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割れる福島浪江町避難民「新しいふるさと作ろう」「いや帰りたい」

   9月12日(2011年)で、福島原発事故による住民たちの避難生活は半年になる。国の除染作業がいつ始まるのかも示されないもどかしさのなか、ふるさとへ帰れるのか帰れないのか、離散もやむを得ないのか、避難者たちは岐路に立たされている。

「オレは独身だから帰る」
「でも、ふるさとへの愛着だけでは生きられないからなあ」

   若者のなかには、戻ることを断念して新天地を求める動きも出始めているという。役場はそうした流出が続けば町の存続はないと危惧する。葛藤が続く福島県浪江町の避難者たちの姿を追った。

メドたたない除染作業

   いまだに高濃度の放射性物質で汚染されたままの警戒区域(原発から20キロ圏内)と計画的避難区域(同20~30キロ圏内)。そこから逃れ避難生活を強いられたまま、戻ることができない人は8万8000人に及ぶ。国は2年以内に汚染地域の放射線量をおよそ半分に減らす基本方針を打ち出しているが、はたして除染によって安全に暮らしていける場所になるのかはまったく不明だ。

   それだけに、町全体が警戒区域と計画的避難区域にまたがる浪江町の避難者たちは揺れている。人口2万1000人のうち、3分の1の7500人が県外で暮らしていて、他の町民も県内の仮設住宅で避難生活を強いられている。

   国は今秋には除染作業に取り掛かり、年明けまでには避難区域の指定解除に向け検討に入るとしてきた。ところがその後、国から詳しいスケジュールなどは示されていない。国の除染作業に基づき、町で全員帰還を目標に進めてきた計画は頓挫してしまった。

商工会青年部の要望「町ごと代替地へ」

   相次いで出されるふるさとの高濃度の放射線量の実態も、若者を中心に帰還断念を広げている。町内の中小企業経営者や商店主の集まる浪江町商工会の青年部メンバーが集まった会でも、出てくるのは「俺は帰りたくない」「浪江町への愛着だけでは生きられないからね」というふるさとを見切る声だった。

   この場で青年部リーダーの八島貞之(鉄工所経営)が1つの提案を行った。浪江町へ帰ることを断念し、代替地に集団で移住することを町に検討してもらおうという案だ。人との絆を守ることで町を存続させようというわけで、青年部のメンバーこの新しいふるさとづくりの要望書を町に提出した。しかし、高齢者の多くは代替地への移住ではなく、浪江町へ戻ることを切望している。高齢者の支援を重視する役場は、青年部の要望に難色を示した。

   8月末、福島県内の避難所が閉鎖の時期を迎えた。リーダーの八島は鉄工所再建を目指すため、宮城県境にある相馬郡新地町の仮設住宅に移転していった。近くに下見した工場があるからだ。ただ、仲間とのふるさと代替を諦めたわけではないという。

町長は「みんなで帰ろう」

「町の結束は揺らいでいますね」

   臨時町役場が設けられている二本松市の仮設住宅で、キャスターの国谷裕子が馬場有町長に聞いた。

「私は思うんですが、浪江町の空気、土壌の匂いがみんなには染みついています。二本松市に役場を置かせてもらっていますがどこか違うんですね。
代替地を求める考え方は大胆な発想だと思う。生活を支えていく者にとっては、そういう発想も必要かなと思う。しかし私どもの絆はそう簡単なものではない」

   国谷「存続は土地なのか人々の絆なのか。若い人たちは相当迷い、考えたと思います。町長ご自身はどうお考えかですか」

   これに町長は「どちらも大事だ」というしかなかったが、最後に政府への不満を次のように語った。

「除染、除去してくれと要請しても、いまだに実行されていない。まずもって除染をきっちりやってもらうこと。それでもどうしようもないなら次の手を考えないと。2、3年が限界で、その間に明確に帰還できる状況を作っていかねば…」

   浪江町の空気や土壌の匂いは今もそのままかもしれないが、色も臭いもない放射性物質が蓄積している今の浪江町はまったく違う。番組は深追いしなかったが、先に文科省が発表した土壌汚染の数値を見ると、除染で2年後に住めるようになるのかどうかは疑問だ。同程度の汚染でもチェルノブイリは25年来立ち入り禁止になっている。

NHKクローズアップ現代(2011年9月7日放送「町をどう存続させるか~岐路に立つ原発避難者たち~」)