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独裁追認のカンボジア総選挙!それでも生き続けている中田厚仁の「平和と民主主義を諦めない」

   先月29日(2018年7月)に行われたカンボジアの総選挙は、与党の人民党が議席をほぼ独占した。フン・セン首相は選挙前、最大野党のカンボジア救国党の党首を国家反逆罪で逮捕し、解党に追い込んでいた。選挙とは言えない独裁追認のインチキで、欧米各国は強く非難しているが、そんな選挙でも、カンボジア国民が思いだす日本人の名前がある。「アツ」と親しまれた中田厚仁さんだ。

   生きていれば今年50歳。カンボジアで25年前、反政府勢力に撃たれて25歳で亡くなった国連ボランティアである。いま、「アツ」という名の村や学校がいくつもある。武田真一キャスターが「中田さんと同学年なんです」という。

殺害から25年・・・選挙監視の国連ボランティアで「国の将来をあなた方が決めるのです」

   カンボジアは1970年代のポル・ポト勢力の虐殺と泥沼の内戦を経て、1992年に国連が介入し、93年に初の選挙が行われた。日本も初めてPKOを派遣し、中田さんは選挙監視のボランティアに応募した。原点は父と訪れたアウシュビッツだったという。学生時代から「夢は世界を平和にすること」といっていた。

   中田さんが現地の人たちに選挙の意義を話す映像があった。「国の政治をどうやって決めますか。撃ち合って? 話し合って? それをあなた方が決めるのが選挙なんです」。笑顔で選挙登録の写真を撮っている姿もあった。

   まだ、ポル・ポト派と政府軍の武力衝突は続いていた。中田さんはその最先端の村が大事だと、プノンペンから200キロ離れたコンポントム州に入った。自ら撮った映像で「500メートル先はポル・ポト派の村です。先ほど銃声がしました」などと話していた。選挙に反対のポル・ポト派からは、選挙事務所に「攻撃予告」など脅迫が続いていた。

   大学の後輩で、中田さんの恋人だった小林真理子さんにあてた15通の手紙には、「厳しい土地に派遣されて本当に良かった」「開けゴマ。念ずれば必ず望みは叶う」「もうだめだと思うこともありますが」などとあった。

   電話もあった。小林さんは「声の緊張感が普通じゃなかったです。追い詰められていたと思います」と話した。その2日後の4月8日だった。中田さんは車で移動中に拉致・監禁され、頭を撃たれた。

「アツの残してくれたメッセージを守る」子供たちに遺志伝える教師

   同僚の黒田一敬さんが弔辞を読んだ。「中田君は、いつまでも、僕たちの心の中にいてくれます」。年も近く、2人は話し合った。中田さんは絶えず、「私たちでなければできないことが、きっとあるよね」「誰かがやらなければいけないなら自分がやる」と言っていた。「力強いメッセージでした」と黒田さんは語った。

   中田さんの四十九日は選挙だった。中田さんが担当した地域の投票率は99.9%だった。投票箱から、中田さんへの感謝のメッセージが次々に出てきた。「ポル・ポトに父を殺された私に、友達のように接してくれた」「選挙で初めて自分の意思を示した。嬉しかった。ありがとう」

   中田さんの遺志を引き継ぐ教師のカー・ヒンさんは子供たちに絶えず、「アツ」を語る。今回の総選挙で、投票用紙に「本当の民主主義を守ってほしい」と抗議の言葉を書いた。無効票となるのは承知の上だ。

   ヒンさんは「自分の意思で選挙に行くという、アツが残してくれたメッセージを守りました。より良い民主主義のための1票です」と語る。

   黒田さんの人生も中田さんの死で変わった。彼のメッセージを背負って、この25年、16か国で国連の選挙支援に携わってきた。先月23日(2018年7月)、今度はパキスタンに発った。やはり選挙支援である。

   中田さんの父武仁さんは、ボランティア支援基金を設立。2016年に亡くなるまで、「ボランティア名誉大使」として、世界50か国に息子のメッセージを伝え続けた。講演は3000回を超えたという。国連事務総長特別代表だった長谷川祐弘さんは「自分に何ができるかを知って、それを全うしていく意志だ」と中田さん父子をたたえた。

   *NHKクローズアップ現代+(2018年8月2日放送「アツが教えてくれたもの~ある日本人青年の生きざま~」)