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釜石復興プロジェクト―課題はそのとき何人の住民が残っているか

   日本有数の鉄の町として知られていた岩手県・釜石市。20数年前に新日鉄の高炉が休止してからは寂れる一方だったが、3月11日(2011年)の東日本大震災とその後の大津波は、被災世帯4000戸以上のこの町を壊滅させた。

   それから半年――。しかし、人々は復興に向けて動き始めた。復興プロジェクトはどう動き出したのか。

高台移住だと「工期15年、費用400億円」

   国谷裕子キャスターは釜石の歴史と現状をこう解説した。

「釜石はかつて製鉄業で栄えていましたが、その後の鉄鋼不況によって、震災前には人口が最盛期の半分以下の4万人弱に落ち込んでいました。そこに今回の大震災と大津波。再生へのプロセスは決して楽なものではありませんが、復興で1000年後も評価される町に作りかえると動き始めています」

   市長の特命プロジェクトが9月末を目標に、大学教授や専門家、市民も参加して、安全と産業振興を両立させる再生案を模索しているが、いくつもの壁が立ちはだかりなかなか進まない。震災直後は町全体を高台に移す嵩上げというアイディアが出されたが、そのための工期は15年、費用は400億円にも上ることがわかり、現実性に乏しいと見送られた。町を離れる住民も増え、復興後の人口がどのくらいになるかを想定できないことも計画立案を難航させている。

   国谷「そこでプロジェクトチームが白羽の矢を立てたのが、建築家の伊東豊雄氏でした。伊東氏は町を一から作り直すデザインを描き始めています」

   伊東は「釜石は坂の美しい町」として、山の斜面の段差を住宅地に利用することを提案。津波への対策として現在の防潮堤の高さを4メートルから10メートルにして、多重防潮堤にする案を提示している。

1階はガレージ、2階で生活

   ゲストの大西隆(東京大学教授・復興構想会議委員)は国谷と釜石を訪れ、「これだけの高さがあれば津波は防げるという基準はありません。しかし、人命優先を考えると、より高い方が良い。また、住宅を建てるときも盛り土をするとか、1階はガレージなどにして2階での暮らしを生活の基本にするなど、様々な工夫が必要です」と解説した。国谷はこう締めくくった。

「住民の方の表情を見ると、皆さんホッとしている感じがうかがえます。でも、本格的な復興はこれから。政府の第3次補正予算が被災地復興の大きな柱となります。そして、復興は急がなければなりません。そのためのスピードをどうつけるのかが問われています」

NHKクローズアップ現代(2011年9月12日放送「釜石復興~再生への格闘~」)

 

文・ナオジン