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ヤフー「中国撤退」本当の理由 アリババと提携後も不発、存在感なかった

   米ヤフーが2022年2月28日、中国本土在住者向けのメールサービスを終了した。この日をもってヤフーは中国本土から完全に撤退し、どのサービスにもアクセスできなくなった。

   ヤフーは昨年11月1日に中国撤退を発表し、傘下のデジタルニュースサイト「Engadget中国版」も停止。その理由を「事業と法的環境が一段と厳しくなっているため」と説明していた。中国政府は同日、個人情報の海外への持ち出しを厳しく制限した「個人情報保護法」を施行するなど、メディアやIT企業への統制を一段と強めている。

   ただ、中国当局がネット規制を強化しているのは事実にしても、ヤフーが撤退した本当の理由は、中国で存在感がほとんどなかったからであり、ネット規制は「口実」だろう。

   ヤフーは1990年代に中国に進出したもののシェアを伸ばせず、ネットではヤフーがまだ中国でサービスを続けていたことに驚く声も少なくなかった。10~20代は「ヤフー」という名前を知っているかも怪しい。ヤフーの中国での25年を振り返ってみたい。

  • 北京の地下鉄構内に掲示されていたヤフーチャイナの広告(2006年2月18日)(写真:AP/アフロ)
    北京の地下鉄構内に掲示されていたヤフーチャイナの広告(2006年2月18日)(写真:AP/アフロ)
  • 北京の地下鉄構内に掲示されていたヤフーチャイナの広告(2006年2月18日)(写真:AP/アフロ)

米国サイトを中国語に訳しただけ

   1994年にサービスを開始したヤフーは法人化を経て、96年に米ナスダックに上場、99年9月に中国に進出した。

   当時の中国は世界貿易機関(WTO)加盟前夜で、インターネットの普及も米国に比べると遅れていた。ヤフー共同創業者のジェリー・ヤン氏は、ヤフーブランドをもってすれば簡単に市場を取れると考えていた節がある。

   だが翌2000年には中国検索ポータルで、2022年現在も影響力を持つ「搜狐」「新浪」「網易」が相次ぎナスダックに上場。米国のサイトを中国語に訳しただけのヤフーに対し、これら中国企業は国内の注目事件をニュースで配信するなど中国人のニーズに応え、ネットユーザーの増加とともに右肩上がりで成長していった。

   ヤフーは1990年代末から2000年代にかけて積極的に海外に進出したが、比較的成功しているのは台湾と日本だけだった。両国とも現地の有力企業との協業やM&Aによってポータルサイトを運営していたことから、ヤフーは2003年に中国ITベンチャーの「3721」を買収し、その創業者だった周鴻イ氏を中国事業のトップに据えることで、中国事業をてこ入れした。

   周氏率いるチームは、メールと検索サービスを重点的に強化。ヤフーチャイナは1年で黒字転換するとともに、グーグルと網易を抜いて中国2位に浮上した。しかし、その後の方針を巡って米ヤフーと周氏の溝が深まり、周氏は自分のチームとともにヤフーを離脱。同氏は2005年にセキュリティソフトメーカー「奇虎360」を設立し、ヤフーにも敵対的姿勢を取るようになった。

後に「アリババ最大の失敗」とも

   ヤフーが新たな協業相手に選んだのが、当時まだベンチャー企業だったECのアリババだ。アリババは中国に進出した米イーベイ(eBay)との戦いで注目を集めていたが、当時は「巨象(eBay)にアリ(アリババ)が挑む」とみなされるくらい力の差があり、アリババは資金やブランドを必要としていた。また、アリババ創業者のジャック・マー氏は政府職員時代に、北京を訪れたジェリー・ヤン氏を万里の長城に案内するなど、個人的な親交もあった。

   ヤフーとアリババは2005年、資本・事業提携を結んだ。ヤフーはアリババの株式の40%を10億ドルで取得し、アリババはヤフーの中国ビジネスを取得する内容で、中国では「アリババがヤフーの中国事業を買収」、米国では「ヤフーがアリババを買収」と報道された。そしてこの取引で、アリババは日本のソフトバンクと米ヤフーの2社が大株主に就くことになった。

   ジャック・マー氏はECプラットフォームに検索技術を活用することで、サービスの魅力を高めたかったようだが、組織やサービスの融合は簡単ではなく、ヤフーチャイナのトップは何度も変わり、戦略は迷走した。「ヤフーチャイナ」というブランドも、途中で「チャイナヤフー」に変更されたが、「名前を変えるくらいしかやれることがない」と揶揄された。

   そうこうしているうちに、バイドゥ(百度)に加えグーグルが台頭し、中国市場でのヤフーの検索サービスのシェアは1%を割った。

   アリババとヤフーのタッグは中国IT史に残る歴史的な提携だったが、後に「アリババ最大の失敗」とも呼ばれた。

最初から低空飛行

   その後、ヤフーは本家の米国事業が凋落し、中国市場に目を向ける余裕もなくなっていった。アリババにとってもチャイナヤフーはお荷物状態で、2013年にはチャイナヤフーのポータルサイトが閉鎖され、「@yahoo.com.cn」と「@yahoo.cn」のドメインも廃止、ユーザーは国際版である「@yahoo.com」への移行を求められた(今年2月末でこのドメインも使用できなくなった)。この年に大半のサービスが停止され、2015年には北京の研究開発拠点も閉鎖された。2021年に撤退を発表したときには、天気やニュースの配信など、わずかなサービスしか手掛けておらず、撤退で困るユーザーはほとんどいない状態にあった。

   振り返れば、ヤフーの中国事業は最初から低空飛行で、アリババとの提携は大きなニュースになったものの、それがピークだった。しかし、完全撤退が話題になったのは、中国の古いネットユーザーを中心に、ヤフーの歴史的貢献が認識されており、「一つの時代が終わった」と感じさせたからだろう。

【連載】浦上早苗の「試験に出ない中国事情」

浦上早苗
経済ジャーナリスト、法政大学MBA兼任教員。福岡市出身。近著に「新型コロナ VS 中国14億人」(小学館新書)。「中国」は大きすぎて、何をどう切り取っても「一面しか書いてない」と言われますが、そもそも一人で全俯瞰できる代物ではないのは重々承知の上で、中国と接点のある人たちが「ああ、分かる」と共感できるような「一面」「一片」を集めるよう心がけています。
Twitter:https://twitter.com/sanadi37