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いつもと違う初夏 八木健介さんはコロナに待たされたアユ解禁に想う

   「つり人」7月号の巻頭言「釣流潮流」で、同誌編集長の八木健介さんがシーズン到来となったアユ釣りへの想いをつづっている。コロナに待たされた初夏である。

   つり人(つり人社刊)は終戦直後(1946年)に創刊された、つり専門誌の草分け。2015年から編集を取り仕切る八木さんは釣り歴25年とのことだ。

   「本稿を書いているのは5月の半ば。ここ1週間ほどで陽射しは驚くほど強くなり、日中もかなり暑くなった」...この冒頭、プライベートでも取材でもいいから釣り場に出たい、という渇望が見て取れる。やり場のない悔しさと怒りが行間に滲む。

   ご多分に洩れず、この号もテレワーク中心の編集作業になったようだ。スタッフには共働きが多く、子どもがまだ小さい家庭は親のどちらかが在宅することになる。

「通勤時間はなくなるが、その分、家にいればいたでやるべきこともある...毎日のように家にこもって課題をこなしている子どもの姿を見るにつけ、改めて思ったのは、学校という場所が、けっして勉強をするためだけの空間ではなかったという当たり前のことだ」

   学校に行けない子を見て、学校の価値を知る。欠けた部分は親が補うしかない。

「自分にできることといえば、思春期の娘であろうと遠慮なく、近所への散歩に誘うくらいのことなのだけれど、校庭で身体を動かし、仲間とたわいもない話ができて、おじいちゃん・おばあちゃんにも会いに行ける日が戻ってほしい」
  • 早くアユに会いたいけれど
    早くアユに会いたいけれど
  • 早くアユに会いたいけれど

新たな釣りマナー

   もちろん八木さん自身がいちばん会いたいのは、魚たちだろう。話はここから、各地で解禁時期を迎えたアユ釣りに移る。この7月号も表紙から特集まで、アユアユアユである。

   外出自粛の影響で、解禁日を遅らせた漁協があるそうだ。解禁されても「時節柄」、釣果情報を公表しない漁協も少なくない。また、政府の専門家会議が示した「新しい生活様式」に即したお願いをホームページに掲げるところもある。

   八木さんによると、たとえば高知の物部川漁協では、「三密」回避やマスク着用などの基本マナーに加え、県外からの来訪は遠慮してもらい、オトリ店(友釣りに使うオトリのアユを売る店)に長滞在しないよう、つり銭なしの金額を用意してほしいと要請した。

「まずはこうした新しいマナーに、私たち自身が積極的に協力する。それによって、第2波、第3波の予防策をしっかりと続けることが、たとえばアユ釣り自体がシーズンの途中で打ち切りになってしまうような、最悪の事態を避けることになる」

   まずは生活で、アユどころではないという釣り人も多いだろう。そうでなくても、高知の漁協が釣り人を県内に限ったように、遠出の釣りはまだ難しいかもしれない。

   じりじりする読者の思いを代弁するように、八木さんはこう結ぶ。

「私たちにとって、川は単に魚を釣るための場所ではない。そこに立つことで得られる心身の健康がある。それは忘れずに、この難しい時を乗り越えて行きたい」

失くして知る価値

「豊かな老後のために、室内と屋外に最低ひとつずつ、一生ものの趣味を持とう」

   そう語ったのは多趣味で知られた大橋巨泉(1934-2016)だ。彼も嗜んだ釣りは自然を相手にするレジャーの代表格で、テニスや野球のように屋内に置き換えることはできない。外出自粛に従った釣り人たちは、2カ月近くを無駄にしたことになる。

   釣り場は、筆者が言うように魚を獲るだけの空間ではない。川も海も湖も、そこに立つことで「心身の健康」を得る場所なのだ。コラム前半にある「学校という場所は勉強するためだけの空間ではない」という気づきが、伏線になっているのかもしれない。なるほど、学校も釣り場も、それを失って初めて知る価値があろうというもの。

   八木さんは版元の自己紹介欄で、いちばん幸せなのは「工夫や粘りや上達が形となって釣れた時。最近は釣った魚をさばき、食べた子どもたちが喜ぶ姿」としている。

   学校と釣り場。八木さん親子はそれぞれ、居るべき場所に戻っているだろうか。

冨永 格

冨永格(とみなが・ただし)
コラムニスト。1956年、静岡生まれ。朝日新聞で経済部デスク、ブリュッセル支局長、パリ支局長などを歴任、2007年から6年間「天声人語」を担当した。欧州駐在の特別編集委員を経て退職。朝日カルチャーセンター「文章教室」の監修講師を務める。趣味は料理と街歩き、スポーツカーの運転。6速MTのやんちゃロータス乗り。