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追憶のモンチッチ みうらじゅんさんが銅像からたどる30年前のひと

   週刊文春(6月9日号)の「人生エロエロ」で、みうらじゅんさんがモンチッチの記憶をたどっている。ドラえもんやハローキティ、ピカチュウなど、日本生まれの世界的キャラクターは少なくない。誕生から間もなく半世紀のモンチッチもそのひとつだ。

   冒頭「人生の3分の2はいやらしいことを考えてきた」は、連載タイトルに合わせた毎回のお約束フレーズで、テーマと直接の関係はない。

「総武線・新小岩駅の北口前には結構新しめなモンチッチの銅像が立っていた。かつて、この地に人形メーカー・セキグチの工場があったからだ」

   サルをモチーフにしたモンチッチは1974年、東京都葛飾区にあるセキグチが世に出し、80年代を通じて世界に広まった。JR新小岩は同社の最寄り駅である。

「僕は当時、高校生。その存在は知っていたが、買ったことはない。それでも銅像を発見した瞬間、心がときめいたのはもう、30年近く前になるある出来事のせいだ」

   世はバブル末期、みうらさんは30代半ばか。友人の広告マンは羽振りがよく、筆者も何度か「おこぼれ」にあずかったそうだ。「ある出来事」も、彼の接待で訪れた高級クラブでのことだった。

「広いフロアの真ん中にグランドピアノがあるような所で、僕はいつものジーパンとTシャツ姿でやって来たことに後悔した...奴は大層ご満悦の様子で、予約を入れていたらしい"VIP ROOM"に進み、僕は所在なげにその後に続いた」
  • 駅に降り立つ人を迎えるモンチッチ像=JR新小岩駅前で
    駅に降り立つ人を迎えるモンチッチ像=JR新小岩駅前で
  • 駅に降り立つ人を迎えるモンチッチ像=JR新小岩駅前で

珍獣の扱い

   ラフな風貌が気になるらしく、ホステスたちはみうらさんを質問攻めにした。

「要するに高級クラブでは珍獣扱い。でも、それも悪かない。いじって貰ってナンボのフリーランスだ」

   個室に別の女性が入ってきた。〈このコ、新入りなの。みうらさんのお隣に座らせて貰えばぁー〉と先輩ホステス。〈このコね、いつもバッグにサルの人形をぶら下げてるヘンなコなの。みうらさんと話が合うんじゃないかしら〉

「緊張しているのか棒立ちだった彼女も、僕の横に座ると珍獣同士で和んだのか自ら話を振ってきた」

   〈私、お誕生日が同じなんですよ〉〈誰と?〉〈モンチッチに決まってるじゃないですかぁー〉〈そうか、だからサルの人形なのかぁ〉〈いや、モンチッチのモンはモンキーもありますが、そもそもフランス語で"私の"っていう意味なんですよ。それにプチ、小さく可愛いって意味を合わせたものなんです〉

   彼女は幼稚園の頃にモンチッチと「知り合い」、以来ずっと一緒なんだという。

「酔ってる上に情報過多で理解出来なかったこともあるが、彼女のモンチッチ愛はビンビン伝わった...接客業には向いてないと思ったけど、あれからどうしたんだろうか」

記憶の回路

   間もなく500回を数える長期連載、必ずしも毎回エロエロというわけではない。駅前で出会ったモンチッチ像から新人ホステスを追想する本作も、下ネタは出ずじまいだ。

   30代のみうらさんは漫画やイラストのほか音楽も手がけ、テレビにも出始めていたが、まだ知る人ぞ知る的な存在だったと思われる。少なくとも、モンチッチのほうがはるかに知られていたはずだ。

   セキグチは1918年の創業、大正期にセルロイド人形から始めた100年企業だ。戦後はソフトビニール人形やぬいぐるみを手がけ、モンチッチで飛躍した。新小岩駅前の銅像は今年1月(発売48周年)に設置され、製作費は同社の関口晃市会長が寄付したという。

   みうらさんが新小岩駅に降り立った経緯は定かでないが、モンチッチといえば「あの新人ホステス」という記憶の回路があったのだろう。

   当時を思い出した筆者は、彼女が上京して真っ先に向かったと話したセキグチ・ドールハウスの所在地に向かう。施設はすでに閉じられ、跡地は2016年から区立の「モンチッチ公園」になっていた。みうらさんはしばしたたずみ、エッセイをこう締めくくる。

「顔ももう覚えてないけど、彼女がひょっとして訪ねて来る気がして」

   随分きれいな終わり方である...どこがエロエロやねん。

冨永 格

冨永格(とみなが・ただし)
コラムニスト。1956年、静岡生まれ。朝日新聞で経済部デスク、ブリュッセル支局長、パリ支局長などを歴任、2007年から6年間「天声人語」を担当した。欧州駐在の特別編集委員を経て退職。朝日カルチャーセンター「文章教室」の監修講師を務める。趣味は料理と街歩き、スポーツカーの運転。6速MTのやんちゃロータス乗り。