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3・11特集アッキー3年目の東日本大震災・被災地の旅…昼も「あさイチ」特別編

   東日本大震災から3年目ということで、「あさイチ」も特別体制の放送となった。柳沢秀夫解説委員長も久しぶりに参加して「10代が見た震災3年」が取り上げられた。3年前の3月11日に卒業を間近に控えていた中学3年生たちも被災し、3年後の今年は高校を卒業する。家族を失った生徒もあり、「絶対に地元で働きたい」と話す。

   福島県の小中高生の不登校は2011年度に比べて2013年度は9・7%増えたという。全国平均はマイナス1%だ。寺門亜衣子アナは「仮設住宅での生活、環境の変化など震災の影響があるのかもしれません」と伝える。

   被災地を何度も訪れている柳沢「大人とは違った受け取り方があるのでしょう」

福島・三春の仮設住宅で3年…東電福島原発元作業員「子どものためにももう帰らない」

   「ピカピカ☆日本」も被災地の旅だった。アッキーこと篠山輝信(タレント)の「バスで!列車で!アッキーがゆく『復興の地』」だ。篠山は1年前に北海道根室市から宮城県石巻市までを旅し、今回はその石巻から内陸部に寄ったりしながら沿岸部を茨城県那珂湊に向かった。

   この日の放送では福島県三春町にまず出かけた。あの滝桜で有名な町だ。篠山は震災1か月後にここを訪れていて、満開の桜の周りには原発事故から逃げてきた福島県富岡町からの住民たちもいた。3年後どうしているのだろうか。平沢仮設住宅に住む渡辺雄樹さんは3月11日、東京電力福島第一原発で働いていた。避難直後は富岡に変えるつもりでいたが、今は気持ちが変わった。「息子の望に友達ができて、三春の子供として生きているので」と言う。

   井ノ原快彦キャスターが補足した。「原発に勤めていた渡辺さんは廃炉の作業はやりますと言っていました。自分の親と自分たちのマイナスだから子供の世代に押し付けてはいけない、問題の先送りは許されない事だとね」

   篠山はさらに小名浜に向かう。福島で有数の漁港だがいまは水揚げは少ない。市場を見ても並んでいるのは青森や茨城の魚ばかりで福島のものはなかった。漁師によると「以前は地元のものが5割以上だったが、いまは5%だよ」。操業を再開しても漁業の立て直しと暮らしの見通しは立たない。

   9時30分を過ぎて、番組は「解決!ゴハン」コーナーに移っていったが、きょうの「ピカピカ☆日本」はこれで終わりではなかった。昼の定時ニュースのあとに「あさイチ特別編」が放送されたのだ。

茨城・那珂湊「おさかな市場」汚染水流出のニュースのたびに途絶える客足

   12時からの定時ニュースが終わると、「あさイチ」のスタジオが写った。有働由美子、井ノ原快彦、そして久しぶりの柳沢秀夫のキャスターが並んでいる。「おはよ…、いえ、こんにちは」という有働のボケで始まった特別編は、「バスで!列車で!アッキーがゆく『復興の地』」の朝の続編である。

   まず、石巻から二本松までのダイジェスト。石巻市が見渡せる日和山公園に1年ぶりに立った篠山は、さら地になった街を見て「何にも変わっていない」と驚く。街中に住むおばあちゃんは「家が建ったわけじゃないし、全然変わんないよ。そのまんま」と半ばあきらめ顔だ。

   石巻から南はまだ列車が開通していない。代行バスで福島県相馬市に入った。国道沿いの産直売店「野馬土(のまど)」は南相馬から避難してきた農家の人たちが建ち上げたが、売られているジャガイモも玉ネギも北海道産だ。代表の三浦広志さんはこう言う。

「福島の人は県内の農産物は食べない人もいるんです。不安だと。国の安全基準をクリアしていてもね。ですから、独自検査をして毎回公表しているんです。セシウムがどのくらい含まれているのかをね。この数値を出さなければ隠していることになるし、疑惑が解消されないですから」

   三浦代表が主催する原発圏内20キロツアーに篠山も参加した。原発から5キロ地点には無人の住宅が点在し、枯草のさら地には乗り捨てられた漁船が置かれていた。「荒れ果てた光景なのは原発から近いからです。未来はまだ見えないけれど、目の前の物を一つ一つ解決してゆく事で希望につなげていきたい」と三浦さんは溜息をついた。

   今回の終点、茨城・那珂湊には「おさかな市場」があって、ここも3メートルの津波に襲われ1階が浸水、商品すべてが流された。篠山は直後に流れ込んだ泥のかき出しなどを手伝ったが、この時に助けてくれた武練屯待音(ブレントン・ジョン)さんと再会することができた。市場はかつての8割まで客が戻ったが、それでも福島原発の汚染水漏れのニュースが流れるたびに客足は途絶える。武練屯さんは「風評を感じるときはありますよ。でも、お客さんから『放射能、大丈夫なの』と聞かれたら、『そんな魚(汚染された魚)はいま研究所にしかありません』と答えてます」と笑う。

   篠山「今度の旅でよく耳にした言葉が『しょうがない』でした。震災直後は『しょうがないからやるか』というニュアンスでしたが、3年たって疲れてきているのか、折り合いをつけてやるしかない。しょうがないというふうに聞こえました」

   最後に柳沢がまとめた。「被災者に皆さんは1年目はまだ何とか希望を持とうと気を張っていいたが、3年たつと希望に陰りが見えてくるのかもしれない。しかし、私たち一人一人がはそれを失望に変えないことを続けていく必要があると思います」

(磯G)