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山に憧れて 小川糸さんはベルリンから戻り、澄んだ水と空気を探しに

   NHKテキスト「すてきにハンドメイド」4月号の新連載「寄り道だらけの山小屋日記」で、小説家の小川糸さんが山への憧れとこだわりを記している。

   前から好きだったというベルリンで暮らしていた小川さん。コロナのこともあってアパートを引き払い、日本で新たな住まいをゼロから探すことにした。条件は「山で暮らす」こと。連載はその顛末を綴るものらしい。

「自分の人生は、もういつ終わっても後悔することはないだろう。そう思っていた。この人生で、素晴らしい友人たちに出会えることができたし、愛する家族を得ることもできた。物語を書くことで、多くの読者と深く関わることもできた」

   この書き起こしに「あら、そんなお年だったかな」と思った。人生論はこう続く...

「酸っぱい経験も甘い経験も、両方とも存分に味わった。だからわたしは、自分の人生に心から満足している。もう、十分に生きたという自覚がある」

   ここまで読んでたまらず、彼女の経歴を確認した。今年で「まだ」48歳である。酸いも甘いも経験して十分に生きたなんて、私のように60過ぎの述懐でしょう。

   そう思いつつ読み進む。小川さんは「けれど、自分の命の長さを自分で決めることはできない...ならば、まだやったことのないことをしてみよう」と書いている。なるほど、そこにつなぐ冒頭だったのか。話は、憧れつつも未経験だった「山暮らし」へと展開する。

  • 八ヶ岳の美しい風景
    八ヶ岳の美しい風景
  • 八ヶ岳の美しい風景

自然のそばで

   2年半ほど暮らしたベルリンは、「都市でありながらも緑が多く、人々も自由で活気があり、わたしにはうってつけのオアシスだった」という。

   帰国して、気候的にも文化的にも、ベルリンと近い感覚で暮らせる場所に思いを巡らせた小川さん。浮上したのが八ヶ岳山麓だった。そもそも、なぜ「山しばり」なのか。

「自然のそばに身を置きたいという願望は、以前から燻っていた。年齢を重ねるにつれ、水と空気がいかに重要であるかを真剣に考えるようになった。単純に、水と空気がきれいな場所に住みたい。アスファルトやコンクリートではなく、土の上を歩きたい」

   小川さんの気持ちを山に向かわせたのは、そんな「原始的な欲求」だという。とはいえ、山で暮らすとなれば体力も気力も要る。

「山暮らしの基礎を築くのにだって、何年もかかる。人生後半からの五年や十年、あっという間に過ぎてしまう。ならば、いまから始めなくては間に合わない」

   ここで冒頭の、やや大仰な、老成した人生論が活きてくる。人生半ばを過ぎて新しいことに挑む場合、とかく時間がかかるのである。

   「2020年晩秋、わたしは『あずさ』に乗って八ヶ岳へと向かった。最初は、山の中の集合住宅を見るためという、軽い気持ちからだった」...連載の初回はここで終わる。

   一話完結ではなく、どうやら現在進行形の、長い物語になるようだ。

リモート時代に

   海か山、どちらかを選べと言われたら海派の私だが、山に抱かれた生活の魅力は想像して余りある。山には緑がもれなくついてくる。稜線を出入りする太陽や、陽光に反応して刻々と移ろう山肌。そこを、春夏は花、秋は紅葉、冬は雪が彩る。

   小川さんは「目の中に、美しい景色を入れて生活したい」という。同じことを考える人は多いとみえ、私の友だちにも退職後に安曇野(長野県)や清里(山梨県)に移住した人がいる。文筆業をはじめ、対面でなくても成立する仕事は居住地の自由度が高い。

   リモート勤務が一気に拡大したコロナ時代、山(海)暮らしは生き方のトレンドになるかもしれない。

   ところで、掲載誌は裁縫や手芸など小物中心のテキストである。連載タイトルにある山小屋がそれにどう絡むのか、まったく絡まないのか。まさか小屋をハンドメイドしてしまったのか。もろもろは次号を待つしかない。巧い初回だと思う。

冨永 格

冨永格(とみなが・ただし)
コラムニスト。1956年、静岡生まれ。朝日新聞で経済部デスク、ブリュッセル支局長、パリ支局長などを歴任、2007年から6年間「天声人語」を担当した。欧州駐在の特別編集委員を経て退職。朝日カルチャーセンター「文章教室」の監修講師を務める。趣味は料理と街歩き、スポーツカーの運転。6速MTのやんちゃロータス乗り。