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「沖に逃げろ!」大津波乗り切って原発にやられた松川浦漁船130隻

   5か月が過ぎようとしている東北大震災の地は今どうなっているのか。司会の羽島慎一が6、7両日に取材に訪れたのが相馬市松川浦地区。そこで羽島が見たのは、漁港周辺では多くの家屋が流され更地になっているのに、漁港には100隻以上漁船が係留されている不思議な光景だった。

教え通り船守った漁師たち

   地元の漁師によると、今回の大津波でこれだけの隻数が残ったのは珍しく、他にないという。その理由を漁師は次のように語った。そこには先祖代々受け継がれた津波への教訓が生きていた。

「ここの漁師は船を大事にする。昔からの言い伝えで、ある程度の地震が起きたら、とにかく津波を最初に考えて『船を沖に出せ』という教えがあった」

   この教訓を守って、漁師たちは地震直後、一斉に沖へ向かって走らせたのだ。「どうやってあの大津波を乗り越えたのか」と羽鳥は聞く。地震が起きた3月11日午後2時45分、自宅にいた漁師たちは船に飛び乗った。入江の入口のできたばかりの瀟洒な松川浦大橋をくぐり沖へ向かった。この時、海はまだおとなしく津波がやってくる気配はなかったという。ところが、港を出て15分後に第1波がやってきた。7メートルの海の壁。直角に上るとひっくり返されてしまうので、斜めに駆け上がり、波の頂上に達した時にエンジンを止めた。スクリューを止めないと船が波の外へ飛び出してしまう。あとはジェットコースターのように波を滑り降りた。

「合計で5回あったが、一番大きい波は第2波で15メートルぐらいあった」

魚とってきても買ってくれない

   福島県内1100隻の漁船のうち900隻が被災、残った200隻のうち130隻が松川浦の漁船だった。大津波に打ち勝った100隻以上の漁船は、いつまたやってくるか分からない余震のために沖で一晩過ごして帰港した。しかし待っていたのは、崩壊した家、町、漁港の無残な姿。そして原発事故。

   これらの漁船は今、原発事故による汚染問題で漁をしても売れず自粛中。刺し網漁を行う小型船は県外での漁を禁止されていて漁はできずじまい。

   水産庁のサンプル調査では、放射能物質の基準値を超えているのは磯魚のアイナメだけ。「漁をするうえで何も欠けていない。100%揃っているが、漁をしても買ってくれる業者はいない」という。

   スタジオでは、青木理(元共同通信記者)が「津波の時、漁師たちは天災を先人の知恵で乗り切った。原発の人災事故にはどうしようもなかった。生かせなかったのも辛いだろうし悔しいだろう。原発事故のひどさを改めて感じますね」という。

   津波の教訓を全く考慮に入れなかった原子力安全委、保安院、そして東京電力は、傲慢、不遜、狭量としか言いようがない。