2018年 7月 20日 (金)

加藤千洋の「天安門クロニクル」(2)
ついに戒厳軍が動いた(上)運命の6月3日午後9時

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   天安門事件の前後、すなわち1989年6月3日から4日にかけての行動を振り返っておきたい。

   最初に正直に言っておけねばならないのは、事件直前の情勢判断は残念ながら大変に甘かったということだ。

  • 夕立が度々襲った初夏の天安門広場。太陽が出ると学生たちは湿った布団を干した(1989年5月、加藤千洋氏撮影)
    夕立が度々襲った初夏の天安門広場。太陽が出ると学生たちは湿った布団を干した(1989年5月、加藤千洋氏撮影)
  • 天安門広場の中央民族学院テントの横幕。漢字とウイグル文字で「維族(ウイグル族)大学生ハンスト」とある (1989年5月、加藤千洋氏撮影)
    天安門広場の中央民族学院テントの横幕。漢字とウイグル文字で「維族(ウイグル族)大学生ハンスト」とある (1989年5月、加藤千洋氏撮影)

50日間続いた民主化要求

   後に『天安門文書』などで明らかにされた鄧小平を中心とした党長老たちの動き、李鵬首相、姚依林副首相ら戒厳令発動で積極的に動いた保守派指導者たちの動静については断片的な情報しか握っていなかった。学生たちの希望的観測だったのか、「李鵬首相の立場が微妙になった」との情報が一時北京を駆け巡ったが、ある政府系シンクタンクの友人が「とんでもない。李鵬派の勝利ですよ」とささやいてくれたおかげで、この点は見通しを修正できた。

   市民を巻き込む空前の規模となった民主要求運動は、6月3日で50日間持続していた。主舞台となった天安門広場にはテントが張られ、学生らは毛布やボロ布団にくるまって寝起きし、昼間は座り込みや絶食(ハンガーストライキ)、アジ演説等による抗議活動、時に街頭デモを繰り返すという形で共産党や政府に抗議をし、市民に支援を求めるアピールを繰り返した。

   広場には毎日2度、3度と足を運んだが、7週間余りで溜まった生活ゴミや市民が差し入れたスイカの皮などが腐敗臭を放ち、学生やボランティアが清掃作業で消毒剤などを散布したが、異臭が広場を包んでいた。

   北京は5月1日の労働節(メーデー)がすぎれば、季節は一気に夏だ。最高気温が30度前後になり、時に夕立も襲った。建国以来、大規模な政治行事の舞台となってきた天安門広場は、実は敷石をはがすと簡易トイレになる装置が何カ所かに隠されているのだが、私が見た限りでは未使用だった。学生たちは広場の東西2カ所の臨時トイレのほか、広場周辺の公衆トイレを使っていたのだろう。80,90年代の北京の一般住宅は基本的に「公厠」という共同トイレを使っていた。胡同(フートン)という横町に入ればレンガ造りの公厠があちこちにあった。

遅れてやってきた学生たち

   5月後半頃から、衛生条件が悪化した広場には「厭戦気分」も漂っているように感じた。運動を担った北京大学や北京師範大学、清華大学、中国政法大学、中国人民大学といった北京市内の主要大学の学生はキャンパスや自宅に戻り、広場に残っていたのは地方から「遅れてやってきた」学生が多かった。運動のリーダーたちの間でも意見対立が顕在化し、分裂状態になっていた。ピーク時は30万人ともいわれた広場の学生の数は明らかに減じていた。おそらく1万人を割り込んでいたのではないだろうか。

   こうした状況から、私の判断は「学生たちのエネルギーも尽きた。運動は自然消滅に向かうのではないか」「戒厳軍も圧力をかけるだけかけた。引き上げるという可能性もありそうだ」というものだった。生死を賭けた革命闘争を生き抜いた「革命元老」が、なお影響力を持つ共産党政権に対する認識の甘さがあった。結果から言うと、大甘の判断だった。

   ところで6月3日は土曜日だった。当時、私は日々の新聞づくりの中心となる朝日新聞社の編集局を離れ、前年創刊された『AERA』編集部に所属し、そこから北京取材に一人で特派されていた。『AERA』の創刊当時のキャッチコピーが「初のニュース週刊紙の誕生」だった。週刊「誌」でなく「紙」とあるのがミソだ。週刊誌ではあるが、新聞のように新鮮なニュースも精一杯載せますよ、というアピールだ。

   当時の『AERA』で最新ニュースを盛り込める白黒頁の最終締め切りは毎週土曜日の午前零時だった。ということは6月3日の深夜11時がデッドライン。日本と中国の時差が1時間あり、東京の午前零時が北京の午後11時だった。

   それは、私には最悪のタイミングであることを意味した。北京で事態が急展開を始めたのは、土曜日の3日午後11時前後。まさに最終締め切り時間である。 3日午後に早々と送稿した原稿は『AERA』6月13日号に掲載されている。それを見るたびに悔しさがこみあげてくる。

   掲載記事は1頁の地味な記事で、「混迷が深まる」というトーンでまとめられている。なんとか維持されてきた広場と周辺の秩序に緩みが見えること。政治情勢にも不透明感が漂い始めたこと。一方で戒厳軍がいよいよ出動するのではないかとの緊迫感も感じられる、といった焦点が定まらぬ記事となっている。それほど大きくない見出しが3本。

「鄧小平氏、健康不安説も」
「李鵬首相の立場なお微妙」

   3本目の文字サイズが小さい見出しだけ、トーンが異なる。

「天安門広場周辺ではついに発砲の事態」

   何ともちぐはぐな見出しになった経緯を説明しておかねばなるまい。

   戒厳部隊は学生たちが自主的に広場を放棄するまで圧力をかけるだけで、「戦略的忍耐」をするのではないか。こんな私の思い込みとは裏腹に、3日深夜、ついに郊外に駐屯していた戒厳軍は動き出した。『天安門文書』によれば、同日夕の緊急会議で「行動開始は午後9時、天安門広場到達は午前1時」という決定がなされていたのだ(同書370頁)      (次回「下」に続く) 

加藤千洋さん

加藤千洋(かとう・ちひろ)
1947(昭和22)年東京生まれ。平安女学院大学客員教授。東京外国語大学卒。1972年朝日新聞社に入社。社会部、AERA編集部記者、論説委員、外報部長などを経て編集委員。この間、北京、バンコク、ワシントンなどに駐在。一連の中国報道で1999年度ボーン上田記念国際記者賞を受賞。2004年4月から4年半、「報道ステーション」(テレビ朝日系)初代コメンテーターを担当。2010年4月から、同志社大学大学院グローバル・スタディーズ研究科教授。2018年4月から現職。
主な著訳書に『北京&東京 報道をコラムで』(朝日新聞社)、『胡同の記憶 北京夢華録』(岩波現代文庫)、『鄧小平 政治的伝記』(岩波現代文庫)など。
日中文化交流協会常任委員、日本ペンクラブ会員、日本記者クラブ会員。

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