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新宿駅の発車メロディーこんな苦労があったとは…

   食後の余韻を楽しむサラリーマンで溢れかえる午後1時の喫茶店。恐らく有線だろうか、会話の邪魔にならないようにポップソングをクラシックにアレンジした音楽がかかっている。

   あるBGMで私は吹き出してしまった。ドレミの歌だったのである。ドレミの歌のクラシックバージョンと言えばいいだろうか。サラリーマンたちは別段気付いているような雰囲気でもなく、1人ドレミの歌が流れてきたことがツボにはまった。なんでこんなオッサンだらけの場所にドレミの歌がかかってるんだろう。これ、実はみんなちゃんと歌える歌だよね~。すぐ隣で咥え煙草にスポーツ新聞のエロ記事読んでるあのオッサンだって、子供の頃は授業で歌ってたはずだよ。ほら、みんな一斉に立ち上がって声を合わせて歌ってごらんなさいよ。「さんはいっ!ド~はドーナツーのド~」って。私、コーラスの指揮してあげる!と、バカバカしい妄想にしばしニヤけてしまったところで、気を取り直す。今回はそんな音の話を書いてみたい。

大きくても小さくても、高くてもゆっくりでもダメ

   私たちが何気なく暮らしている日常には、本当に様々な音や音楽が溢れている。無音の状態はほぼなく、そしてその音はかなり計算されたものだったりする。先月も、冬に発売予定のEV車に車両接近通報装置を搭載すると発表したメーカーがあった。静かすぎるハイブリッド車やEV車に対して、国交省がガイドラインを発表したのが1月。大きすぎては運転手には評判が悪く、小さすぎては歩行者に危険を及ぼす走行音。はたして、どうやって双方の条件を満たす音を作り上げるのだろうか。キニナルところだ。

   電車の発車ベルが音楽に代わってすでに21年も経つのだという。東京新宿駅と渋谷駅から始まり、そのほかのJR線や各私鉄でも、発車メロディはご当地ソングのようにその駅と路線を認識できるものになってきた。「プルルルル~」というけたたましいベルの音が変わったのはもっと最近のことかと思っていたが、意外と歴史が古く驚いた。

   その第1号となる新宿駅の発車メロディ、発車サウンドを開発した一人、井出裕昭さんの著書「見えないデザイン サウンド・スペース・コンポーザーの仕事」を最近読んだ。日本を代表する音響の専門家である井出裕昭さんが、公共の場で使われる音を作りだす過程がとても興味深い。新宿駅は1日百数十万人が利用する巨大ターミナル駅。当時JR側から要望が2つあった。ベル音がうるさいという苦情に対処したい、そして事故防止のため駆け込み乗車を減らしたい。

   しかし、この要望を同時にクリアしようとすると実に様々な矛盾が生じてくる。たとえば、大きな音では迷惑なので、騒音下でも小さな音量で気がつく音にすること。高音では老人には聞きとりにくく、ゆったりしたメロディでは注意喚起にはならない。さらに駅全体で発車メロディが不協和音にならない音。駅を利用する人の様々な心理状況に合わせて、むやみに明るい音楽は避けるなど、壁はいくつも立ちはだかってくる。

ブブゼラのけたたましさも慣れてしまうと

   読み進めるうちに、人は無意識のうちにずいぶんと音に支配されているのだと気付く。リラックスしたり購買意欲を高めたり、様々な心理状況に音は大きくかかわっていて、人は意思決定を下したり感情まで支配されてしまっている。

   そう思うと、テレビ業界が躍起になる「既視感のない映像」ではなく「既聴感のない音」について考えたくなる。思えば、ブブゼラの音なんてのは今回のW杯南ア大会で初めて聞いた音だ。音量もさることながら、初聴だから開催当初は不快と感じたのだろうか。決勝トーナメントあたりでは、鳴っていないと何か物足りない感じになるから不思議だ。音の世界、どうやら奥が深そうだ。

モジョっこ