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松下金融相73歳追い込んだ70歳愛人明け透け告白―古い手紙も公開

   おととい10日(2012年9月)に死亡した松下忠洋・金融担当大臣(73)と20年 にわたって付き合いがあったという女性の話が、きょう発売の週刊新潮(9月20日号)に載った。大臣はこの件で取材も受けており、これを苦にしたとも考えられる。自殺の可能性が高いとして、警視庁は司法解剖は行なわない予定だ。

「裏表のある人間だと世の中に知ってもらおうと思ったから…」

   記事は「70歳愛人を怒らせた情交21年の後始末」というもので、最近疎遠になった愛人がいきさつを暴露した内容だ。「結局、私は都合の良い女だと思われていたんです」「『愛してる』なんてメールを送ってきますが、私の思いに真摯に向き合っているとは到底思えません」と、これが暴露の動機らしい。

   女性は松下と同じ鹿児島出身で、知り合ったのは建設官僚時代の1991年だった。手紙のやり取りを経て「ホテルで男女の関係になりました」という。松下は93年の衆院選で初当選し、その後も不倫関係は続いた。

   女性は松下の手紙も公表した。「A子さま いつもこまやかな心のこもったお便りありがとう。初めて肌を重ねた熱いニューオータニの朝のベッドを胸キュンで思い出しています。いつのまにかおなかを出して、スキだらけで眠ってしまっているA子姫の白い肌をドキドキして思い出しています。きれいなA子姫様」

   女性は「松下さんは、『お化粧代』としてお金を渡してくれました。だいたい5万円から10万円、多くて30万 円でした」とも話している。3年前、経営していた神戸のラウンジを閉め、鹿児島へ戻った。しかし、松下は鹿児島へ来ても連絡もくれず、それを電話で問いただすと、無言で切られた。「裏表のある人間だと世の中に知ってもらおうと思ったから」暴露したとしている。

   「週刊新潮」の取材に松下は「(昨年は原発現地対策本部長として)福島に打ち込んでいて、全く外界との関係がなくなってしまい、彼女ともそういうこと になってしまった。二人は友人関係、いや確かに男女関係ですが、彼女を裏切ったということは毛頭ない」と語っていた。

先月末に食事した鈴木宗男あてにも遺書

   松下は3通の遺書を残していたが、他にもう1通、親交のあった新党大地の鈴木宗男氏あてのものがあった。その鈴木は8月30日に2人で食事をしていた。そのときは「次の選挙をがんばる」と話していたという。遺書については、「出会ってよかった。この先こうやれという励ましの言葉だった。しっかり胸にきざんで生きていきたい」という。松下は7日の国民新党の集まりに出て、それまではいつも通り。8、9日に鹿児島に帰ったが、「何かあったとすればこの間。東京へ戻っての決断なのかな」と鈴木はいう。

   小松靖アナ「週末までは普通だった。もし自殺だったとすれば、 この週刊誌の女性問題があるのかどうか」

   萩谷順(法政大学教授・ジャーナリスト)「松下さんは何か守らないといけないものがあった。これが自殺の原因だと思いますが、名誉もあるし、わからないまま終わってしまうのかな」と、なにやら奥歯にものの挟まったような言い方だ。小松も赤江珠緒キャスターもしゃべりたくないというのがありありだ。

   街の声は「吹っ切れる歳なのにねぇ」「いまどき愛人がいたってねぇ」とからっとしていた。でも、やっぱり手紙を書いちゃいけない。金を渡しちゃいけない。これが教訓かな。