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国会図書館デジコレで探る 「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」の出典は

   「国立国会図書館デジタルコレクション」(デジコレ)をご存じだろうか。国会図書館が所蔵する大量の資料(主に明治~現代の出版物)の一部を、オンラインで調べられるサービスだ。

   このデジコレが2022年12月にリニューアルされて、そのうち約247万点が「全文検索」可能に。つまり、過去の本や雑誌などに載っている内容が、まるでGoogle検索のように調べられるのだ。

   どんな使い方ができるのか? その威力は? 実際の調査結果から紹介しよう。

  • デジコレを活用すれば、自宅で国会図書館の貴重な資料を調べられる(イメージ)。
    デジコレを活用すれば、自宅で国会図書館の貴重な資料を調べられる(イメージ)。
  • デジコレを活用すれば、自宅で国会図書館の貴重な資料を調べられる(イメージ)。

自分の家族を調べてみると?

   たとえば、自分の「家族」や「ご先祖さま」を調べてみよう。別に有名人でもなんでもなくても、なんらかの形で本や雑誌に名前が取り上げられていたり、あとは官報に載っていたりと、意外なところでヒットすることがある。

   先日、自分の曽祖父の一人で検索してみた。趣味で相撲をしていたくらいで、なんの変哲もない「一般人」だと思っていたのだが――なんと、「草相撲(アマチュア相撲)」では県内No.1と言われた強豪力士として、複数の資料にその名が残っていた!

「国会図書館デジタルコレクション、おじいちゃんとかひいじいちゃんの名前で検索すると楽しいよ。
古い雑誌や自治体史の本文が検索できるようにアプデされて、商売とかやってた人だと結構引っかかる。
結果うちのひいじいちゃんは、県内最強の草相撲力士だったことが判明した」

   その驚きをツイートしたところ、7000件を超えるリツイート、約1.2万件のいいねが。

   トゥギャッターにもまとめられたが、このツイートをきっかけに、実家がかつて営んでいたお店の広告が出てきた、祖父の軍隊での経歴がわかった、父の博士論文を見つけた、祖母が雑誌で文通相手を募集していた――など、今まで知らなかった「ファミリーヒストリー」を知れた、という人も多かったようだ。

   話題の本『調べる技術』(皓星社)の著者、元国会図書館司書の小林昌樹氏にも連載で取り上げていただいたのだが(記事には、より詳しい検索のコツも多く載っている)、その記事に、「全米が泣いた」というフレーズの出典がどこか、デジコレも活用して調べてみた、という話があった。

   確かに、古い本や雑誌を横断して調べられれば、こうした「誰が言い出したかよくわからない名言やエピソード」の出典はかなり探しやすくなる。記者・編集者としては、かなり気になる。

「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」とは誰が言い

   どこまで調べられるのか試すため、自分でも出典探しに挑戦する。テーマは、

「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」

という川柳だ。

   多くの欧米語を「カタカナ語」として取り込んできた日本だが、中には本来の発音とだいぶ違っちゃったものも――という話は、一度は聞いたことがあるだろう。

   文豪・ゲーテ(Goethe)の名前も日本人が苦戦したひとつだ。その発音の独特さから、「ギョエテ」とか「ゴイセ」とか、今から見ると珍妙なカタカナ表記が数多く生まれた。「ギョエテとは~」の川柳はそれを皮肉ったもので、カタカナ語事情を論じるとき、今もしばしば引用される。

   作者とされるのは、明治時代に活躍し、毒舌の文学者として知られた斎藤緑雨(1868~1904)だ。

(画像2)斎藤緑雨。皮肉な警句を多く残していて、いかにもこういう川柳を作りそうなのだが......。
斎藤緑雨。皮肉な警句を多く残していて、いかにもこういう川柳を作りそうなのだが......。

   ただ、本当にそうなのかはよくわかっていないらしい。ゲーテについての資料を収集している「東京ゲーテ記念館」公式サイトは、こう解説する

「一般には斎藤緑雨が言ったということになっています。しかし、当館のこれまでの調査でも、その原典を参照できていません。従いまして、緑雨が本当にそう書いたのかどうかも不明です」
「新聞などの匿名コラムが好んで使う言葉ですので、(これも推測ですが)新聞にありがちな孫引きの孫引きで、もとは緑雨とは別の人間が書いた可能性もあります」

   「ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い」とは誰が言い。さっそく、デジコレで調べてみることにしよう。

デジコレのおかげで古い用例が続々

   まずは「ギョエテとは~」の表記でそのまま検索してみる。しかしこの表記だと、緑雨の死後50年以上後、1960年代までしかさかのぼることができない。

   そこで、「ギョエテ ゲーテ」「ゲーテ言ひ」などいくつか検索ワードを変えながら試してみる。すると「ギョエテとは~」ではなく、「ギヨーテ(ギョーテ)とは~」などの形のほうが、より古い用例が見つかることに気づいた。

   この表記だと一気に過去の用例が増え、1930年代の出版物がいくつか出てくる。確認できるもので最も古いのは、1932年のものだ。

(画像3)デジコレより。1932年ごろを境に用例が増える。なお、デジコレの資料は「ログインせずに閲覧可」「ログインするなどすれば閲覧可」「国会図書館内のみ閲覧可」の3種類があるが、今回のような古い資料だと、ログインさえすればかなりが外部でも閲覧できる。
デジコレより。1932年ごろを境に用例が増える。なお、デジコレの資料は「ログインせずに閲覧可」「ログインするなどすれば閲覧可」「国会図書館内のみ閲覧可」の3種類があるが、今回のような古い資料だと、ログインさえすればかなりが外部でも閲覧できる。
「『東京朝日新聞』昭和五年三月十八日神代種亮氏の説に依れば、Goethe[ɡøːtə]の音訳が二十九種あるさうである。斎藤緑雨の川柳に、『ギョーテとはおれのことかとゲーテいひ。』といふのがあるさうである」(荒川惣兵衛『外来語学序説 : モダン語研究』、1932年)

   さらに、初期の用例では上のように(1)ゲーテには29種類の日本語表記がある(2)斎藤緑雨に「ギヨーテとは~」という川柳があるらしい、という話がセットになっていることが多い。

(画像4)1930年代前半の用例のうち、今回確認できたものをまとめた。細かい違いはあるが、内容には共通点が多い。このほか32年10月の文芸春秋 10(11)でも言及があるが(本文未確認)、大筋で内容は共通している模様だ。
1930年代前半の用例のうち、今回確認できたものをまとめた。細かい違いはあるが、内容には共通点が多い。このほか32年10月の文芸春秋 10(11)でも言及があるが(本文未確認)、大筋で内容は共通している模様だ。

   とすると、(1)と(2)を同時に含む文章がどこかにあり、これら初期の用例はそれを参照、あるいは孫引きしているのではないか。そんな推測が成り立つ。

出典は「校正の神様」?

   と、ここまでデジコレだけで追うことができた。

   あとは国会図書館に直接出かけよう。新聞データベースを引くと、上にもある「東京朝日新聞」1930年(昭和5年)3月18日付の朝刊に掲載された、神代種亮「ヨーロッパ語の音訳」という一文にたどり着いた。

「こゝに一例として、ドイツの大詩人Goatheの音訳を挙げて見よう。(中略)明治十二年に(中略)その名が紹介せられてから今日までの五十年の間に、細かに数へれば二十九種の音訳があるといふならば、驚かぬ人は有るまいかと思ふ。(中略)『ギヨーテとはおれのことかとゲーテいひ』と皮肉つた斎藤緑雨に、この表を見せたならば、何といふであらう」

   記事は、ゲーテの日本語表記を調査した先駆として以前から知られているが、「ギヨーテとは~」の川柳についても、今回の調査ではこれより古い用例を確認できなかった。さらに内容からして、そのほかの古い用例の多くが、この記事を直接・間接に参照しているらしいことも考えると、少なくとも例の川柳を世間に広めた起点は、この記事の可能性が高い。

   筆者の神代種亮(1883~1935)は、明治の文学・文化に通じた在野の研究家で、文学全集の編纂や作品の校正に携わり、「校正の神様」と呼ばれた人だ。この「ゲーテ」の表記も、神代はその初出年や実際に使った文学者など含め、丹念にまとめている(この表はデジコレでも、『国語問題のしるべ 第2』所収の「ゲーテ百面相」で閲覧できる)。

(画像5)神代種亮。永井荷風とも交流があり、代表作『濹東綺譚』のエピローグにも登場する。
神代種亮。永井荷風とも交流があり、代表作『濹東綺譚』のエピローグにも登場する。

   そんな「神様」が書いているのだから、「ギヨーテとは~」の川柳が斎藤緑雨だというのには、相当の根拠があるのではないか。それが今回発見できなかった緑雨自身の文章なのか、それとも神代が直接・間接に伝え聞いたものなのかは、残念ながらまだわからないが......。

   というわけで、デジコレ調査では「『ギョエテとは俺のことかとゲーテ言い』は、斎藤緑雨・作だという通説が『やや』強まった」という微妙な結論となった。

   とはいえ、デジコレなしでこれを調べようとした場合、特に新聞記事以外の初期用例については、おそらく外来語表記などについての文献を片っ端から探して、ようやく一つ当たりが引けたかどうか。複数の用例に当たれたからこそ、参照関係の推測も成り立ったわけである。

   この記事の結論としては、デジコレの威力、やはり絶大です。

(執筆に当たり、東京ゲーテ記念館に周辺資料などのご教示をいただきました。この場を借りて御礼申し上げます)

竹内 翔

(追記)この記事の公開後、はてなブックマークでmachida77さんから、

「同じように緑雨が作ったとされる『チョピンとは俺がことかとショパンいひ』もそこそこ古く、どちらが先行しているのか気になる」

とのコメントがあった。

   確かにショパン(Chopin)の読みをネタにした「チョピン(チヨピン)とは~」の川柳も、戦前から確認できる。ただ、

「後にこれ(=「ギョエテとは~」の川柳)が改作『チョピンとは俺のことかとショパン言ひ』も出来た」(『日本外来語の研究 増補』(1944年))

にあるように、「ギョエテとは~」を元にしたものだと思い込んでいた。

   ところが調べ直すと、「チョピンとは~」が先の可能性も......。

   もう一度デジコレで「チヨピンとは~」の形で調べてみると(デジコレは漢字などの表記揺れには強いが、小書きは拾ってくれないことがある)、神代の朝日記事より14年さかのぼる1916年、緑雨と親しかった文学者・内田魯庵の回想記『きのうけふ』(改稿版の『思い出す人々』で知られる)に下記の一文があった。

「又誰かの論文中に"Chopin"をチヨピンと書いてあつたので、『チヨピンとはおれが事かとシヨパン云ひ』といふ川柳が出来た。此作者は緑雨であつたか萬年博士(緑雨の旧友で国語学者・上田萬年)であつたか忘れて了つた」

   筆者の魯庵は、ハガキで緑雨から川柳を受け取ることがあったという。作者はあやふやだが、エピソードは具体的で説得力がある(時期は1890年代半ば~後半ごろか)。

   とすると、(1)緑雨(またはその周辺)に類似作として「ギヨーテとは~」の川柳もあった、という可能性に加え、(2)神代が「チョピンとは~」の川柳を「ギヨーテとは~」と記憶違いして朝日記事に掲載した(3)誰かが「チョピンとは~」を「ギヨーテとは~」ともじりそれを神代が緑雨作と思いこんだ、という線も出てくる。

   「ギョエテとは~」の川柳を世に広めたのが神代、という今回の記事の趣旨は変わらないが、(2)(3)のように緑雨作ではない可能性も。

   デジコレのおかげで、謎はいっそう深まる......。