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「鎌倉殿の13人」 りくの愛息・北条政範の死のナゾ 「吾妻鏡」記述に残る疑問も
<歴史好きYouTuberの視点【第35回 苦い盃】>

   NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の9月11日(2022年)放送回は「第35回 苦い盃」でした。登録者数12万人を超える人気歴史解説動画「戦国BANASHI」を運営するミスター武士道が、「第35回」の解説動画で最も熱く語りたかった「ツボ」は?

   動画内容を軸に再解説します。次回放送をより楽しむための準備・復習にもお役立てください。(ネタバレあり)

  • 歴史解説YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」 鎌倉殿の13人「第35回」解説動画より
    歴史解説YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」 鎌倉殿の13人「第35回」解説動画より
  • 歴史解説YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」 鎌倉殿の13人「第35回」解説動画より

北条一門の中では特別扱い

   いや~乱世乱世。どうも歴史好きYouTuberのミスター武士道です。 鎌倉殿の13人第35回『苦い盃』では、北条と畠山の対立が描かれました。これまで、『見栄え』の良さが強調されてきた畠山重忠ですが、その内に秘めたる思いはまさに坂東武士。執権・時政の横暴に対し、敵意をむき出しにする姿は圧巻でした。

   さて、今回の騒動の一因にもなった北条政範の死には多くの謎があります。今回はこの謎を紐解いていきましょう。

   まず、北条政範という人物について整理します。

   彼は執権・北条時政とその後妻・牧の方(ドラマ中のりく)との間に生まれた子で、時政にとっては4番目の男子ですが、北条一門の中では特別扱いを受けていました。

   政範は17歳の若さで従五位下に叙されており、これは兄・義時(当時42歳)と同じ位階です。また、義時が「江間義時」を名乗っていたことからも政範が北条時政の跡継ぎとして内定していたと考えられています。

   政範がこのように優遇されたのは、義時や時房と違って、牧の方の生んだ男子であるということが大きかったようです。

   元久元年(1204年)、3代目将軍・実朝の妻を京へ迎えに上がる一行に政範は加えられます。

   『吾妻鏡』によると、実朝は自らメンバーを選抜し、容姿の良い者を集めたようです。

   『閑谷集』という郷土資料でも、政範は「木高き花影」と評されており、いわゆるイケメンだったと想像できます。

「明月記」からもうかがえる事件性

   そして、京に上った政範は、突如として病にかかり死んでしまいます。道中から病気を患い、ついに死去したと『吾妻鏡』には記されます。

   しかし、『吾妻鏡』の記述には多くの疑問が残ります。

・鎌倉を発つ頃には元気だった17歳の若者が、道中で病にかかったからと言って、たった数日で死んでしまうことはありえるのか?

・政範は死去してすぐの翌日に埋葬されているが、なぜ仏事などを執り行わずさっさと埋めてしまったのか?

・政範が死去の前日に開かれていた酒宴で、平賀朝雅と畠山重保が口論をしていたことが伝えられているが、何について口論していたのか?

   また、京の貴族・藤原定家の日記『明月記』には、政範と共に「兵衛尉」なる人物が死去したと記されています。『明月記』にも詳細は記されていませんが、同時に二人も死者が出ているのはやはり不自然です。

   これらのことから、政範の死には事件性があったのではないかと考えられています。

   鎌倉殿の13人では、政範の死は「次期執権の座を狙った平賀朝雅による毒殺だった」という描き方がされましたが、荒唐無稽な脚色ではないと言えるでしょう。

   それではなぜ、『吾妻鏡』には事件の真相が記されなかったのでしょうか。

   これは私の個人的な見解になりますが、『吾妻鏡』のストーリーの都合上、これらの事件はうやむやにされたのではないか?と考えています。

   『吾妻鏡』の中では牧の方はわかりやすく悪女として描かれています。策謀を巡らせ、無実の畠山重忠を亡き者にし、将軍・実朝までもを廃して、自分の身内を次期将軍に擁立する。しかし最後は、多くの御家人たちから反感を買い、時政と共に失脚してしまう。

   そして、時政の跡を継ぎ、義時、泰時が新たな幕府を形作っていく。

   もしかしたら、私が牧の方に肩入れしすぎなのかもしれませんが、彼女は北条氏の負の部分を押し付けられて鎌倉を去った、スケープゴートにされてしまったのではないでしょうか。

   もしそうだとしたら、「愛息・政範が陰謀によって毒殺されてしまった。牧の方も被害者だったのである」という牧の方を悪役にするには都合の悪い事実が隠ぺいされてしまったとも考えられるのです。

   重ねて申しますが、これはあくまで私の推測にすぎません。しかし、こうやって行間を推測することもまた歴史の楽しみだと私は思っています。

さて、今回の記事はここまで。ドラマに関するさらに詳しい解説は、是非動画をご覧ください。それではまた来週もお会いしましょう。さらばじゃ!

   【追記:参考文献など】今回の参考文献は、『史伝 北条義時 武家政権を確立した権力者の実像』(山本みなみ著、小学館)、『中世武士 畠山重忠』(清水亮著、吉川弘文館)、『北条時政』(野口実著、ミネルヴァ書房)など。エビデンスには細心の注意を払っておりますが、筆者は一歴史好きYouTuberであり、歴史学者・研究者ではございません。もし、間違い指摘やご意見などございましたら、この記事や動画のコメント欄で教えて頂ければ幸いです。

   <第35回解説動画は、(J-CAST)テレビウォッチのオリジナル記事下動画や、YouTubeチャンネル「戦国BANASHI」からお楽しみください>


++ 「ミスター武士道」プロフィール
1990年、三重県四日市市生まれ。年間100冊以上の歴史に関する学術書や論文を読み、独学で歴史解説や情報発信をするYouTuber。
一般向け歴史書籍の監修、市や県などの依頼を受けて、地域の歴史をPRする動画制作なども手掛ける。2019年に歴史解説チャンネル「戦国BANASI」を開設。2022年夏には登録者数が12万人を突破した。