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大槻義彦教授が振り返る「オカルトの平成史」 「最近は敵がいなくて寂しい」

   今を遡ること19年......2000年(平成12年)の元日、オカルト界に衝撃が走った。「ノストラダムスの大予言」が外れたからである。

   「ノストラダムスの大予言」とは、16世紀のフランス人であるミシェル・ド・ノートルダム(ラテン語名ミカエル・ノストラダムス)が著した予言書の中に、「1999年の7の月に人類が滅亡する」との予言があるとする言説。

   「恐怖の大王が空から降りてくる」「アンゴルモアの大王がよみがえる」などのセンセーショナルな言い回しで、人類に終末が訪れることを暗示しているとするその言説が、1999年(平成11年)の日本では大きな話題になっていたのだ。そんな平成11年、そして平成を騒がせた「オカルト」を振り返るべく、当時、テレビ番組でノストラダムス否定派として活躍していた早稲田大学名誉教授の大槻義彦さん(82)を訪ねた。

  • 早稲田大学名誉教授・大槻義彦さん
    早稲田大学名誉教授・大槻義彦さん
  • 早稲田大学名誉教授・大槻義彦さん
  • 著書「超能力・霊能力解明マニュアル」(1993年・筑摩書房)を手にする大槻さん

1999年大晦日、最後の「ノストラ特集」に生出演

   J-CASTニュース編集部記者が大槻さんにインタビューを行ったのは2018年12月のある日のこと。スーツ姿で現れた大槻さんは、1999年12月31日にテレビ朝日系で放送された年越し24時間放送の中の番組「ビートたけしの地獄の黙示録!! 20世紀超常現象に最後の審判 嵐の大ゲンカバトル」を、懐かしみつつこう振り返った。

「番組スタッフから『NHK紅白歌合戦の裏番組で最後のノストラダムス特集をやる』『夜通しで生放送する』と連絡がありました。私は予言肯定派の皆さんと一緒にTVタックルのスタジオから番組に出演していましたが、『予言が的中した証拠を観測する』との名目で国内の3か所から同時中継するという大掛かりな特番でした。そして、別番組の放送中に2000年がやってきて、午前2時頃に我々が出演する番組が再開したのですが......中継先では当然ながら何もなし。現地のリポーターからは『星が出ていません』『雪がちらついてきました』といった普通すぎる報告ばかり。大笑いでしたよ!」

   番組放送終了間際には、「2000年に地震などの災害が起きても、それは人類滅亡の予兆ではなく自然現象ですよ」とクギを刺してスタジオを後にしたという大槻さん。ノストラダムスの大予言にとどめを刺した年末年始となったわけだが、大槻さんといえば平成の初めからオカルティストとの戦いに明け暮れていたことも忘れてはならない。ノストラダムスの大予言についての話が一段落すると、大槻さんは1992年(平成4年)放送のオカルト番組について語り始めた。

ユリ・ゲラーの「時計破壊念力」を粉砕

   当時、早稲田大学の理工学部教授を務めていた大槻さんは、物理学の現役大学教授ということでたびたびオカルト検証番組への出演依頼があり、その都度出演に応じてきた。そんな大槻さんがテレビ局のスタッフに頼まれたのは、スプーン曲げで有名な超能力者であるユリ・ゲラー氏についての検証番組「水曜特バン!『驚異の超能力スペシャルIII』」(テレビ朝日系)への出演だった。

   番組でユリ・ゲラー氏が披露したのは、「生放送を通じて日本全国に念力を送り、視聴者宅にある時計を破壊する」という念力ショー。スタジオには約30人の電話オペレーターが待機し、視聴者から時計の不調を伝える電話を受け付けるという形で、ユリ・ゲラー氏の念力が届いたかどうかを確認するというものだった(※1)。

   番組が終わる頃には全国から約60件の「報告」が続々。その場でトリックの存在に気付きつつも情報不足で核心を突くことができなかった大槻教授だったが、当たりはついていたという。すぐに解明に着手し、その結果、確率論を駆使した見事な解説でユリ・ゲラー氏の超能力を粉砕し、世の中にその事実を公表したのだった。

「彼(ユリ・ゲラー氏)は『私の力は物理学の法則を超えている』と話していましたが、冗談じゃない。念力など送ろうが送るまいが時計は壊れます。問題は時計の数と故障率。スタジオ内では時計の故障率は分からなかったので言及は避けましたが、後日、大学の私の研究室の卒業生でシチズンに勤務している者に、『電池切れを含む時計の故障率を教えてくれ』と頼みました。すぐに返事が来て、『腕時計については3年以内の故障を、置き時計や掛け時計については9ヶ月以内の故障を想定している』というものでした。それで分かったんです」

「後日、番組の視聴率を聞いたところ、全国平均で約15%だったと。となると、日本の人口が約1億2000万人ですから、その15%は1800万人。視聴者1人の目の前に1個腕時計があったとして、その電池が寿命の3年を迎える確率は1000分の1(3年=約1000日なので)。つまり、1日のうち、視聴者が持っている時計のうち1万8000個が『何らかの原因で止まる』わけです。番組の放送時間は約3時間だったので、放送中に止まる時計はその8分の1......約2000個ですよ。『壊れた』という報告が来て当たり前なんですよ!(笑)」

   たくさんの視聴者を相手にして初めて成り立つトリックであることを発表したところ、その後、ユリ・ゲラー氏の来日の頻度は大幅に減ったと大槻教授は言う。

   ※1この時とは別に、ユリ・ゲラー氏は1974年来日時に、「木曜スペシャル 驚異の超能力!! 世紀の念力男ユリ・ゲラーが奇蹟を起こす!」(日本テレビ系)に出演し、「視聴者の目の前の時計を動かす」という念力ショーを披露している。

故・宜保愛子氏との死闘

   同じく、大槻教授に「滅ぼされた」といえば、「霊能力者」としてテレビにもたびたび出演した故・宜保愛子氏(2003年・平成15年没)だろう。ユリ・ゲラー氏についての話が終わると、大槻さんは前述の番組が放送された2年後の1994年(平成6年)に放送された「驚異の霊能力者 宜保愛子 徹底解明! 超能力か? 霊視パワーか?」(TBS系)について語り始めた。

「オーストラリアのアボリジニのご老人が絵のイメージのテレパシーを発し、6km離れた宜保さんがそれを霊視という形で『受信』して絵を描く、という実験を行いました。私は週刊誌から、『番組の録画を見てトリックを見破ってくれ』と依頼され、解明に乗り出しました。その実験とは、ご老人が以前自ら描いたという自作の絵(鳥を描いた絵)を自ら眺め、その念を送るという実験でしたが、結果、確かに宜保さんはその鳥の絵を描きました。しかし、これもトリックを見破ることが出来たんです」

「実は、そのご老人はアボリジニの民芸品のデザインを手掛けていて、念を送った際の『鳥の絵』というのは、そのご老人がデザインした絵だったんです。で、どれぐらい有名かというと、その絵をプリントした土産物が、オーストラリアの空港で販売されていたほど。現地の人の話を聞いてみると、そのご老人はその『鳥の絵』しか描かないとのことでした」

   大槻さんはその事実をのちに出演したテレビ番組で土産物を示しつつ出演し、「トリック」を暴露(この時、同じ番組には宜保氏は出演せず)。「これがインチキではないと言うのなら、対決するから出てこい」と、挑戦状をたたき付けた。その後、大槻さんはTBSの番組で宜保さんと対決することが決まったが、その際に「異変」があったという。

「番組収録の前日になって、TBSの番組スタッフから『宜保さんと連絡が取れなくなった』と電話がありました。加えて、6人いるマネージャーとも連絡が取れなくなったと。彼女たちは逃亡したんです。その後、宜保さんがテレビに出演する機会は大幅に減ったため、私がとどめを刺した形になったわけですが、宜保さんにとどめが刺さったのにはもう1つの要因がありました。オウム真理教が地下鉄サリン事件を起こしたからです」

地下鉄サリン事件発生がオカルト番組に大打撃を与えた

   オカルト番組全盛だった平成の始めだったが、その状況は1995年(平成7年)に発生した地下鉄サリン事件の発生で大きく変わったという。大槻さんはオカルトには3種類あると説明しつつ、地下鉄サリン事件がオカルト番組に与えた影響について語った。

「オカルトには、火の玉・UFOなどの『自然現象的オカルト』、超能力などの『人的オカルト』、心霊現象などの『霊的オカルト』の3種類があります。オウム事件は宗教による事件ということで心霊現象に近いため、当時のテレビ局には『心霊現象の特集がオウム事件を誘発した』との批判が多数寄せられました。実際、その通りだと思います。テレビ局側は相当反省したようで、これ以降、『霊的オカルト』についての番組は激減しました」

   ただ、大槻さんは宜保氏についてこうも語った。

「彼女はほかの霊能者と違って霊感商法らしきものは行っていませんでした。そこは、ほかの霊能者と大きく異なる点です」

   その後、その穴を埋めるかのようにノストラダムス特集が増殖。たくさんの特集が組まれるようになり、1999年をもってオカルトブームは一気に下火になった。

「『霊的オカルト』は私が宜保さんのトリックを暴露したのとオウム事件発生で壊滅。『人的オカルト』は私がユリ・ゲラー氏のトリックを暴露したので、こちらも壊滅。そして、『自然現象的オカルト』は私が実験開始から15年の歳月をかけて、大気中に火の玉を作ることが出来たので、やはり壊滅。これで、全てのジャンルのオカルトを一掃できたのです。最近は敵がいなくて寂しい限りです(笑)」

ネットのオカルトはテレビに還ってくるか

   オカルトにとって大きな転換点となった1995年、そして、最後の「ノストラ特集」が行われた1999年12月31日を最後にテレビからオカルト番組はめっきりと減った。

   その後も散発的にテレビでオカルト番組(※2)が放送されることはあるが、いま現在、オカルトの温床と言えるのはノストラダムス騒動の翌年である2000年に「IT革命」の呼び声とともに普及したインターネットであり、オカルトはその中で細々と生き残っているという状況だ。今後、このオカルトが再びテレビに浸み出してくることはあるのだろうか。大槻さんはこのように語った。

「たぶん、もうないでしょう。というのは、やはり、地下鉄サリン事件が大きい。あの事件を見ていた世代が、今やテレビ局のベテランスタッフをやっていますからね。それと、大学の理学部や工学部をはじめとする教育機関も、あの事件以降は通常の理科教育に加えて科学哲学も教えるようになりました。もちろん、私もそういう講座を担当しました。世の中全体でテレビからオカルトを排除する体制が整ったと思います」

   また、昨今ネット上では「フェイクニュース」が話題だが、大槻さんはオカルトこそフェイクニュースだと強調した。

「オカルトは最大のフェイクです。疑似科学、つまり『フェイク科学』です。『オカルト』という表記よりも意味を掴みやすいと思います。また、意味を掴みやすい方が警戒しやすいと思います」

   ※2大槻さんは2008年(平成20年)にJ-CASTニュース編集部のインタビューに答え、当時テレビへの出演機会を増やしていたスピリチュアリストの江原啓之氏を批判。その時の記事はこちら

大槻教授と「火の玉」と「プラズマ」

   インタビューが終盤に差し掛かると、大槻さんは自身と科学の関わりについて話し始めた。

「私が科学を志したきっかけ、それこそ、実は『火の玉』だったんです。私は小学生の時に火の玉を見ているんですが、私の出身地域である東北では『ヒカリモノ』と言うんですが、そのヒカリモノを見たことで、『将来、科学者になってこれを絶対に解明してやるぞ!』と心に決めたんです。ただ、実際に科学者になったとしても、すぐには火の玉の研究はできません。突飛なことを始めたと思われると、研究費を干されてしまいますからね。でも、国際的な放射線学会の日本代表理事などをやってある程度の地位を確立できたので、そういう頃合いを見計らって、1985年頃から火の玉の研究を始めました」

   当時は諸外国、中でもソ連では火の玉の研究が盛んで、真空中での火の玉作成はすでに成功していたが、大気中での火の玉の作成には誰一人として成功していなかった。大槻さんは、その大気中での火の玉の作成に挑んだのだ。

「初めのうちは試行錯誤の連続でしたが、それでも、最終的にはケージの中ではありますが、大気中で火の玉を作ることに成功しました。子供の頃の夢だった火の玉を、ついに解明できた瞬間でした。火の玉はプラズマだったんです!」

   子供の頃からの目標をついに達成した大槻さん。また、大学院生時代から放射線を専門に研究を進めてきたのは、『火の玉はプラズマではないか?』との疑問を学部生時代から抱いていたからということも明かしてくれた。

「本当に、いつの日か火の玉を解明してやろうと思っていました。そのために、プラズマの研究がやりやすい放射線を専門に選んだのです!」

   火の玉の研究とは、まさしく大槻先生が人生を賭けて挑んだ研究だったのだ。

宇宙の隅々が物理法則で照らし出されたかに思えたが...

   そして、いよいよ最終部分。インタビューの締めくくりに、大槻教授はこれからの物理学についての自らの考えを語ってくれた。

「2012年(平成24年)には質量の素である『ヒッグス粒子』が発見され、2016年(平成28年)には重力による空間の歪みが波状に伝わる『重力波』が観測されるなど、私が学生の頃に物理学が予言していた物理法則はほぼ見つかったのです。ところが、その一方で現在の最先端の物理学では、『これまでの物理学によって捕捉されていたのは、宇宙全体の約5%だった』『残りの約95%はダーク・マターやダーク・エネルギーであり、まったくもって未解明』という有り様です。ただ、そうであってもオカルトはその95%には含まれません。平成の次の世を担うこれからの若い人たちには、是非その95%を解明すべく物理学を学んでほしいと思っています」

(J-CASTニュース編集部 坂下朋永)