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現代の四苦 五木寛之さんが問う90~100年を生きる覚悟

   サライ4月号の「奇想転画異」で、五木寛之さんが高齢者をさいなむ「現代の四苦」について書いている。「人生100年」と言われる時代、本来の四苦である「生老病死」より即物的な困難が四つある、というのだ。ちなみに文壇の大御所は87歳である。

「亡くなった友人の作家が書いた色紙のことを、ときどきふと思い出すことがある...〈子供叱るな きのうの自分 年寄り笑うな あしたの自分〉...たしかそんな文句だった」

   この言葉、実は永六輔さんが1987年刊の『無名人名語録』で紹介したのが初出とされており、ベストセラーの『大往生』に再録されて広まったそうだ。

   「いま若い人でも、やがて中年になり、老人になる。長いようで人生は短い。それこそ十年や二十年の歳月は、あっというまにたってしまうのだ」...こう書いた五木さんは、高齢者の最大の関心は健康問題である、と続ける。

「人生の目的などという形而上学的なテーマより、いま現在の腰痛のほうが大きな関心事であるような高齢者が少なくない」

   さらに、日本人の平均寿命が50歳に達するのは昭和の敗戦後だったとして、寿命が90~100歳に踏み込もうとする時代への「覚悟」を問いかける。

「事態の重大さについて、私たちはまだほとんど実感がない...それに対する覚悟もなければ対策もないというのが現状だ」
  • 誤嚥には気を付けて
    誤嚥には気を付けて
  • 誤嚥には気を付けて

先端医学にも頼れず

   では、現代の高齢者にとっての「四苦」とはなにか。それは老人たちが直面する困難、すなわち転倒、誤嚥、頻尿、不眠だそうだ。五木さんはそれぞれについて、どれほど厄介な問題なのかを体験を交えて説いていく。たとえば頻尿はこんな具合だ。

「一時間おきにトイレに行かなくてはならないために、コンサートや舞台を見送る高齢者は少くない。夜間の頻尿は、当然のことながら不眠の原因ともなる」

   その不眠、高齢者の宿命でもあるが、睡眠導入剤に頼りすぎるのもよくない。

「私も夜中に何度となく目覚めて、眠れぬ夜を過ごすことが少くない。不眠で死ぬ人はいない、などと医師は励ましてくれるが、そういう問題ではないだろう」

   現代の四苦は必ずしも病気ではないが、日常生活の質を低下させる。日進月歩の先端医学も、そうした日常的な不自由から高齢者を解放してくれない。そもそも先端医学は「四苦」なんて相手にしていないのではないか...そう嘆く五木さんである。

「困難を抱えたまま高齢社会を生きることは、人間にとって刑罰にひとしい...高齢化イコール苦しみであるような未来なら、私たちは決してそれを望まないだろう。泣きながら生まれてきた私たちは、せめて去るときぐらいは頬笑んで人生を終えたいと思うのだ」

「長寿の刑」に耐えて

   ベテラン作家のエッセイやコラムは、男女を問わず勢い加齢ネタが多くなる。五木さんのこの作は、寝たきりにつながる転倒、重い肺炎を誘発する誤嚥、趣味や余暇を縛る頻尿、体調全般に影を落とす不眠...以上を並べて四苦としたところが目新しい。もともとの四苦である生老病死の「老」から派生する不都合である。仏教に通じた筆者らしい発想だ。

   ほとんどの高齢者が経験する苦しみなのに、どうやら先端医学は頼りにならない。おまけに年金は先細り、医療や介護の費用は膨らむばかりとなれば、五木さんならずとも「長寿の刑」と言いたくなる。

   「年寄りを笑うな」というメッセージに始まり、長生きが不幸になる時代への憤りで終わる本作。誰に向けて発信したものかは定かでない。前半は若者に説教しているようでもあり、終盤にかけては先端医療や社会システムに文句を言っているかにみえる。

   世の老人はたいていブツブツ言いながら暮らしているので、五木さんのわだかまりも独り言に近いものかもしれない。私を含めサライ世代の読者は、そんなボヤキを著者と共有することで、新たなブツブツのたねを入手するのである。

冨永 格

冨永格(とみなが・ただし)
コラムニスト。1956年、静岡生まれ。朝日新聞で経済部デスク、ブリュッセル支局長、パリ支局長などを歴任、2007年から6年間「天声人語」を担当した。欧州駐在の特別編集委員を経て退職。朝日カルチャーセンター「文章教室」の監修講師を務める。趣味は料理と街歩き、スポーツカーの運転。6速MTのやんちゃロータス乗り。