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スティーブ・ジョブズ亡きアップル「パソコンシェア」奪回できるか

   アップルのスティーブ・ジョブズ前CEOが亡くなった。まだ56歳だったと聞くと、あらためて惜しいと思う。次に何を生み出すかと世界中が期待していたのだから。ソフトバンクの孫社長は「ダビンチ」と較べていた。パソコンからスマホまで、これほど世の中を変えるものを次々と生み出した男はいない。

携帯電話の概念変えたiPhone

   司会のみのもんたはITはさっぱりらしいが、与良正男(毎日新聞論説委員)は「デザインがいいのと、使いやすいんですよね。それとハードとソフトを一緒に売ったこと」と話す。そう、それでジョブズは地獄も見た。

   ジョブズがもう1人のスティーブ、ウォズニアックと2人で初のパソコン、アップルⅡを作ったのが1977年だ。84年にはマッキントッシュでマウス(アイデアはゼロックス)付きを出す。世界中のメーカーがソフトを欲しがったが、ジョブズはソフトだけは売らなかった。そこへ 割って入ったのがマイクロソフトのビル・ゲイツだ。ウインドウズ・ソフトを売って彼は大金持ちになる。もしマックがソフトだけを売っていたらビル・ゲイツはなかったろう。

   シェアを落としたジョブズは85年にアップルを追放される。しかしアップルの不振で96年に復帰。98年のiMacから巻き返しが始まる。とくに01年のiPodと03年のiTunesはウォークマンを過去のものにした。

   そして、07年のiPhoneは携帯電話の概念を変えた。さらに10年のiPad。これらは全てハードとソフトを一体で考えないと出てこないアイデ アだ。アップルは今年8月に総資産で世界一になった。パソコンのシェアだけは取り返せていないが、ソフトだけのマイクロソフトの時代も終わった。さて次は? それがもう出てこないのか? 

「ハングリーであれ、愚かであれ」

   ジョブズは05年のスタンフォード大での学位授与で、学生に「ハングリーであれ、愚かであれ」といった。すでにすい臓がんの手術の後だった。こうも言っている。

「毎日を人生最後の日であるかのように生きていれば、必ずひとかどの人物になれる」

   井上貴博アナが「毎朝鏡を見て、今日のスケジュールはこれでいいかと問うていたといいます」

   みの「実感なんでしょうね」

   与良「僕でも使えますからね。iPadに古い映画を入れておいて、新幹線で見ている」

   吉越浩一郎(ビジネスコンサルタント)「説明書が数ページしかない」

   それでも、みのはよくのみこめないらしい。「ハングリーであれ、愚かであれ」と繰り返して終わった。吉越もネットの説明書が200ページもあるのを知らないらしい。しかしそれでもちゃんと楽しめる。これがアップル人気の秘密。今後、スマホ、タブレットの競争激化がいわれる。これをどう見ていたのか、聞いてみたかった。