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「上手な談志も下手な談志も談志」すべてさらして生きた四六時中芸人

   こんな落語家はもう出ないだろう。「天才」「鬼才」「反逆児」…。さまざまな異名と毒舌や破天荒な行動で語られた立川談志が逝った。75歳だった。古典落語を現代の感性で、が終生のテーマだ。高く評価されたが、その言動を毛嫌いする向きも多かった。はたして彼は願いを遂げたのか。

「裏から見ろ、異論を唱えろ、多数派につくな、相手をびっくりさせろ」

   来歴をなぞっても始まらない。十八番の人情噺「芝浜」のさわりをたっぷりと流したあと、50年からのつきあいというイラストレーターの山藤章二氏が語った。これが出色だった。

   山藤「久々に自分に納得している談志を見ました。いつも自分のできに不満なんです。自分への点は非常に辛かった。今日の芝浜をご覧の方の95%は感銘していると思います。たしかに、頂点を極めたとは思うが、長くつき合ってる私としては、率直にいいますと、『自分で照れてるんじゃない?』と突っ込みを入れたくなる」

   キャスターの国谷弘子「落語と一致した人生を送っていたいんだというのはどういうことなんでしょう」

   山藤「いろんな語録の中で『おのれを語れ』というのがある。おのれというのは、芸人の了見ということですね。四六時中芸人の了見でいるぞと言うことで、アウトローに足場がある。常識的に物事を考えるな、裏から見ろ、異論を唱えろ、多数派につくな、相手をびっくりさせろ。そんな彼の血の中にあることを弟子に叩き込んでいた」

   国谷「弟子もつねに驚かされていたでしょうね」

   山藤「弟子になるくらいだから異常なセンスを持った人なんだけれど、その弟子もみんなびっくりしているんですからね。芸人の了見で『オレは隠さねェからな』と恥もない。オフもオンもない。全部見せちゃう。

   週刊誌の連載の絵を描いてくれと電話で言ってきた。たまたま目がかすむし手が震えるし、『上手い絵は描けないよ、下手くそで乱暴だよ』といったら、『自分の話が下手だったときは客にこう言うんだ。今日の客は幸せだぞ。上手い談志が下手くそになった時を見たと、自慢できる』と言うんです。返す言葉がすごいんですね。毒もあるし、なるほどとも思うような返し言葉。励まされましたね。じゃあ下手でいいんだな、老いたら下手になるんだな、それをさらそうじゃないかと」

富士山の脇につくった「自分の山」

   国谷「28歳くらいで落語が廃れていくんじゃないかと思っている。真打ちになってこれからというときに、危機感を持っていたというのは不思議です」

   山藤「小さん師匠の門下になった昭和20年代の終わりのころは、昭和の名人、上手が百花繚乱だった。文楽、志ん生、可楽、三木助、金馬…。夢の世界に入ったはずなのに、最初の本で『師匠に教わったままをなぞっているだけじゃ時代に取り残される』と警告を発している。落語界というフィール ドを広く見ていたですね。これは感心しました」

   国谷「その頂を目指さずに外に出た。名人にもなれたでしょうに、何を考えていたんでしょう」

   山藤「私なりに考えると、目指すのは富士山じゃない。富士山にはもう昭和の名人のピラミッドができている。3番手、4番手につきたくない。追い越せもしないから、オレは現代に通用するものを作るぞと脇に自分の山を作った。立川流あるいは談志流という。弟子たちはみなそれに憧れて入っ てきた」

   国谷「夢は叶ったのでしょうか」

   山藤「と思いますね。優秀な弟子に恵まれましたしね。若手もあとを追っかけてるし」

   幕切れに談志最後の「芝浜」の下げ。「死神がよろしくいっておりましたんで(爆笑)、どうぞひとつ…。ありがとあんした」

   談志が好きだというヤツはへそ曲がりだ。「好き」とまではいかなかったが、言葉は耳にひっかかる。これこそが談志の真骨頂。「たが屋」が忘れられない。

ヤンヤン

NHKクローズアップ現代(2011年12月15日放送「人生は落語だ~立川談志が残したもの~」)