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気配り森光子―記者会見で報道陣・裏方・テレビスタッフ全員に弁当

   女優の森光子さんが今月10日(2012年11月)、肺炎による心不全で亡くなった。92歳だった。舞台「放浪記」やテレビで活躍し、女優として初めて国民栄誉賞を受賞した。庶民的なイメージで多くの人に愛されたが、波乱に満ちた女優人生だった。「スッキリ!!」は冒頭から55分にわたり森さんを特集し、「放浪記」の名場面、主人公がでんぐり返しをする場面を何回も繰り返し放送した。

「みんなで一緒に食べましょう」気さくな大女優

   1920年(大正9年)、京都市の生まれ。いとこの映画俳優・嵐寛寿郎の縁で14歳で映画デビューした。戦後は喜劇中心に関西で活躍したが、脇役ばかりでなかなか主役はめぐってこなかった。転機が訪れたのは1961年、劇作家の菊田一夫に見出され、林芙美子原作の「放浪記」の主役に抜擢されたことだった。舞台は大ヒットし、生涯の当たり役となり、公演回数2017回を記録した。

   テレビではドラマ「時間ですよ」、ワイドショー「3時のあなた」、「NHK紅白歌合戦」の司会を務め、「日本のお母さん」と親しまれた。2005年に文化勲章を受章、2009年には国民栄誉賞が贈られた。

   大女優だったが、やさしい心配りの人だった。芸能リポーターの井上公造が打ち明ける。「記者会見などで森さんの取材に行くと、取材が終わると弁当が出るんですよ。報道陣ばかりでなく、裏方さんのテレビ局のスタッフやカメラクル―含めてみんなに配られ、森さんも一緒に食べるんです。若い人は感激していました」

苦しかった下積み時代の一句「あいつよりうまいはずだがなぜ売れぬ」

   キャスターのテリー伊藤「素晴らしい人生だった。うらやましい。会うたびにおいしい煎餅をもらった。あんまりおいしいので、お歳暮に配ろうと思って、わざわざ発売元の住所を書いてもらったことがある。細やかな心遣いのできる人だった」。

   そうした優しい気遣いの半面、負けん気の厳しさもあった。「放浪記」の始めごろ肺炎になりかけて入院したが、病院から舞台へ通った。「(ベッドで寝ていると)代役という言葉が聞こえるんですよ。(休んだら)この役を取られちゃうーと思って1回も休みませんでした」

   90歳になっても復帰へ向けスクワットで足腰を鍛錬していた。内科医のおおたわ史絵は「病気というより、大往生と信じたいですね」

   テリーが下積み時代の気持ちを表した森さんの一句、「あいつよりうまいはずだがなぜ売れぬ」を紹介し、「苦しい時期もあった森さんの人生経験を知ると、『放浪記』がヒットしたのは、その人生背景があったから人を感動させることができたんだなとわかりますね」

   日本の女性、日本のお母さんは強い。そのことを身をもって示した女優だった。