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雪の思い出 室井滋さんが語る半世紀前の故郷富山は...温かい

   女性セブン(2月17-24日号)の「ゆうべのヒミツ」で、室井滋さんが故郷の雪について書いている。身辺雑記のドタバタが持ち味の人気連載だが、今回は幼少時の原風景をしっとりと、情感を込めて描く。せっかくの文才、こんなタッチもたまには読みたい。

「冬になると思い出す光景がある。そう、ちょうど今頃の時期。今年よりも、もっともっと夥(おびただ)しい雪が、私の故郷富山では降った」

   室井さんの生地は富山県滑川市。立山連峰の眺望で知られるが、山間部ではなく、国道沿いの実家から100mも行けば富山湾が望めたそうだ。

   家は中心街にあり、通り沿いに銀行、郵便局、銭湯、医院、美容室...八百屋も肉屋も魚屋もあった。さらには洋品店や文具に玩具、時計や貴金属を扱う店、いろんな飲食店が並び、少し先にはホタルイカ観光の乗船場や映画館もあったという。室井さんの実家も、塩やタバコなどの専売物を商う個人商店だった。

   今と違い、それだけの街にも融雪装置なんてものは無い。大雪になると、大通りの路面レベルがせり上がり、どの家も1階が埋もれてしまう。埋もれたままでは商売にならないので、高くなった路面から玄関へと降りる「雪の階段」を自力で造るのが習いだったらしい。

「もう車やオートバイ、自転車の類(たぐい)は完全にアウト。全ては背中に背負ったり、ソリに載せた箱を使って用を足していたっけ...」
  • 何もかもが埋もれてしまう
    何もかもが埋もれてしまう
  • 何もかもが埋もれてしまう

二階の窓が玄関に

   室井さんら子どもたちは「何だか違う街になったようで、楽しくて仕方なかった」という。同世代ながら静岡育ちの私の想像を超える、白い世界である。

「それでも私達が冬の暮らしに困らなかったのは、あの小さな街の中に、取り敢えず生活に必要なものが詰まっていたから。街全体が大きなかまくらの中にスッポリ包まれているカンジで、私達はその中でぬくぬく幸せに冬眠している気分だった」

   間断なく降り続く大粒の雪を眺めながら、室井さんは祖母や母親に聞いたという。

〈もっともっと雪降って、あの階段が使えなくなったら、学校休んでもいいがけ?〉...子どもたちが考えることは、今も昔も、東京でも地方でも変わらないようだ。聞かれた祖母や母は苦笑いしながら、首を横に振る。〈な~~ん、もっと雪の酷い村からも皆来るんやから、絶対に休んだらダメやちゃ。2階から出してあげっから〉

   実際、いよいよの時は上階の窓が「非常口」になった。そこから戸板を渡し、すっかり高くなった雪道へと飛び出し、登校したそうだ。

「何とも原始的な雪の日々であったが、今想えばあんな楽しいことはなかったと胸がいっぱいになるのであります」

お国言葉が効果的

   濃淡はあろうが、生まれ育った土地へのノスタルジーは万人共通だと思う。室井さんのこのエッセイも、雪景色の中にあった2月の故郷を懐かしみながら淡々と綴る。

   本作のカギになるフレーズを一つ選ぶなら、「小さな街の中に、取り敢えず生活に必要なものが詰まっていた」というくだりだ。そんな世界を、冷たくて温かいという意味で「かまくら」に喩えたセンスにも敬服した。冬の街のぬくもりは、地域の濃密な人間関係に由来し、入り込まなければ実感できないものなのだろう。

   「古き良き故郷」を演出するうえで、祖母や母との短いやりとりに登場する富山弁は効果的だ。気候とお国訛りは、地方を地方たらしめる重要な要素である。土地の言葉はこの半世紀、全国どこも標準語にすっかり浸食されているだけに、読者が馴染みのない言葉でも、いや、なじみがないゆえに懐かしさを覚えることになる。

   「白魔」という表現があるように、雪は日常生活にとって憎いやつだ。降って喜ぶのはワンコと都会の子どもだけかと思っていたので、室井さんが「楽しい」と回顧したのは意外だった。確かに、積雪による不便は大人がなんとかしてくれる。物心ついて5年やそこらの小学生なら、雪はまだ非日常の「風物詩」だったのかもしれない。

冨永 格

冨永格(とみなが・ただし)
コラムニスト。1956年、静岡生まれ。朝日新聞で経済部デスク、ブリュッセル支局長、パリ支局長などを歴任、2007年から6年間「天声人語」を担当した。欧州駐在の特別編集委員を経て退職。朝日カルチャーセンター「文章教室」の監修講師を務める。趣味は料理と街歩き、スポーツカーの運転。6速MTのやんちゃロータス乗り。