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うまく転ぼう 玉置妙憂さんが説く心身鍛錬の術は「風をいなす」

   ハルメク4月号の「コトノハメクリ」で、僧侶で看護師の玉置妙憂さんが「身体づくりをするなら、転ばないようにではなく、上手に転べるように鍛えましょう」と説いている。エッセイはまさに、そのものズバリの場面から始まる。

   先日、玉置さんが駅に向かって歩いていた時のことだ。数メートル先を行く60代とおぼしきご婦人が突然、何かにつまずいてバランスを崩したという。

「『転ぶまい!』と、なさったのでしょう。まるで歌舞伎役者さんのように、トットットッと大きく数歩進んで、ついには派手に顔面から転倒されました」

   看護師としての出番である。「慌てて駆けつけると、すでに流血...応急手当てをしたり、救急車を呼んだりの大騒ぎ」

   玉置さんは思う。あれが子どもならその場で沈み込み、上手に両手をついて擦り傷くらいで済んだのではないか...確かに「いい大人」なら他人の目も気になるし、60代は老人と思われたくない年頃だ。「意地でも転ぶまい!」が被害を大きくしてしまったか。

   筆者と一緒に救急車を見送った「妙齢のご婦人」は〈怖いわね。ああならないように、しっかり鍛えとかなくちゃ〉と言ったそうだ。ウォーキングに励んだり、ジムで筋トレに精を出したりする高齢者は多い。しかし玉置さんは、その鍛え方が問題だという。

「身体を鍛えるときに、『転ばないように』鍛えるのではなく、『上手に転べるように』鍛えたほうがいいと思うのです」
  • 風にまかせる柳のように
    風にまかせる柳のように
  • 風にまかせる柳のように

柳をお手本に

   筆者はここでマラソン選手の例を引く。強靭な筋肉と持久力、鍛え抜いた身体と思いがちだが、長距離ランナーだからといって人並外れて丈夫というわけでもない。

「激しい負荷をかけ続けるトレーニングのせいで、免疫力はじり貧で、疲労骨折もしやすいのだそうです...走るためには最高の身体であっても、生活をするためにはちょっと難あり、ということです」

   これは心にも言えることだという。「絶対に成功させる」「必ず幸せになる」「決して後悔したくない」などなど...強い意志を内包したパワーワードは案外もろいらしい。そうならなかった場合に立つ瀬がないから、ポキリと折れやすいのだろう。

「仏教には、中道という考え方があります。成功か失敗か。幸せか不幸か。と、両極を比べるような考え方をせず、右に左に揺れながら、どちらにも良い塩梅の距離をとって歩いていく感じ、と私は解釈しております」

   幸せになるのもいいが、ならなくてもいい。風にまかせる柳のイメージだという。

「風を真っ向から受けて立ち向かうのではなく、風をいなす。自分を守ろうとしないで、自分の中を通り抜けさせる強さを手に入れる...そのために心身を鍛える...身心を鍛えることの意味は、いなすこと、ごまかすこと、手を抜くことの体得にあるのです」

無敵の肩書

   ちょっとした目撃談から始め、体の鍛え方の話へと展開していく玉置さん。誰もがマラソンランナーになれるわけじゃないし、目指すべきでもないとした上で、これまた守備範囲である心の話に持っていく。さらに専門領域の仏教から「中道」の教えを引いて、結論は「いなすこと、ごまかすこと、手を抜くことの体得こそが身心を鍛える極意である」と。要するに、肩の力を抜いて生きましょうということだ。

   身辺雑記から書き起こし、大きな論に落とし込むのは啓発系文章の常道。エッセイや講話はお手の物の筆者だけに、話題の引き出しも多く、総じて余裕の筆運びである。

   人生の「秋」をエンジョイするハルメクの読者層にとっては、心身の健康をどう保つかが一大関心事だ。「いなす、ごまかす、手を抜く」ことの体得こそ鍛錬...そう言われて目からうろこが落ちた人も多かろう。看護師にして僧侶、つまり体も心も守備範囲。心身のケアについてアドバイスするうえで、強力この上ないキャリアといえる。

   医師で僧侶、という男性を取材したことがある。不便なのは僧衣のまま病院内をウロウロできないことくらいで、臨床現場では無敵の肩書であろう。

   その肩書に、心身の処方箋を易しく発信できる技量が伴う玉置さん。迷える人々にはもちろん、雑誌編集者にとっても貴重なタレント(才能)だと改めて。

冨永 格

冨永格(とみなが・ただし)
コラムニスト。1956年、静岡生まれ。朝日新聞で経済部デスク、ブリュッセル支局長、パリ支局長などを歴任、2007年から6年間「天声人語」を担当した。欧州駐在の特別編集委員を経て退職。朝日カルチャーセンター「文章教室」の監修講師を務める。趣味は料理と街歩き、スポーツカーの運転。6速MTのやんちゃロータス乗り。