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「水俣病」60年前の極秘メモ!最優先された加害企業チッソ支援・・・被害者切捨て

   今も多くの人が苦しむ水俣病が公式に確認されてから60年経つ。昭和43年に水俣病の原因がチッソの工場から出る排水だと断定されたが、当初は原因不明の奇病とされていた。チッソは排水が原因との見方が出てからも排水を継続し、被害を拡大させた。水俣病患者や家族は治療法もないまま放置され、差別の目にさらされた。

   また、水俣病の認定や補償のハードルは高く、症状を訴える人の1割ほどしか認定されていなかったが、そのターニングポイントとなったのが昭和53年前後だという。加害企業であるチッソに国からの資金が投入され、救済される一方で、水俣病の症状を訴える人に対しては、あらたな認定基準の通知が出た。通知以前は申請した人の51%が認定されていたが、以後4・9%に激減した。

   水俣病にくわしいノンフィクション作家の柳田邦男氏はこう話す。「認定基準を非常に厳しくしたために、たとえば家族5人のうち4人が認定されたのに、1人だけが診断症状が1つ足りないので認められないという不合理が起こりました」

市幹部、政治家、政府が連携して有機水銀原因説握り潰し

   NHKは53年前後の状況がわかる貴重な資料を入手した。チッソの元副社長が残した「極秘メモ」の写しだ。それによると、「水俣市はチッソで生きているのです」と、経営難に陥っていたチッソ救済を求める水俣市幹部、政治家、政府が連携してチッソ支援の枠組みを作り、署名活動などを行って支援の機運を盛り上げていたという。一方で、増え続ける水俣病患者への補償の財源を懸念し、内閣審議室長は「補償協定の改定、あるいは破棄をせよ。そのままでは、ザルに水を注ぐがごとしだ」などと指示した。

   柳田氏「認定基準を作るプロセスで、政治と行政と企業が立体的に絡み合いながら作っていったという構造が明らかになりましたね」「政策にはいつも『財源』という言葉がついて回るが、この資料には国の責任ということが出てこない。水俣病が非常に大きな問題になった第1原因は、昭和34年に(厚生省)の部会が『水俣病の主因は有機水銀』と答申していたが、閣議決定で原因不明にしてしまった。すでに死者が数十人出ていたが、それ以後、(チッソの排水は継続され)増えてしまう。そういう責任が国策としてあるにも関わらず、財源という事の枠の中だけで解決しようとしているところに大きな問題がありました」

認定患者に他する偏見と嫌がらせ「さっさと逝っちねくらいの調子だった」

   こうしたなか、患者や家族はさらに追い込まれていった。水俣病の第1号認定患者の姉である下田綾子さんは、患者がチッソの経営に負担をかけていると周囲の目が一層冷ややかになっていった話す。「そのころはチッソの味方が多かっただな。『(補償金)もらえれば、分限者(金持ち)になってよかった』とか、『いろんな物が買えてよかった』とか。いろいろあった。口に言われんほどあった」

   妹を看護し続けた下田さん自身も、長年、手足のしびれやけいれんに悩まされ、身体が動きづらくなっていったという。若いころは差別をおそれて認定申請しなかったが、新基準後に申請した。しかし、認められなかった。

「(今回の資料などで、国や企業の思惑や動きを知って)たまげて、あいた口がふさがらん。国はもう、こういう人おるなら、さっさと逝っちねくらいの調子だ。煩悩(思いやり)のなかばい。人間的でなか」(下田さん)

*NHKクローズアップ現代+(2016年8月23日放送「『加害企業』救済の裏で~水俣病60年『極秘メモ』が語る真相~」)