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松田直樹死去…「お母さんが息子の分までがんばってと」(三浦知良)

   なんとも残念!「マツ」は戻ってこなかった。8月2日(2011年) の練習中に倒れ、意識不明が続いていたサッカー元日本代表の松田直樹選手(34) が、きのう(4日)亡くなった。急性心筋梗塞。サッカー選手では珍しいが、ないわけでもない。

目標は「JFLの松本山雅をJ2に引き上げる」

   遺体と対面した三浦知良選手は「カズさんがやめるまでやめないと言っていた。彼らしい。お母さんから、息子の分までがんばってと言われた」

   中山雅史選手「一緒に闘った男が。こんなに若くして…。くやしい」

   中村俊輔選手「ユニフォーム来てスパイクはいて、今にも起き出してサッカーしそうだった」

   昨年12月、16年間在籍した横浜マリノスを退団した。膝の故障から戦力外通告。しかし、松田は「マジでもっとサッカーやりたい。サッカーって最高って見せたいので、これからも続けさせてください」と現役でとどまった。今シーズンからは、J2の下のJFLの松本山雅でプレーしていた。チームを「J2に引き上げる」が目標だったという。

   戦歴は華麗だ。前橋育英で高校ナンバーワンDFと注目され、95年卒業と同時に横浜マリノスに入団。96年アトランタ、00年シドニー と五輪に出場、アトランタではブラジルの猛攻を封じて、記憶に残る勝利をあげた。02年は日韓ワールドカップ、03、04年 はJリーグ連覇、06年からはキャプテンだった。

将来的にはマリノスの監督だったはず

   サッカーファンの司会・加藤浩次も抑えきれないようだった。

「残念です。彼はテレビでもサービス精神旺盛で、サッカー界を盛り上げてきた。初めてワールドカップ で勝ったときもいた。オリンピックでブラジルに勝ったときもいた。若い選手に伝えてほしいこといっぱいあるのに」

   キャスターのテリー伊藤「エリートできたわけだし、ミスター・マリノスだったし、将来的にはマリノスの監督ですよ。そこで幕を引くことだってできた。でも、サッカーを選んだ。それができなくなったなんて、残酷だよね」

   レポーターの西村綾子が「本気でJ2に上がれるといっていた。みんなも、引っ張っていってくれると信じていた」と伝え、心残りは練習グラウンドにAEDがなかったことだと話す。Jリーグでは04年から義務づけられているが、下部リーグは指導に留まっていた。「今回、もしあったとしても、助かったかどうかはわかりませんが…」

   Jリーグでは今週末の試合で半旗を掲げ、試合前の黙祷と選手は喪章をつけるという。