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避難15万人「復興と苦悩」―再び津波覚悟で海の仕事か、住まい優先か

   海とともに生活してきた人たちが、その海のために住まいと仕事を失った。どう暮らしを再建していくのか、震災から1か月たったいまも、先の見通しはたっていない。何が問題なのか。

養殖地区住民「仮設住宅を海近くに」

   宮城・南三陸町で3日(2011年4月)、集団避難で去る住民を佐藤仁町長は「1日も早くお迎えに参ります」と送り出した。だれ1人この土地を離れたくはない。が、いまだに電気も水道もない避難所に8000人である。健康の問題だった。

   町が直面しているのは、仮設住宅を建てる土地の確保である。4000世帯分が必要だが、安全な高台の土地は1000世帯分しかない。これに仕事の確保や再建の問題がからむ。73ある地区の要望は一様ではない。

   海沿いの清水(しず)地区はワカメ、ホタテの養殖が主だったが、津波で壊滅した。養殖は共同作業だから、再興するにも住民が一緒でないとできない。だから仮設住宅も海から700メートルの小学校跡地へ建ててくれという。津波でやられた土地だが、「裏の高台へ逃げれば大丈夫」という。

   町の中心の中瀬町地区は農家、会社員、自営業者とさまざまで、すでに43世帯が他町へ避難した。自分たちで仮設の場所を探してきたのだが、20世帯分しかなかった。ただ、仮設ができたら集団で帰ってくると決めている。

   佐藤町長は「100%を求められても、55~60%で我慢してくれ。みなさんも覚悟してくれ」という。

   状況はどの被災地も同じだ。NHKが岩手、宮城で調査したら、「仮設ができるかどうかわからない」が4割だった。着工はまだ1割。土地が海に浸かってしまっているのだ。

   室﨑益輝・関西学院大教授は「阪神淡路にはなかった大きなカベがある。膨大ながれきの量、財政にも土地にもゆとりがない。それと津波のリスクだ」という。

「海の恵みで生きてきた人たちだから、コミュニティーのつながりも重要。どちらも生かさないといけない」

若者中心に「共同経営の会社化」

   宮城・山元町は「仙台イチゴ」のブランドで売ったハウス栽培のメッカだった。136戸の農家全部が被災して、農地の7割が冠水、5人が死んだ。イチゴづくり40年の花坂義男さんは自宅もろとも全てを失った。ハウスに投じた6000万円も消えた。滋賀県の観光農園から「一緒にやらないか」と声がかかったが、町を離れるかどうか心は揺れている。

「涙がでるほど嬉しいが」

   一方、若手の中には再建しようという声もある。みな何千万円というローンをかかえて、個人では見通しが立たない。そこで、共同経営の会社を興して近代化をというのだ。しかし、同じ若手でも意見はさまざま。「塩害はどうなるのか」「サラリーマンになった方が楽」「いま収入が必要だ」という声があり、ハローワークに通う人もいる。みな先が見えない不安のなかでもがいている。

   室崎教授はこう話す。

「若者のチャレンジを実現させたい。土地の改良や会社組織化、将来ビジョンづくりでは、金も知識も必要になる。国と住民と専門家が一緒にやる。前より良くなる強くなる。それが復興だ」

   国谷裕子キャスターが「住まいと仕事ではどちらが(優先か)」と聞く。室崎教授は「仕事だと思う」と即答した。経済基盤であり、生き甲斐なのだと。

   50年、100年先には必ずまた来る地震と津波。これをすべて跳ね返す町づくりなぞ不可能だと、今回だれもが思い知った。それでもこの土地がいいという。自然の中で生きる人々のしたたかさ。「裏山へ逃げればいい」なんて、思わず人間バンザイと叫びたくなる。

ヤンヤン

NHKクローズアップ現代(2011年4月11日放送「避難者15万人 くらしをどう再建するか」)