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楽譜は何を伝えているか(1)

   クラシック音楽は、現在世界で演奏されている音楽の中でも、最も古い音楽のうちの一つです。もともとロマン派・メンデルスゾーンの時代に「少し前の時代の音楽=クラシック」を好んで演奏する習慣が出現し、それが定着したものですから「古い」のは当たり前ですが。

   しかし、そんな古い音楽が、録音技術のまったくなかった時代から受け継がれてきた、すなわち、再現性の高い演奏が可能だったのは、ほかならぬ「楽譜」があったからです。

   現在の様々な音楽ジャンル、たとえば即興性の高いジャズであるとか、その地域だけの民族音楽・・たとえば日本の邦楽などは、クラシック音楽のような「楽譜」を使っていませんが、世界共通の「楽譜」といえば、多くのジャンルの多くの作曲家や演奏家が、いわゆる欧州発祥の「クラシック音楽」の楽譜を使っています。その理由は、もちろん、近代以降、欧州がその国力を持って世界の多数の地域に影響を与えたという歴史的背景もありますが・・・世界で愛好されているスポーツなども、西欧発祥のものが多いのと似ています・・・そもそも「楽譜」が優れたシステムでなければ、広範囲な普及は難しかったでしょう。

  • グイード・ダレッツォにより発明された楽譜システムは、多少の改良を経てはいるが、1000年後の今でもそのまま使われている。写真はフランツ・リストの自筆譜
    グイード・ダレッツォにより発明された楽譜システムは、多少の改良を経てはいるが、1000年後の今でもそのまま使われている。写真はフランツ・リストの自筆譜
  • グイード・ダレッツォにより発明された楽譜システムは、多少の改良を経てはいるが、1000年後の今でもそのまま使われている。写真はフランツ・リストの自筆譜

言葉が違う地域でも同じ音楽が典礼で必要に

   現在の楽譜の原型を作った人と時代は正確にわかっています。紀元前何千年という昔から、恐らく人類は音楽を作り、演奏していたわけですから、おそらく「楽譜的なもの」は、古代の時代から存在しましたが、それらの伝統は消滅し、残っていても解読不可能で、まったくどのような音楽だったかわからないことがほとんどです。多くの著作や、絵画や、建築や、彫刻が残っていて、欧州文明の基礎となった古代ギリシャ文明における音楽も、音楽が演奏されていたことはわかっていても、どんな音楽だったかは、ほぼ解明できていません。再現演奏、というものがレコーディングされたりしていますが、古代ギリシャ人が聞いたら「なんだこの音楽は?!」と思う可能性があるのです。

   音楽は録音しない限り演奏と同時に雲散霧消してしまいますし、言葉でその音楽を「正確に再現可能な形」で記すことはほぼ不可能です。ただ、古代ギリシャの音楽に関しては、即興性の強いものだった可能性も考えられていて、その当時の人々は、あまり再現性=すなわち楽譜へ記譜する必要性を感じていなかったのかもしれません。

   楽譜が必要になったのは、どんな時か? 言い換えれば、同じような音楽を繰り返し、遠く離れた場所でも演奏することが出来るようになる必要性はどこから生まれたか? 欧州の地政学的条件が関係していたようです。EU(欧州連合)という枠組みはあっても、現在でも主権を持つ様々な国の集まりである欧州は、宗教的にはキリスト教の人が多いのに、言語や文化は国によってかなり異なります。しかし、宗教祭祀に音楽はつきものですから、いわゆる「聖歌」と呼ばれるものが、教会では国境をまたいで古くから演奏されてきました。

   教会の行事につかわれる音楽ですから、ある一定の日時には同じ聖歌を繰り返す必要があったのと、言葉も異なる異国でも、同じ音楽が典礼のときに必要になってきたのです。言葉が違う地域にも、音楽を伝える方法を。

「誰が見ても高い確率で再現可能な音楽」を記録

   1000年頃、イタリアのグイード・ダレッツォという修道士が楽譜の原型となるものを発明しました。もちろん、それ以前の記譜法を参考にしたはずですが、グイードの楽譜は、それらとは一線を画し、「誰が見ても高い確率で再現可能な音楽」を記録することができたのでした。おそらく、それまで主に口伝などで伝えられていた教会の音楽・・聖歌を、この楽譜があれば、独習で勉強することができ、若い修道士たちの教育時間の短縮にもなる、という必要性から生み出されたようです。

   次回からは、この「楽譜誕生」までの経緯と、ここで生み出された革命的な「楽譜」がどのように音楽の歴史を変えたかを見ていきたいと思います。

   楽譜は、クラシック音楽とよばれる音楽ジャンルが生まれるはるか以前に考案されていたものだったのです。

本田聖嗣

本田聖嗣プロフィール
私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でプルミエ・プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目のCDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラマ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。