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『日報隠蔽』の著者に聞く(上) 「PKO日報」、だれが隠したのか?官僚にとって「国民は敵」なのか

   「存在しない」「見つからない」といわれた防衛省の「PKO日報」。結局、南スーダン、イラクと立て続けに見つかった。なぜ官僚たちは、法律に背くようなことをしてまでも国民の目から大事な公文書を遠ざけようとするのか。

   南スーダンPKOの日報隠し問題を掘り起こし、徹底追及した在野のジャーナリスト、布施祐仁さんがこのほど当時の朝日新聞元アフリカ特派員、三浦英之さんと共著で『日報隠蔽』(集英社)を出版した。J-CASTニュース編集部が、二人に「日報隠し」が抱える問題の根深さなどを聞いた。

  • 布施祐仁さん(左)と三浦英之さん(右)
    布施祐仁さん(左)と三浦英之さん(右)
  • 布施祐仁さん(左)と三浦英之さん(右)

「公文書の扱い方あんまりだよ」

――森友学園問題で公文書改ざんが、自衛隊はまた日報隠し。思いがけないタイミングでの著書出版となりました。

布施三浦 僕らも驚いています。

――「日報」というのは活動記録。それが防衛省にあるはずだということを最初に気づき、情報公開請求をしたのが布施さんでした。

布施 ほかの資料を請求しているうちに、どうもそういうものがあるようだということが分かったんです。

――2016年9月30日に請求して、2か月以上たって防衛省から12月9日に「廃棄した」という回答がありました。

布施 驚きました。自衛隊にとっても大事な一次資料ですから、廃棄はあり得ないと思いました。「公文書の扱い方あんまりだよ。検証できないじゃん」とツイートしたら、猛烈な勢いで拡散しました。

――そしてマスコミの取材合戦が始まり、17年2月、ついに政府は日報の存在を認めました。「防衛省『日報』保管も公表せず」を特報したNHKの取材班が17年度の新聞協会賞を受賞しました。7月には稲田朋美大臣が辞任、それだけ大きな事件だったということですね。三浦さんは、「布施さんの成果」だと本書で強調していますね。

三浦 僕は当時、特派員としてアフリカにいました。これは新しいタイプの事件だな、この経過はしっかりと記録として残した方がいいな、と思いました。ジャーナリズムの「テキスト」としてスタンダードになるかもしれないと思って。いきなりでしたが、布施さんに連絡を取ったんです。
布施 ツイッターでしたね。
三浦 そう。僕の場合はマスコミに所属していて、布施さんはフリーな立場にいる。そうした立場の違いを超えて、一緒にジャーナリズムに特化した本を作れたら、面白いんじゃないかと。非常に珍しいケースだと思います。僕はアフリカの現場にいて、布施さんは日本にいた。南スーダンのPKOで一体何が起きたのかを探るという目的は同じなのだけれど、それぞれ全然違う入口から入っていって、徐々に双方が引き寄せられていき、最後にガチッと咬み合っていく感じで構成を考えました。これも新しい試みだと思います。具体的には、村上春樹さんの『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』をイメージして作りました。

――在野のジャーナリストと一緒に本を出すことで、朝日新聞の中では特に問題にはなりませんでしたか。

三浦 特にありませんでした。ただ僕は普段から周囲の雑音はあまり気にしないようにしているので、本当はあったのかもしれませんが(笑)。

――三浦さんは以前から布施さんに注目していたそうですね。

三浦 布施さんのツイッターをずっと読んでいました。自衛隊や安全保障に関して言えば、今、間違いなく日本で最も詳しいジャーナリストの一人だと思います。だから、一緒に組ませていただけることになったとき、非常に光栄に感じましたし、読み応えのある作品を作ろうと思いました。

――面識がなくても仕事ぶりがわかる。

三浦 SNSの普及により、僕らは、在野のジャーナリストがどういう仕事をしているのか、明確に見えるようになってきました。逆に、三浦英之がどういう仕事しているかっていうことも見えてしまう。僕はそのことを日頃から強く意識するようにしています。朝日新聞がではない、三浦英之がどう書くのかと。だから、ツイッターでも、僕を「朝日新聞の記者だから」という理由だけでなく、「三浦英之だから」とフォローしてくれる人がいるんじゃないかと思っています。SNSの登場によってジャーナリストの実力がどんどん可視化されてきている。その点から言っても、布施さんの仕事は丁寧だし、突破力があった。今回の「日報隠蔽」に関しては、基本的には完全に布施さんの仕事で、情報公開請求をして政府を追い詰めたのは彼です。僕の仕事はアシストというか、彼が書き表せなかった現場の側面を補完して説明する。それを常に意識して本の執筆に臨みました。お手伝いさせていただくからには、『日報隠蔽』を読むことによって、読者が一連の問題を深く多面的に理解しやすくなるよう、構成や文体を工夫しました。

取材に行きたいが、ビザが出ない

――布施さんは、情報公開って前々からやっておられますよね。それは何か、端緒っていうのがあったんでしょうか。

布施 そうですね、いまイラクPKOの日報問題が話題になっていますが、実は私もかなり前にイラクには2度ほど取材で行って、いろいろ見てきているんです。2004年に人質事件が起きましたよね。日本人のエイドワーカー(人道支援者)やジャーナリストが現地で拘束されましたが、知り合いもいたので、他人事とは思えませんでした。
 その時に、当時自衛隊がいたサマーワから、防衛記者会に所属しているマスコミが全部、自衛隊に輸送してもらって、国外に出たんです。危なくなったからということで。以後も、自衛隊はイラクで活動を続けていましたが、現地がどうなっているかという一次情報がほとんど出てこなくなった。フリーの記者が入ろうと思っても、ビザが取れない。

――現地の状況がわからない状態が続いたわけですね。

布施 自衛隊がいたところは、「非戦闘地域」のはずなんですが、同じ地域で活動していたオランダ軍兵士が多国籍軍の占領に反対する地元の武装勢力の襲撃を受けて亡くなったりしている。これは「非戦闘地域」とは言えないだろうと思っていたんですけど、現地に行けない。であれば、情報公開制度っていうのを使って、自衛隊自身はもちろん現地の状況を記録しているはずですので、そういうものをちょっと引き出せないかな、と思ったのが最初ですね。
 やっていくうちに、なかなか出てこないんですけども、防衛省側のいろんなミスとかもあって(笑)出しちゃいけないものを出しちゃったりとかですね(笑)そういうこともたまにあって。それなりに数をやっていけば、メディアで報道されてないような事実も出てきたりしました。徐々にですが、情報公開制度の有効性っていうのを感じていた。 そういう延長線上で、この南スーダンに関しても、本当のところは現地に行きたかったんですけど、情報公開制度も使いながら、政府が隠している実態っていうものを、引き出せたらいいな、引き出したいなと。

――なるほど。

布施 特に、2015年の9月に安保関連法が成立して、これまでの日本の安全保障ができなかったことを、解釈を変えることでできるようにしちゃったわけですよね。集団的自衛権もそうですし、PKOで言うと、駆けつけ警護っていうのも、これまで「できない」って言っていたものを、憲法を変えずに解釈を変えて、できるようにしてしまった。
 それを最初に、南スーダンで実行するというのは非常に重要な問題だし。やっぱり現地の状況や、本当にPKO5原則が維持されているのかを検証する必要があるなと思い、いろんな文書の開示請求を始めたわけです。

組み合わせがうまくいった

――防衛省の記者クラブの記者っていうのは、そういう請求はしないんですか。

布施 どうなんですかね、よく言われるんですけどね。大手メディアの取材を受けて、「本来こういうのは、私たちがやるべき仕事でした」とか(笑)。意外にやってないんですかね。ちょっとその理由はわからないんですけれども。私はマスコミに所属していないので、大手がやることは別にやる必要ないわけですよね。だからある意味、やってないところをやろうっていうのはありますよね。

――「平和新聞」の編集長だそうですが。

布施 3人ぐらいでやってるNGOの新聞です。部数は1万5000部ぐらい。もう10年ちょっとやっています。ある意味、「専門紙」ですので、平和とか安全保障に関する問題をずっと継続的に追いかけることができる利点はあります。

――布施さんは、『ルポ イチエフ 福島第一原発レベル7の現場』(岩波書店)で日本ジャーナリスト会議によるJCJ賞などを受賞していて、ほかにも、『災害派遣と「軍隊」の狭間で―戦う自衛隊の人づくり』(かもがわ出版)とか、何冊もの著書がある。三浦さんも、『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』で第13回開高健ノンフィクション賞を受賞している。実績、力量のある二人がタッグを組んだ、という感じですね

三浦 布施さんは非常に情報収集能力、論理構築能力っていうのが優れているんです。英語もできるし、国際的な情報も全部仕入れた上で文章を構築している。優秀な官僚になれる人です(笑)。
 僕はどちらかと言えば、現場行って、写真を撮ったり、そこで暮らす人々のインタビューを通じて、物事の本質を見極めていくタイプ。僕は、僕が目にした現実を、自分の言葉で伝えたいという欲求が強い。現場で見たものが人の心に届くようにするために、何度も内省を繰り返し、推敲を重ねる。確かに今回の共著は、タイプの違う二人のジャーナリストが、それぞれの利点を持ち寄って作り上げた本だと言えるかもしれません。
布施 隠蔽というのは必ず痕跡を残すんですよね。どこかに矛盾が出る。その矛盾をひとつひとつ追及していくことで、政府が隠そうとしている事実を表に引っ張り出すというのが、今回の僕の仕事だったのかなと思います。そういう意味では確かにロジカルですよね。官僚には絶対なれませんが(笑)。でも、本当は、現場を自分で歩いて、そこに生きる人々にじっくりと話を聞いて、ルポルタージュを書く方が好きです。今回、三浦さんと一緒に「本づくり」をさせていただいて、「どう伝えるか」という点でとても刺激を受けました。

議論の根拠になる

――さて、「隠ぺい」「改ざん」ですが、なぜ同じようなことが繰り返されるのか。官僚はなぜ、公文書を国民の目の届かないところに置こうとするのか。まず、最初に公文書を入手する必要性についてお話ししていただけますか。

布施 PKOに関して言えば、僕らが日本にいて、現地で起きているのは「戦闘」だと言っても、政府に「衝突だ」と言われてしまえばおしまいなんです(笑)。でも実際に現地で活動している自衛隊自身が、その記録に「戦闘」と書いていたとするなら、これは説得力がある。そういう意味で、政府自身の文書を入手して、それを根拠に議論していくのは、非常に重要だなと思いますね。
 去年の2月の上旬、南スーダンの日報が出てきて、国会で議論が始まる。野党は、日報に「戦闘」って書いてあるじゃないかと。単に言葉だけじゃなく、実際に戦車が出てきて、ヘリも出てきて、負傷者も出てみたいな、かなり激しい戦闘が起きているじゃないか。これはPKO5原則維持されていないんじゃないか。そういう議論ができるわけですよね。それに対して、稲田大臣、政府側は、とにかく答えなきゃいけない。
 当時ちょうど三浦さんが現地にいて、実際に取材して、自衛隊の宿営地の隣で2日間、激しい戦争があった、政府軍が市民をこういうふうにレイプをしている、虐殺しているという証言を新聞で書いてたんですね。あれは日報に書かれている事実を、まさに現地にいる日本人の記者が裏付けていた。それがあの時期、自然に連携する形で同時に進んでいったというのは、非常にタイミングも良かった。

民主主義の底が抜けている

――公文書というのは、役所が出してきたり、出さなかったり。誰の判断なんでしょうか。

布施 日報で言うと、現地の派遣部隊の上の中央即応集団司令部という陸上自衛隊の部隊があり、そこがまずは直接担当します。ただ、請求した僕のもとに届くまでには、いろんな決裁ルートを通る。今回で言えば、中央即応集団司令部が「日報はあるけど、個人資料の扱いにして開示しない」という判断を、陸上自衛隊を統括する陸上幕僚監部というところに上げ、そこが了承したうえで大臣官房に上げます。大臣官房は、日報を保有している可能性がある統合幕僚監部にも確認のうえで、最終的には防衛省全体として「日報は存在しない」という決裁をしました。つまり、組織ぐるみで隠蔽ということです。

――テレビを見ていると、官僚のOBとか出てきて、黒塗りで出す文書のことを「海苔弁です」とか言って、当たり前のような顔で話していますよね(笑)。何か違和感があるというか(笑)、どうしてああいう人は、「海苔弁」と言って、平気な顔しているのかなっていう感じを持つ人も多いんじゃないかと思うんですけども。

三浦 今まさに決裁文書などの公文書の取り扱いが問題になっていますけど、そもそもは、私たちの税金を使って役人が作った文書、それは「公」の字が表しているとおり、「我々の文書」なんですよね。
 「彼ら」は、少しでも問題があるところは黒塗りにしようとするけれど、本来は全部オープンにしなければいけない。それがいわゆる公文書公開の原則です。個人情報や国家間の取り決めなど、きわめて限られてケースに限り隠すことができるという原則が、今は多分に拡大解釈されているように思います。
 ではなぜ、行政は「隠す」のか。そこにあるのは組織防衛や、いわゆる保身ではないのか。自分たちにとって都合が悪い情報が外に出ないよう、必死に「守り」に回ってしまっている。でも、官僚にとって、僕たちは「敵」なのでしょうか。本来は国民の味方であるはずの官僚が、今回の問題では立ち位置を誤り、国民の敵、いわゆる「パブリックエネミー」に成り下がってしまっている感が否めない。
 公文書に書かれていた「事実」が改ざんされたり、隠蔽されたりしてしまうと、もう民主主義の場では議論が成り立たなくなってしまいます。だからアメリカやヨーロッパの国々では、公文書っていうものを非常に大切にする。
 それができない日本は今、民主主義の底が抜けてしまっているような状況です。森友問題もそうですし、南スーダンのPKO日報隠蔽もそう。今回のイラクもそうですけど、ここまで連続して公文書が改ざんされたり、隠蔽されたりしていると、何が本当で何がウソなのか、国会で議論されていることが何も信じられなくなってしまう。個人的には「民主主義が本当に危険な状態になっているな」と強く感じています。

「射撃許可」まで出ていた

――最近は何でも政府の「大本営発表」だけ信じろ、みたいな空気がありますね。

三浦 そうですよね。でも、実際にアフリカの現場を見てみると、政府の発表はまるでデタラメだということがすぐにわかる。私は何度も「結局すべて嘘なんじゃないか」と現場で思いました。
 現場の情報が全く伝わっていってない。でも調べてみると、現場はちゃんと報告している。そこまではOK。でも、そこからどうして「戦闘はない」というような議論になってしまうのか。僕は非常に疑問を持っていました。現地では自衛隊の取材は原則ダメなのですが、でも何人かの関係者とは接触はできるんですよ。その時に感じた現場の持っている危機感っていうのは、それはそれは大変シビアなものでした。

――実際に戦闘があったわけですね。

三浦 南スーダンでは2013年12月に、初めて首都のジュバで、政府軍と、当時はいわゆる副大統領派との大規模な戦闘があった。その数か月後に僕が最初に南スーダンに行った時に、大規模戦闘の少し後に起きた事案について、派遣部隊の隊長が直接私にこんな話を聞かせてくれた。近くで銃撃戦があって、全隊員に武器の携帯と銃弾の装填をさせた。自己防衛のためなら撃てという「射撃許可」まで出していたと。そんな重大情報を派遣部隊の隊長自らが僕に伝えたんです。それがたぶん当時の現場の危機感です。なんで朝日新聞の記者にそれを言ったのかって言うと、それは日本に伝えなきゃいけないと、じゃないとたぶん、このままだと撃つか撃たれるかになってしまうと。

――復興支援どころじゃないですね。

三浦 この状況を、実はPKOへの参加時には想定してないんですよね。本来は復興支援で行ってるのに、実際は南スーダン政府軍を撃つとかですね、想定もし得なかった6段階も7段階も上のレベルの判断を、現地の自衛隊員はギリギリのところでやっていたわけです。現場はそれを僕に伝えたかったんだと思うのです。
布施 当時の記録を私はいち早く情報公開請求をして入手していたんですけど、その中で、現地の部隊が何をいちばん心配したかと言うと、日本政府は派遣継続ありきで、結局、戦闘が起こっても自衛隊は残ってしまったということでした。
 戦闘が起こると、国連の任務ってガラッと変わるんですよ。昔は戦闘が起これば国連全体の活動を停止したり、引き揚げたりしていたんですけれども、今のPKOというのは、文民保護が最優先の任務。武器を使って戦闘をしてでも、文民を保護しなければいけない、というふうに変わっているんですよね。
 となると、自衛隊にはできないんですよ。だから、政治は、いち早く現地の情報を正確につかんで、判断する必要がある。そのためには現場はちゃんと現地の状況を早く伝えなきゃいけない。そういうある種のメッセージを現場が発しているにもかかわらず、また2016年の7月に、再び大きな戦闘の状況を迎えてしまう。本来はその前に、そういった問題を解決してなくちゃいけなかったのが、13年の戦闘の時に情報が開示されず、議論が結局なされずに、2016年の7月を迎えてしまったところに、根本的な問題があると思います。

――情報が隠されるから、判断が狂う。なんだか戦前の日本軍みたいですね。

布施 その通りです。戦前の日本は、大本営発表で国民には軍にとって都合の良い情報だけが流され、国民の多くは自国の軍隊が海外で何をやっているのか知る術がないまま戦争に協力させられました。今の自衛隊が戦前の日本軍のように暴走して侵略戦争をやるとは思いませんが、それでも、武装した軍事組織を外国に派遣するというのは、国家として非常に重い責任をともなうことです。しっかりとシビリアンコントロールを効かせるためにも、適切な情報公開は不可欠です。

に続く)


●布施 祐仁(ふせ ゆうじん)
1976年、東京都生まれ。ジャーナリスト。『ルポ イチエフ 福島第一原発レベル7の現場』(岩波書店)で平和・協同ジャーナリスト基金賞、日本ジャーナリスト会議によるJCJ賞を受賞。このほか著書に『日米密約 裁かれない米兵犯罪』(岩波書店)、『経済的徴兵制』(集英社新書)、『災害派遣と「軍隊」の狭間で―戦う自衛隊の人づくり』(かもがわ出版)、『主権なき平和国家 地位協定の国際比較からみる日本の姿』(伊勢崎賢治氏との共著/集英社クリエイティブ)など。現在、「平和新聞」編集長。

●三浦 英之(みうら ひでゆき)
1974年、神奈川県生まれ。京都大学大学院卒業後、朝日新聞社に入社。東京社会部、南三陸駐在、アフリカ特派員などを経て、現在は福島総局員。2015年、『五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後』(集英社)で第13回開高健ノンフィクション賞を受賞。著書に『水が消えた大河で─JR東日本・信濃川大量不正取水事件』(現代書館)、『南三陸日記』(朝日新聞出版)など。



   【日本のPKO問題】
■南スーダンPKO日報問題
陸上自衛隊は2012年1月から17年5月まで、復興支援で南スーダンPKOに施設部隊を派遣。日報の開示請求にたいし、「廃棄した」として不開示にしていたが、のちに陸自での保管が報じられ、7月、当時の稲田朋美防衛相が引責辞任した。

■イラクPKO日報問題
陸上自衛隊は2004年1月から06年9月まで、イラクの復興支援で延べ約5600人を派遣。「ない」とされていた日報が存在していたことを、18年4月に認めた。