハンチャンウ)氏が前身の(財)韓国文化研究振興財団を設立、理事長に就任した。その後、助成対象分野を広げるために2005年に(財)韓哲(ハンテツ)文化財団に名称を変更。2012年、内閣府から公益財団法人の認定をうけ、公益財団法人韓昌祐・哲(ハンチャンウ・テツ)文化財団に移行した。