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小林カツ代さん死去「私は死んじゃっても、レシピはその家に料理として残る。嬉しい」

   早く・簡単・うまい家庭料理で1990年代、昼の茶の間を明るくした料理研究家の小林カツ代さんが、先週23日(2014年1月)亡くなった。9年前にくも膜下出血で倒れ、ついに復帰はかなわなかった。残した言葉は「死んじゃってもレシピは残る」だった。76歳。

料理研究家の枠飛び出す行動力!動物救済のため「神楽坂女声合唱団」結成

   ワイドショーの顔だった。明るい笑顔と関西人独特のユーモアがあふれる。「私のやり方なら、中華屋さんを超える」「はい、できあがり。あっ、お肉忘れた」

   16年前、テレビ朝日系の昼のワイドショー「ワイド・スクランブル」で共演していた水前寺清子さんは「ざっくばらんだった」と懐かしむ。当時の映像を見ると、「水前寺さん、きれいでしょ。野菜もきれい」なんてやっていた。

   「徹子の部屋」でも若い頃は料理がダメだったという話を披露していた。「まずくて食べられなかった。そのまずさが料理研究家にした」と笑っていた。これがやがて、手軽に入る食材でだれでも手軽にできる料理の考案につながった。

   行動力は料理の枠を飛び越えて、2000年には動物救済のためのチャリティー「神楽坂女性合唱団」をつくって、コシノ・ジュンコ、安藤和津、土 井たか子、クミコ、野中ともよ、小林幸子、山田邦子さんら有名人から無名までを糾合して引っ張った。

贅沢な料理より普通の主婦・母親が作れる料理

   倒れたのは2005年。以来、その姿を見た人は少ない。関係者は「来ない方がいい。必ず連絡するから」と見舞いを断っていた。その日は来なかったが、「死んじゃっても、美味しい私のレシピは永遠にそこの家の家庭料理として残るのが嬉しいわね」という言葉を残していた。

   司会の羽鳥慎一「笑い顔が印象に残ってます。これほどバラエティーに出た料理研究家はいないでしょうね」

   赤江珠緒キャスター「ホントに家にあるもので簡単に作れる料理を教えてくれましたね」

   リポートした原元美紀は意外や合唱団のメンバーだった。たまたま料理の取材にいったら、「あなたソプラノ、やってみない」といわれ、「ええ00、いいんですか」と答えたら、「私、躊躇する人はその場で断ってるの」といったとか。「メリハリがきいた人。明るくて、声が高くて元気。女性が元気な国は栄えるんだあと。ステージでも『関西人の血が騒ぐ』とおっしゃって、10秒に1回お客さんを笑わせないと気がすまない方でした」

   羽鳥「宇治原さんと一緒ですね」

   宇治原史規(タレント)「うーん、足元にも及ばないですね」(笑い)

   合唱団はいまも続いているという。残した著書・レシピ本は200冊を超える。

   立花胡桃(作家)「日本のおっかさん。あまり洗い物をださないとか、見た目よりボリュームとか、母親目線で料理を教えてくれました」