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震災遺児113人「父ちゃん迎えに来たら、遅いんだよ~って言ってやるんだ」

   ビデオの映像を見終わって、司会のみのもんたはしばらく言葉が出なかった。声を詰まらせながら、「たまんないですよね。お父さんが帰ってきたら何と言うと聞かれて、遅かったじゃないか、と言うなんて…」とやっと話し始めた。

   岩手県陸前高田市の避難所で暮らす小学4年生と2年生の兄弟の話だ。両親はまだ行方がわからない。父親はトラックの運転手だった。よく肩車をしてくれた。それを思い出して、取材スタッフに何度もねだる。

避難所で祖母と暮らす9歳と7歳

   兄は佳紀君(9)、弟は晴翔君(7)。祖母が面倒をみている。お年寄りの多い避難所で佳紀君は掃除をしたり、食事を配ったり、手伝いをしている。晴翔君は水汲みの当番だ。「ここで住まわせてもらっているから」と兄が言う。

―いま、何を食べたい?

弟「お寿司」

―何が好き?

「イクラ、かっぱ巻き、納豆巻き、かんぴょう巻き、マグロのワサビついてないやつ」

   スタッフは残酷なことを聞く。「いま、誰と会いたい?」。決まっているではないか。ふたりは両親との再会を信じているのだ。

「お母さん、父ちゃん」

―迎えに来たらなんて言うの。

兄「なんで遅いんだよ~、どこへ行ってたんだよ~って言う」

弟気遣う兄「地震だけだったらよかったのにな」

   健気に振る舞う兄弟だが、震災については「津波がなければ、地震だけなら地割れだけですんだのに。なあ、地震だけだったら、よかったのに。地震がなければ、こんなことにならなかったのに」

   兄が弟に言い聞かせるように言う。子どもたちを預かる校長先生は「一人ひとり抱えている問題が違う。表面に出ているものがすべてではない。ゆっくり、ゆっくり寄り添いながら接していくしかないと思っています」と話す。

   県の担当者は「まず生活環境の安定だが、中期的には経済的な問題で進学をあきらめたりすることのないよう考えていかなければいけない」と言う。

   昨日(2011年4月20日)、兄弟の通う小学校は40日ぶりに再開した。「うちの子、うちの孫と思って暮らしていきたい」と避難所の人たちは語る。

   東日本大震災で両親が死亡、または行方不明となっている震災遺児は東北3県で113人、阪神・淡路大震災の68人を大きく上回る。2人は元気に登校した。これからどんな学校生活が待っているのか。どうか、元気でと祈るばかりだ。