<マン・オン・ワイヤー>1974年8月7日の朝。ニューヨーク、ワールドトレードセンターのツインタワーに1本の綱がかけられた。その綱を歩き出す1人の男。彼の名はフィリップ・プティ。
命綱はない。1本の長い棒だけを持ち、ゆっくりゆっくりタワーからタワーへ歩いていく。行きかう人々は足を止め、彼の綱渡りを眺めた。初めは呆気に取られ、徐々に魅了され、やがてとりつかれる。人々の目にもはや綱は映らない、フィリップは綱を渡っているのではない。空を歩いているのだ。
映画はツインタワー綱渡り計画前夜から始まる。初めの1分間、私は入る映画館を間違えたと本気で思った。それは、計画前夜の様子を描いたドキュメンタリーとは思えないほど完成度の高い再現ドラマのせいだ。漂ってくるのはまるで自分がプロジェクトチームの一員になったかのような緊張感。インタビュー映像に移り変わって初めて、これが『マン・オン・ワイヤー』というドキュメンタリー映画であると信じることができた。それでもまだ再現ドラマで得た胸の高鳴りはしっかりと残り、気づいたら作品に引き込まれている。掴みは完璧だった。
掴みだけではない。作品全体を通して本作の構成は実に優れている。フィリップ及びプロジェクトに関わった仲間のインタビュー、再現ドラマ、実際の映像と写真が計算された時間軸に沿って、計算された割合で入り交じる。
また、フィリップの綱渡りを2つに絞ったことも成功だった。フィリップはこれまでにオーストラリアのハーバーブリッジや赤坂のミカドビルなど多くの名所で綱渡りをしてきたのだが、本作に出てくる綱渡りは作品の軸となるツインタワーとその予行練習のように行ったパリのノートルダム大聖堂のみ。『ツインタワーでの綱渡り』という明確なゴールを設定し、フィリップたちはそれに向かってまい進していく。
だから、本作には計画の始まりがあり、進行があり、頓挫があり、再起があり、成功がある。もしも綱渡りを絞らずにフィリップの偉業の数々を紹介していくという構成だったら、これほどまでにはっきりとした起承転結は難しかっただろう。『あんなところで綱渡りして、すごいなぁ』とは思えても、それ以上はきっとなかった。しかし、本作は理解不能な行動をとるフィリップへの少なからずの共感、感情移入という『それ以上』を十分に感じとることができた。
観客の心を掴んで離さないフィクションの強みを持ちながらも、ドキュメンタリー映画として人物の生の声、生の姿もきちんと切り抜いた本作。映画館でドキュメンタリー映画をあまり観たことがない人、ドキュメンタリー映画を飽きるほど観てきた人、この映画はそのどちらの方々にも自信を持っておすすめできる。<テレビウォッチ>
野崎芳史
オススメ度:☆☆☆☆☆