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楽譜は何を伝えているか(2)

   おそらく、楽譜という「音楽を記すことが出来る」システムを持ったために、欧州発祥の音楽は世界に広がり、今我々が聴いている音楽の基礎を築いたといっても過言ではないでしょう。先週記したように、今につながる楽譜が生まれたのは11世紀、いまから1000年も前で、それは「クラシック音楽」などというものが生まれるはるか以前のことでした。音楽はまだ和音を持たず、メロディーも、その基礎となる音階が現代とは異なっているため、大幅に違う音楽でした。そんな大昔に楽譜は生まれた・・・と言いたいところですが、「音楽の歴史」のスパンから見ると、楽譜は「ごくごく最近」に発明されたものなのです。今日はそれを見ていきましょう。

  • エジプトの墓の装飾などには音楽を奏でていると思しきシーンが多く見られる
    エジプトの墓の装飾などには音楽を奏でていると思しきシーンが多く見られる
  • エジプトの墓の装飾などには音楽を奏でていると思しきシーンが多く見られる

旧石器時代につくられていた「笛」

   音楽がいつ頃から人間とともにあったか・・・もちろんこれは、それこそ楽譜が存在しなかったので、正確にはわからないわけですが、随分と古い時代からであることがわかってきています。人間がおおよそ「文明」というものを持つようになったときから、音楽は生活と共にありました。しかも、ひょっとすると、それは現代より重要だった可能性さえあるのです。現代では「音楽」というと「余暇」とか「楽しみ」とか「趣味」とか「贅沢」などというキーワードととともに語られることが多く、最近の流行語でいるとそれこそ「不要不急のもの」・・だからこそこの「コロナ禍」で世界中の音楽家は苦しんでいますが・・・・と思われがちです。

   ところが、いま発見されている範囲内で最も古い楽器・・・・それは動物の骨で作った笛、つまり管楽器なのですが、おおよそ紀元前4万2000年から3000年頃に作られたものとされています。人類史でいうと「旧石器時代」にあたり、こんな古い時代から、人間は楽器を作って音楽を奏でていた可能性が高いのです。そして、それらは、文明の痕跡が残る「洞窟」から発見されていて、生物的には外敵の攻撃に弱い人間が、洞窟に隠れてその中に生活拠点を作っていたことを指し示しています。これらの楽器は洞窟の中でもっとも音響のよい場所近くで見つかっており、我々の祖先は、洞窟の中で楽器の響きを聴いていた可能性が高いのです。

   しかしそれらは我々が現代の尺度で言う「演奏」が目的だったのではなく、おそらく暗闇の複雑な洞窟の中で、音を頼りに・・ちょうどコウモリの超音波利用のように、・・移動していたのではないか、と推測されています。「余暇」どころか音楽は、複雑な洞窟に隠れる生活に欠かせない道具であり、命に関わる重要な必要なものだったのです。

   たしかに、農耕を始める以前の狩猟生活の時代、動物を追ったり捕まえたりときのにも「獲物や襲ってくる外敵の音を聴く」ことは有用な手段であり、言葉こそ原始的なものを使っていたかもしれませんが、ひょっとしたら、生活がかかっているだけに、旧石器時代人の「耳」は、はるかに現在の我々より鋭敏だった可能性さえあります。一方で文明、というとすぐに「言語」とか「神話」とか「文学」を考えてしまいがちですが、古代の人間にとって、言葉以前にいろいろな情報を運んでくれる「音楽」=音の連なりが、もともと重要で、音の高さや強さやリズムを聞き分けることによって耳が鍛えられ、それをニュアンスとして取り入れた「言語」が発達した、というのが本来の順序かもしれないのです。言葉より以前に音楽が重要なものとしてあった・・・もちろん、これは想像に過ぎませんが。

エジプト文明でも楽譜はなかった

   それほど、音楽というのは人間の古い歴史から登場していますが、音の連なりである音楽がすでにあるのに、まだ楽譜は姿を表していません。つまり、楽器は発掘されても、楽譜らしいものはなかなか遺跡から見つからないのです。もちろん、紙などの使いやすい記録手段が発明されるはるか以前、ということもありますが、音楽を誰にでもわかりやすく、それさえあれば再現演奏できる、という楽譜的なものが、必要とされていなかったとも考えられています。

   時代はぐっと近くなって・・・といってもまだまだ紀元前3100年ごろ~紀元前670年頃ですが、いわゆる世界四大文明の1つ、古代エジプトでは、どうだったでしょうか?

   農耕によって食料供給が安定し、定住生活が出来るようになってくると、貧富の差があらわれ、次第に権力構造が生まれます。そうすると、いわゆる文化や文明と呼ばれるもの、・・・人々を統治するための法を記したり伝えたりする言語や、統治権力の権威を高めるための音楽が重要になってきます。宗教祭祀や、大勢による舞踏といった「豪華さを見せつけるもの」には音楽が欠かせないのは現代でも同じですが、エジプトの残された墓碑銘などを見てみると、4分の3ぐらい・・つまり、かなり多く、楽器などの音楽関係の記録がみつかります。

   古代エジプト人の生活にとって、音楽は欠かせないものになっていたといえましょう。あの巨大なピラミッドやスフィンクスを生み出した古代エジプト文明ですから、さぞかし音楽も豪華だっただろう・・と思わずに入られません。楽器奏者や歌の奏者といった「演奏家」もたくさんいたはずです。

   しかし、ここでも「楽譜」らしきものは見つかりません。四大文明の他の文明や、シュメールなどのそれ以前の文明の遺跡を探してみても、いわゆる「ある程度の長さの音楽を、その演奏を全く聴いたことがない人に、ほぼ正確に伝えることのできる」という機能を持った現代の「楽譜」のようなものは、まったく発見されないのです。楽器の演奏法を解説しているらしい記録はメソポタミアなどでも発見されていますが、それはあくまで「演奏法」の記録で、音楽そのものを記した「楽譜」ではないのです。

   次に、エジプト文明より少し後に栄え、「音楽」を大変に重要視した古代ギリシャ文明を見ていきたいのですが、これはまた次の回にしましょう。

本田聖嗣

本田聖嗣プロフィール
私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でプルミエ・プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目のCDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラマ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。