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中越地震から10年「村を再生しよう!」山古志の新しいふるさと作り「昼間だけの農業従事者」募集

   新潟中越地方を襲った地震から23日でちょうど10年目を迎えた。

   2004年10月23日に中越地方を襲った最大震度7の地震によって、土砂崩れが3000か所以上で起き、60もの集落が孤立状態になった。農家のなかには被害だけでなく働く場を失った人たちも多かった。

   10年を経た現在、被災地では道路などのインフラ面の整備は終了したが、人口の減少に歯止めがかからない。そんななかで、外部からの力を継続的に呼び込んで活力を取り戻したり、残された住民が自らの力で行政機能をになうなど、新たなふるさとづくりに取り組み軌道に乗り始めているところがある。

   逆境の中で住民意識を変えたのは何だったのだろうか。

旧川口町は残った住民で集落連携NPO立ち上げ...バス運行や住民相談窓口

   旧山古志村は農地や住宅が壊滅的な打撃を受け、震災2日後には住民2200人全員が市街地への避難を余儀なくされた。村役場の青木勝氏は住民アンケートで9割以上が「元に戻りたい」と回答したのを受けて、住民が戻ってくるのを最大の目標に復興プランを仕上げた。ところが、プラン通りにはいかなかった。その後の人口推移をみると、被災2年後から急速に人口が減り始め、現在は約5割にまで落ち込んでいる。地震前に100人いた住民のうち、残ったのは30人ほどになった集落もある。

   地震から3年目に戻った元区長青木幸七さん(77)は集落の維持をどうするかに頭を悩ます。離れていった住民に戻ってもらおうと、少ない住民で除雪や草刈りをし伝統の闘牛も復活させた。それでも離れた住民が戻ることはなかった。

   これまでのやり方に限界を感じた山古志は、別の形で地域の再生を進める必要性に迫られた。青木勝氏も「人口の減少に固執せず、日中だけ農業に従事する人を増やすことが最も大切だ」と考えるようになったという。

   その一つが新たに作った牧場だ。美しい毛を持つ南米アンデス原産のアルパカを飼育し、可愛いアルパカの人形や上級品の毛を使った衣料が産業になりつつある。

   旧川口町は震源地が町のほぼ真ん中で最大震度7が記録された。地震の前はここに120の集落があり5000人が暮らしていたが、7割以上の住宅が全半壊し、多くの人が地域を離れ行政機能も縮小せざるを得なくなった。そこで始まったのが、行政に頼らないで集落の活力を維持する取り組みだ。

   3年前、すべての集落の住民が集まり、集落同士の連携組織としてNPO法人「くらしサポート越後川口」を立ち上げた。現在、200世帯が会員になっている。住民からの要望や意見を集めるため住民相談窓口を週6日開き、年会費や事業収入で町づくりを進めている。こうしてできたのが山あいの集落をつなぐコミュニティーバスで、NPO法人が運営し、住民も「これなくしては生きていけないね」というほどに活用されている。

外の人にもオープンなコミュニティー

   山古志村の復興に携わった長岡造形大学の澤田雅治准教授はこう解説する。「村を離れた人の多くは、子育てしている人だったり、勤めている村の次を担う人たちでした。本当はそこに住む人だけで協力して村の生活を維持したいというのが本音だと思いますが、住む人が減ってしまった現状では外部の人の力を借りることが重要だということに気付いたのではないでしょうか。被災したあとのボランティアとのかかわりで、外の協力を仰いだことでいろいろな成果が出たという実感があったのではないでしょうか」

   国谷裕子キャスター「被災地を見つめてこられて、住民の意識変化のカギとなったのは何ですか」

   澤田准教授「自分たちで何かをやろう、自分たちで考えよう、自分たちで一歩を踏み出そうということになったことと、外の人に対しオープンな環境を作ることができるようになったのも大きいと思います」

   ようやく山間の雲の隙間から暁光が差し込んできたというところだろうか。ただ、過疎化、高齢化を抱える他の中間山地の将来を占う試金石の役割を果たすには、次の10年でこの地域がどうなっていくかにかかっており、茨の道は続きそうだ。

モンブラン

NHKクローズアップ現代(2014年10月22日放送「新しい『ふるさと』へ~新潟県中越地震 10年目の模索~」)