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球史に残る「10.19」 激闘の主役「ロッテ」と「バファローズ」今季は優勝争い

   プロ野球のパ・リーグでは首位千葉ロッテマリーンズと、0ゲーム差で2位オリックス・バファローズが優勝争いの真っただ中だ。

   「ロッテ」と「バファローズ」は33年前のきょう10月19日、球史に残る激闘を繰り広げた。2位の「近鉄バファローズ」と、最下位「ロッテオリオンズ」のダブルヘッダー(1日2試合開催)だ。野球ファンの間では「10.19」と呼ばれている。

  • ロッテの本拠地は10.19当時の川崎球場から、1992年に現在のZOZOマリンスタジアムに
    ロッテの本拠地は10.19当時の川崎球場から、1992年に現在のZOZOマリンスタジアムに
  • ロッテの本拠地は10.19当時の川崎球場から、1992年に現在のZOZOマリンスタジアムに

最終戦、最後の最後で

   ロッテの当時の本拠地・川崎球場(神奈川県)で行われた2試合。首位は西武(現・埼玉西武)ライオンズだった。近鉄はダブルヘッダーで連勝すれば逆転優勝。1試合でも引き分けか敗戦なら、その時点で西武の優勝が決まる状況だった。

   20年8月6日付文春オンラインによると、普段なかなか満員にならない川崎球場も、「10.19」ばかりは「3万人の超満員」で埋め尽くされた。

   第1試合は3対3で9回表に突入。ここで点を取れなければ、近鉄は優勝チャンスを失う。この時のダブルヘッダー、第1試合は延長なしと規定されていたからだ。

   2死二塁の局面、打席に代打の梨田昌孝捕手が立った。20年5月9日付スポニチアネックスによると、梨田選手がこの日を最後に現役引退すると知っていたロッテのリリーフ・牛島和彦投手(当時)は、敬遠を選ばずに勝負を決断。梨田選手にとって現役最後の安打となる適時打を放ち、これが決勝打に。近鉄は辛くも4対3で勝利した。

   第2試合は近鉄にとってシーズン最終戦。またも4対4で9回裏に。攻撃を終えた近鉄は延長に望みを託して守備につくが、ここでひと波乱。二塁で起きたクロスプレーを受けて、ロッテの有藤道世監督が近鉄側の走塁妨害を主張したのだ。この抗議で試合は9分中断。ルール上、試合開始から4時間経過後は9回以降新たなイニングに入れない。21年5月20日付ベースボールオンラインによると、「球場は有藤監督へのヤジが飛び交う殺伐とした雰囲気」に。

   10回表も近鉄は点が取れず、10回裏ロッテの攻撃開始時点で試合は3時間57分が経過していた。11回への延長の可能性は潰え、4-4でゲームは終了。最後の最後で、近鉄は優勝を逃した。

   試合はテレビ朝日系で中継された。「1988年のパ・リーグ」(山室寛之氏著・新潮社)によると、18時からの子ども向けバラエティー番組の中などで随時放送していたが、局には中継続行を求める声が殺到。最終的には21時放送のドラマを延期・中止とし、22時の「ニュースステーション」も、野球の放送が続いた。

中継見てなくても知ってる

   当時を知る人々に取材した。首都圏に住む50代男性Aさんによると、テレビでパ・リーグの野球中継が今ほど充実しておらず、両球団にはあまり親しみがなかった。ただ外出時に流れてきたラジオ中継で試合の白熱ぶりを知り、自宅で続きを聞こうと帰宅。テレビで中継されており、ゲームを見届けた。「試合自体にドラマ性があり、手に汗握る攻防でした」。

   50代男性Bさんは、生中継を見たわけではないが、当時の報道などで試合の盛り上がりは知っていると話す。またダブルヘッダーで最終戦の2試合目にまで優勝決定がもつれ込むことは珍しいため、記憶に残っているとのことだ。「野球ファンに限らず、ある程度の世代ならみんな知っている試合なのでは」と評した。

   西武ファンだったという60代男性。当時はほとんど西武の試合しか見ておらず、「10.19」の試合は記憶にない。ただ、川崎球場については「いつも客が少なく、外野席で横になれるほどでした」と振り返った。