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「ザ・ワイルドワンズ」加瀬邦彦さん自殺!ポール・マッカートニー公演初日

   ザ・ワイルドワンズのリーダーでグループサウンズ時代をリードし、作曲家、音楽プロデューサーとして日本の音楽シーンを引っ張ってきた加瀬邦彦さんがなくなった。74歳だった。

   東京・港区の自宅で倒れているのが見つかったのはきのう21日(2015年4月)朝で、家族が見つけ110番通報した。「スポーツ報知」によると、加瀬さんは喉頭がんの手術後、呼吸用のチューブを喉に通して生活していたが、発見された時はチューブがふさがっていた。加瀬さんが自らチューブをふさいで自殺を図った可能性が高い。警視庁も事件性はないとしている。

武道館で40周年ライブ「僕たちはここでビートルズを見て、このステージに立ちたいなと思った」

   ザ・ワイルドワンズは俳優の加山雄三が名付け親だった。「産まれたままの自然児」という意味で「想い出の渚」(昭和41年)でデビューし、「愛するアニタ」「青空のある限り」など数々のヒットを飛ばした。

   加瀬さんは解散後は作曲家としてアン・ルイスの「女はそれを我慢できない」、沢田研二が歌った「Tokio」などがある。また、プロデューサーとしてジュリーの企画などに関わった。06年にはザ・ワイルドワンズ結成40周年のライブを日本武道館で行って、「僕たちは40年前ここでビートルズを見て、このステージに立ちたいなと思った。いま夢がかなった」「グループサウンズにこだわってみたい。こういう時代があったんだと、もう1回みなさんに楽しんでいただきたい」とあいさつした。

喉頭がん見つかり声帯切除

   53歳の時に食道がんになり胃の3分の2を摘出し、14年に咽頭がんがみつかって声帯を摘出した後は音楽活動を停止していた。それでも、加瀬さんのライブハウスでワイルドワンズのライブは続いていて、あす23日が予定の日だった。来年16年には50周年記念コンサートも計画されていた。

   司会の羽鳥慎一「声帯切除はねえ。アーティストですから」

   リポートの山崎寛代「もし自ら命を絶ったとすると、この日はポール・マッカートニーの大阪の公演の初日だったんです」

   羽鳥「偶然とは思えないですね。加瀬さんのなかで思いを巡らしたことがあるのかなと思ってしまいます。区切りを付けたのかな」

   羽鳥はまたこんなことをいった。「私たちの世代はグループサウンズに思い入れはないんですが、こうして聞いてみると『知ってる』曲なんで すよね」