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上海蟹の季節 土田美登世さんは胸を痛めつつ蒸籠を見て全て忘れる

   dancyu 11月号の「いまどきの旬」で、食ライターの土田美登世(みとせ)さんが上海蟹を書いている。折しもコロナが下火になったいま、食べに行きたくなった。

「上海蟹の季節である。お待ちどおさまでした。この時季だけの味わい方を、炒め物にしようかスープにしようか、あるいは酒漬けにしようかと悩むところだが、最もポピュラーであり、上海蟹の醍醐味が味わえるのは『蒸し上海蟹』だろう」

   正式には中国藻屑ガニ、その旬は秋から年末まで。青緑色の甲羅が、加熱すると鮮やかな柿色に変わる。蒸す以外の調理法では、生のまま老酒などに漬けた酔蟹(スイシエ)や、内子(卵)を小籠包の餡に練り込むなどの手法がある。

「緑灰色をした手のひらサイズのぷっくりした生きた蟹が、暴れないようにと江戸の罪人のように十字に縛られていてちょっと胸が痛むのだが、食卓に大きな蒸籠が運ばれてきたらたいていもう忘れている(ごめんね)」

   本場では、赤く蒸し上がった蟹を小槌で割り、甲羅を手ではがしながら蟹ミソごと豪快に味わう。脚は関節で折り、別の脚の先端を使って身を押し出すらしい。

「針生姜と黒酢が添えられているので、これをつけながら身を食べることをお忘れなく。中国の漢方では蟹は体を冷やす食べ物とされ、体を温める黒酢や生姜を一緒に食べるのがいいという考え方があるからだ」
  • 上海蟹の季節
    上海蟹の季節
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盛りは雄雌とも11月

   上海蟹にも当然、オスとメスがある。水が冷たくなる9月下旬から身が締まり、土田さんによると、内子を抱えたメスは10~11月が食べごろとされる。11~12月にはオスも味わい深くなる。身については、あっさり味が好みならメス、ねっとり味がよければオスといわれる。いずれにしても秋の味覚、11月上旬はどちらも旬ということだ。

「迷うならどちらも食べたらいいということで、李梅庵という中国の昔の書家は一度に百杯食べて『百蟹仙』というあだ名がついた逸話を持つ」

   モクズガニの仲間は生命力が強く、世界中に生息する。そのうち上海蟹と呼ばれるのは蘇州市の陽澄湖などで育ったものだけという。陽澄湖産は国際ブランドとなっており、別産地で育ったものを陽澄湖近くの養殖池に浸けただけのニセモノも出回るらしい。

   体を冷やすもの、温めるものという区別は漢方や薬膳の考え方だろう。上海蟹ほどのごちそうになれば、冷やすのも温めるのも後づけの理屈で、ただただ美味いからむさぼっているように思う。それでも土田さんはお約束通り、こんなふうに結んでいる。

「合わせる酒も、ご近所の紹興市の酒がいい。冷やす蟹に対して体も温まる」

食レポも読みたい

   どれほど名高い食材や料理であろうと、それ「単品」で随筆を組み立てるのは難しい。すでにベテランの域に入った土田さんは手慣れたもので、旬を迎えた上海蟹の周辺を、雑学を織り込みながら過不足なくまとめている。

   土田さんが初めて食した上海蟹は、東京・大門の新亜飯店だったという。小籠包と共に、その美味しさに「衝撃」を受けたそうだ。私が上海蟹を初めて味わったのは、六本木の中国飯店だったと思う。オスだったかメスだったか覚えていないが、肉より蟹ミソを味わうという「大人の食べ方」を知った。もちろん美味かった。

   めったに食べないものだから、できれば「食レポ」の部分も読みたいのが人情だ。今年が間に合わなければ、昨シーズンまでの経験でもいい。どのあたりが濃厚で、毛ガニやズワイガニに比べてどうなのか、プロの筆致で伝えてほしかった。

   上海蟹の唯一といってもいい問題点は、珍味の宿命として値が張ることだ。旬ほど高価になるのは高級食材の証拠だろう。ネットで有名店のサイトをざっと巡ったところ、姿蒸しは大きさにもよるが1杯3000~5000円というところである。

   散財で一気に冷える懐は、安めの紹興酒で埋め合わせるしかない。

冨永 格

冨永格(とみなが・ただし)
コラムニスト。1956年、静岡生まれ。朝日新聞で経済部デスク、ブリュッセル支局長、パリ支局長などを歴任、2007年から6年間「天声人語」を担当した。欧州駐在の特別編集委員を経て退職。朝日カルチャーセンター「文章教室」の監修講師を務める。趣味は料理と街歩き、スポーツカーの運転。6速MTのやんちゃロータス乗り。