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大地震ハイチで結核と闘う日本人女性医師83歳の清々しさ

   「ハイチのマザーテレサ」と呼ばれる日本人女性がいる。須藤昭子さん、83歳だ。結核専門の医師であり、カトリックの修道女でもある。カリブの最貧国ハイチで、30年以上も医療支援を続けてきた。

診療所壊滅「30年前よりもっとひどい」

   1月の大地震のとき、たまたま帰国中だった。先月20日やっと現地に戻った須藤さんにカメラが同行した。その眼前に展開した光景は想像を絶するものだった。

   宿舎だった教会は全壊していた。「4階建ての建物だったんですよ。一瞬にしてこれでしょ」と須藤さん。同僚や患者たちは無事か。幸い、仕事場の国立結核療養所の大方は無事で、患者とも再会を喜び合った。

   が、療養所の建物は惨憺たる有様だった。倒壊の恐れから病棟は閉鎖され、患者たちは仮設テントの中にいた。軽症の患者は退院させ、代わりの患者が入ってもいた。須藤さんは危険を感じた。

   「まだ菌があるんだから」出すべきではないし、退院して薬をやめるのが怖い。多剤耐性結核菌――薬の効かない菌になってしまう可能性が高いからだ。懸念は現実のものになっていた。薬の効かない患者が6人、隔離されていた。

   「ここから先は危険です」と須藤さんも立ち入りを止められた。ハイチ全土では1000人を超すともいわれる。

「テントが密集している中で、どれほどの菌がばらまかれているか」

   ハイチへ来たのは49歳のときだ。原点は戦後の日本だった。医学部の学生だった須藤さんは、不治の病といわれた結核を、外国の医師たちが治療するのを目の当たりにした。「いつか恩返しを」と思い続け、結核が下火になった70年代半ば、依然として「死の病」だったハイチを選んだのだった。

   ハイチは人口600万の島国。かつては豊かな農業国だったが、90年代の軍政下に国連の経済制裁を受けて農業は壊滅した。農民は現金収入のために、無秩序に森林を伐採して炭を焼いた結果、国土は禿げ山になった。大雨による土砂崩れが頻発、土地を失った農民が都市のスラムに流れ込む。

職業じゃないから引退はありません

   須藤さんは2年前から、農業学校建設を進めていた。貧困と病魔からの脱却には、農業の再生が根本だと考えたからだ。その前に禿げ山に木を植える運動を始め、すでに4万本のマンゴーなどを植えた。80歳を前に農業も勉強して、指導もする。炭焼きで出る木酢液を利用して土壌改良も手がける。

   しかし、その学校建設用地は、地震で家を失った人たちのテントで埋まっていた。貧しい人たちのための学校建設が、貧しい人たちのテントで止められるという皮肉。須藤さんもここは引き下がるしかなかった。

   スタジオに須藤さん本人が出演した。

「30年前に行ったとき、設備はなかったが建物はあった。それがなくなってゼロ以下になった」。

   いま一番の心配は、病院を出た人たちが菌をばらまいていることと、治療の中断による耐性菌だ。とくに後者は「ハイチだけの問題ではなく、世界の問題です」と警告する。エイズの問題もある。

「入院患者の50%が陽性でした」

   こんな絶望的な状況にも須藤さんはめげない。「その力はどこから」と国谷裕子に問われて、「ハイチの青年たちに問いかけると、応えてくれる。相談しながら一緒にやっているから」と答えた。また、「引退は職業だからですよね。私は『生き方』ですから引退はないんじゃないでしょうか」とも言う。

   こんな素晴らしい日本人がいたとは。水を求めて、国連職員とフランス語で渡り合う姿の清々しいこと。83歳の「生き方」に感動した。

ヤンヤン

    *NHKクローズアップ現代(2010年5月24日放送「『ハイチのマザーテレサ』83歳日本人女医の挑戦」)