岩手・宮城内陸地震で、土砂崩れが直撃した旅館「駒の湯温泉」のある宮城県栗原市栗駒沼倉耕英地区。ここで暮らしていた年老いた主婦が「こういう形で終わるとは……」と、避難先で力なくつぶやいた。
今回のクローズアップ現代は、この被災者たちの姿と「わずか1分30秒足らず」(栗原市職員)で山が崩壊してしまった原因にスポットをあてた。
土石流が呑み込んだ「駒の湯温泉」で3人が死亡し4人の行方(放送時点)がまだ分っていない耕英地区。「土地を離れたくない」と渋っていた40人が6月16日、市の説得で非難した。余震が続き、洪水の危険もあるというのだ。
この耕英地区は、もとは栗駒町と呼ばれていたところ。2005年4月に9町1村の合併で、栗原市に編入された。戦後すぐ、満州からの引揚者や宮城県内の農家が、国有林だった同地区の払い下げを受けて入植し、開拓した。
入植者たちの家族は現在、第2世代、第3世代へと移り、41世帯、104人がイチゴや大根の栽培で暮らしていた。その入植60周年記念のイベントが07年行われた。それが一瞬にして無残な姿に……。それだけに「こんな形で……」というつぶやきが痛いほど伝わってくる。
ところで、国土地理院は栗原市の荒砥沢ダム上流の大規模な地滑りについて、高さで最大148メートル、崩落した幅は最大1キロにわたった発表した。この大崩壊で、東京ドーム40杯分の土石が崩れたという。
なぜ、大規模な崩壊が起きたのか? 東大生産技術研究所の小長井一男教授は「もともと軽くてもろい火山灰が堆積した地盤。それが雪解けの水を多量に含んだ所へ地震が直撃、滑るように次から次へと崩れていったのでは」という。
それほどもろい地盤で地震が発生すれば、ひとたまりもない。ところがこの地域は当面、地震はないとされていた。
専門家は、大都市圏の地震にばかりに目が奪われ、山間部の地震はノーマーク、国や自治体も虚を突かれた感じだったのでは……。
梅雨の後には台風の季節を迎える。沢に流れ込んだ土砂が、水をせき止め洪水の危険もある。
番組でも触れていたが、今後、山間部から避難してきた被災者たちの生活をどう支援するか。また、何とか耕英地区に戻りたいという被災者たちの希望を実現するにはどうするのか。大きな課題が待っている。
モンブラン
<メモ:岩手・宮城内陸地震>
2008年6月14日に発生、マグニチュードは7.2だった。1995年の阪神大震災のような「直下型」地震で、山間部に大きな被害をもたらした。16日には死者10人目となる遺体が見つかり、安否不明者の捜索が続いている。
*NHKクローズアップ現代(2008年6月16日放送)