2018年 7月 17日 (火)

加藤千洋の「天安門クロニクル」(1)
忘れられぬ日付(下)現代に続くパンドラの箱

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   1989年6月3日の夜、中国・北京の天安門広場周辺で起きた学生と人民解放軍の衝突を、朝日新聞社の「AERA」編集部の記者として取材していた。

   広場にいた編集局の記者とカメラマンと離れ、単独行動をとっていた私は、多くの負傷者が病院に運ばれたと聞き、もしや同僚も撃たれたのではないか、と不安になり、主な病院に外国人負傷者はいないかと確認電話を入れた。

  • 1989年5月16日の中ソ首脳会談の当日、改革派ゴルバチョフにアピールしようと多くの学生が広場に結集した(加藤千洋氏撮影)
    1989年5月16日の中ソ首脳会談の当日、改革派ゴルバチョフにアピールしようと多くの学生が広場に結集した(加藤千洋氏撮影)
  • インフレ、汚職反対など天安門前に集まった学生の訴えに共感する市民が食料、水などを差し入れた(1989年5月、加藤千洋氏撮影)
    インフレ、汚職反対など天安門前に集まった学生の訴えに共感する市民が食料、水などを差し入れた(1989年5月、加藤千洋氏撮影)

公式発表の犠牲者は319人

   

   恐怖の一夜が明けて二人は生還した。後で話を聞くと、広場に残った学生らは撤退か徹底抗戦かで意見が分かれた。だが午前4時40分ごろ、長安街から広場を南下してきた兵士と戦車、そして人民大会堂から飛び出してきた兵士たちに二方面から迫られ、最後の最後で撤退。広場での流血は「断定はできないが、基本的には無かったのではないか」と証言した。

   当局発表では、犠牲者の数は学生・市民側、戒厳部隊側の双方で319人とされる。学生・市民側の死者が圧倒的に多く、多くは市西部と東部、南部の3方向から進撃してきた戒厳軍の発砲で被弾し、軍車両に轢(ひ)き殺されたりした人々だ。一方、部隊側犠牲者には、怒った民衆にリンチされ、横断歩道橋から遺体をつるされるという残酷なケースもあった。

   「犠牲者も数はもっと多いはずだ」という疑問は30年近くたっても消えない。ただ限られた時間と空間で300余の人命が失われたという事態は、現代世界では稀なできごとであろう。

   天安門事件については「学生の運動はなぜ発生したのか」「なぜ運動は長引き、市民まで巻き込んだのか」「政治、経済的な背景は何か」「武力行使は避けられなかったのか」等々、すでに国外で多数の書物や映像記録が発表されている。当事者の回想記やインタビューも少なくない。重要な当事者である中国共産党トップの『趙紫陽極秘回想録』(2010年、光文社)や、趙の解任や武力鎮圧などの重要な決定を主導した鄧小平ら長老指導者たちの内部会議での発言記録だという『天安門文書』(2001年、文藝春秋)、そして矢吹晋編訳『チャイナ・クライシス重要文献・全3巻』、同編著『天安門事件の真相・上下』(1989年と1990年、いずれも蒼蒼社)など資料性の高い本も公刊されている。

   また、「上」冒頭で紹介したルポライター、安田峰俊さんの新著『八九六四』(2018年5月18日、角川書店)も、運動の学生リーダーや参加者ら多数にインタビューし、運動の意味や事件への思いを改めて問い直している。

「忘れてはいけない事件」

   それに屋上屋を重ねることを承知で、いま一度私も天安門事件について書き留めてみたいと思った理由はいくつかある。

   まずは当時の週刊誌報道では事態を十分に伝えきれなかった、という悔いがあること。いま一度、事件をふり返り、いまの中国(習近平政権)に「何を問いかけているか」も考えたかった。当時とは段違いの経済繁栄を謳歌する中国社会には、多分、「いまさら何を」という人もいれば、「忘れまい」「忘れさせない」とこだわり続ける人もいるだろう。私も、過去の出来事ではあるが現在とは無関係ではない、「忘れてはいけない事件」と思うのだ。

   この春、憲法改正で国家主席の座に終身留まれる長期政権体制を構えた習近平に対し、海外では「皇帝復活か」の声が上がり、国内でも「歴史の歯車を逆行させる暴挙」との声もあると聞く。反腐敗闘争で政敵を倒し、言論・報道統制を強めて批判を封じ込める。だが経済発展に伴って政治の近代化、自由の気風を求める民衆の声は社会で徐々に強まりつつあるのではないか。30年前にも盛んに叫ばれた「政治の民主化を」「自由な言論、報道活動を」「独裁反対」といった声を、いつまで「パンドラの箱」に詰め込んでいられるだろうか。

   大学を退職するにあたって記者時代の取材ノートやメモ、日記帳などを整理した。ほこりをかぶっていた段ボール箱から89年5月と6月の資料も出て来た。ただし取材ノートとメモ帳、日記帳の文字は、いまでは自分でも判読が難しい代物だが、こうした取材記録に基づき、薄れた記憶を呼び起こし、可能な限り「私的」に、1ヵ月半続いた民主化運動の経過、その大団円としての天安門事件を再考してみたい。現代中国における未曾有の政治事件、大衆運動を解説するのが主目的ではない。あくまで書き留めたいのは「私の経験」だということをお断りしておく。(次回は「ついに戒厳軍が動いた」上)

加藤千洋さん

加藤千洋(かとう・ちひろ)
1947(昭和22)年東京生まれ。平安女学院大学客員教授。東京外国語大学卒。1972年朝日新聞社に入社。社会部、AERA編集部記者、論説委員、外報部長などを経て編集委員。この間、北京、バンコク、ワシントンなどに駐在。一連の中国報道で1999年度ボーン上田記念国際記者賞を受賞。2004年4月から4年半、「報道ステーション」(テレビ朝日系)初代コメンテーターを担当。2010年4月から、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。2018年4月から現職。
主な著訳書に『北京&東京 報道をコラムで』(朝日新聞社)、『胡同の記憶 北京夢華録』(岩波現代文庫)、『鄧小平 政治的伝記』(岩波現代文庫)など。
日中文化交流協会常任委員、日本ペンクラブ会員、日本記者クラブ会員。

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