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「卒業したって私生きていけない」過去に苦悩も SKE48にささげた13年...須田亜香里が語った「卒業後の歩き方」

   SKE48の新曲「絶対インスピレーション」(2022年10月5日発売)は、卒業を控えた須田亜香里さん(30)が参加する最後の楽曲で、「Type-A」のCDには須田さんのソロ曲も収録された。タイトルは「私の歩き方」。

   須田さんによると、グループ活動で大切にしてきたのは「一歩一歩真摯にいろんなことに向き合いながら歩いていく」ことで、その生き方が歌詞に反映されている。ソロ曲を通じて卒業への思いや、卒業後の活動の意気込みを聞いた。一方で、表題曲のミュージックビデオ(MV)のテーマは「世代交代」。新センターの青海ひな乃さん(21)と、今後のグループのあり方についても語ってもらった。(全2回の後編。前編はこちらから)(聞き手・構成:J-CASTニュース編集部 工藤博司)

  • SKE48の青海ひな乃さん(左)と須田亜香里さん(右)。グループへの思いについて語ってもらった
    SKE48の青海ひな乃さん(左)と須田亜香里さん(右)。グループへの思いについて語ってもらった
  • SKE48の青海ひな乃さん(左)と須田亜香里さん(右)。グループへの思いについて語ってもらった

歌わずに踊った2017年の「感謝祭」コンサート

―― 今回発売されるCDの「Type-A」には、須田さんのソロ曲「私の歩き方」も収録されています。SKE48に入る前に習っていたクラシックバレエのスキルを生かして、コンテンポラリーダンスを取り入れたと聞いています。

須田: 自分の人生の全てを生かす内容にしたいと思っていました。ギターをやるか、何か好きなことやっていいよ、と言われたときに、ギターを演奏するか踊るかのどちらかだと思いました。SKE48の大人数の中で、根性、負けず嫌いみたいなやり方でずっとやってきましたが、その根本があるのはバレエのおかげなので、そういった部分を表現できたらと思いました。バレエを続けさせてくれた両親や、SKE48に入ってから私のことを見つけてくれたファンの方、全ての人に恩返しができる内容だと考えると、踊りだと思いましたし、自分のやりたいことでもあったので、曲に合わせてコンテンポラリーダンスを辻本知彦先生(編注:「パプリカ」などの振り付けで知られる)に振り付けしていただいて、踊りました。

―― コンテンポラリーダンスは、2017年の「選抜総選挙」の「ランクインコンサート」でも披露していました。須田さんは6位にランクインした年でした。

須田: この時は、「本当に好きなことをやっていい」と言われたので、思い出に残っている楽曲「恋を語る詩人になれなくて」を音源だけ流してもらって、歌わずに踊りました。「歌っているところを見たかった」というファンの方もいて、苦い思い出もありましたが、これが自分がやりたいことだと自分の中で分かっていましたし、ファンの皆さんへの恩返しだと胸を張って言えるので、(今回も)踊りました。

―― 今回は歌付きですね。

青海: じゃあ、ファンの人も安心だ。(笑)

―― タイトルの「私の歩き方」は、中日新聞で連載しているコラムのタイトル「てくてく歩いてく」と通底したものがありそうですね。

須田: そうですね。歌詞も、気持ちや情景に対して伝えたい相手が思い浮かぶ内容になっています。

一歩一歩真摯にいろんなことに向き合いながら歩いていく

須田亜香里さんのソロ曲「私の歩き方」MVから。クラシックバレエのスキルを生かして、コンテンポラリーダンスを取り入れた(SKE48 「絶対インスピレーション」 avex trax)
須田亜香里さんのソロ曲「私の歩き方」MVから。クラシックバレエのスキルを生かして、コンテンポラリーダンスを取り入れた(SKE48 「絶対インスピレーション」 avex trax)

―― 「私の歩き方で 真っ直ぐに道を行く そう誰とも比べない 自分らしいペースで」とか...。

須田: 一歩一歩真摯にいろんなことに向き合いながら歩いていく、というのは自分の中ですごく大事にしていたことでした。アイドルをやっていると、よく「爪跡を残しましたね、残してくださいね」といった言葉が飛び交いがちですが、歩くことにこだわってきた自分としては、自分の生き方をきちんと歌詞に反映してくれている秋元(康)先生すごいな、と思いました。
青海: 私は「青春よ Good-bye」の部分が染みますね。本当に青春をささげたじゃないですか、13年間も。
須田: しかも青春をちょっと延長してさ。(笑)
青海: 確かに!逆にすごく贅沢をしたのかな?
須田: そうだと思う。だって、ずっと青春してたの。普通、高校とかで青春終わるじゃない? 高校卒業くらいのタイミングでSKE48に入って18歳からやってたから、青春延長にも程があるぐらい。(笑) 家族はすごく心配してくれていましたが、いつまでもこんなに好きなことやらせてもらって、卒業曲までもらえて、私はすごく幸せだと思います。

―― 自分で卒業すると言わないかぎり、かなり青春は延長できそうですね。

須田: 1年前に卒業を迷っていることをグループのスタッフに話したときに、「しようかな、でもな、こういう理由で迷ってる」と言っていたら、「迷うんだったら誕生日までとりあえず考えてみれば?ソロライブその日にやろうよ」と言ってくれました。それでソロライブをやらせてもらいました。それぐらい考える猶予をくれたり、「悩むんだったらやってみれば」と言ってくれるスタッフに恵まれたということは、すごく私にとって良い出会いで、良いグループにいたと思います。

―― ソロライブは1回目が21年11月に東京・渋谷、2回目が22年5月に名古屋で行われました。渋谷のライブでは、卒業への葛藤を泣きながら話していました。一方で、名古屋のライブは渋谷と違っていて本当に楽しそうで、言ってみれば吹っ切れたように受け止めました。

須田: はい、もう決まっていたので...。その10日後が卒業発表だったんです。

「卒業したって私生きていけないよ」という感覚だった2年前

SKE48の須田亜香里さん。卒業への思いを語ってもらった
SKE48の須田亜香里さん。卒業への思いを語ってもらった

―― 早速ですが卒業後について聞かせてください。6月28日のイベントでは、「挑戦への3か条」の設問について「ギターの上達」「アクション」「花嫁修業」の3つを挙げていました。一方で、20年1月のインタビューでは、

「私は本当に『こうなりたい』という執着がなくて...、だから『こうなりたい』というよりは、やりたいことを一つずつやって生きていきたいので、辞めたらとりあえず休みを取って、バックパッカーしたいなー。芸能界で何かしたいことと言えば...、あっ、スキャンダルを起こしたい(笑)。私、本当に薄っぺらいんですよ」

と話していました。この頃は、まだ卒業への思いはモヤモヤした感じでしたか。

須田: 当時、ファンの方には「もしも私が卒業を決めることができた日は祝ってほしい」と伝えていたくらい人生に迷っていました。何していいかわからない、自分自身も自分の行き先がわからない、歩いていく道が不安で見つからない、という状態です。ずっとSKE48にいるわけにもいかないし、自分がSKE48以外の場所で生きていくという想像が全くついていなかったので、「それ以外の場所で生きていけるという決意ができたときは祝ってほしい」とファンの方に本気で話し始めた頃でした。まさに「卒業したって私生きていけないよ」という感覚で話していましたね。

―― 2年かけて、いわゆる「外仕事」(グループ外での仕事)も増えてきたし、だんだん卒業へのイメージが固まってきた、といったところですか。

須田: 「自信があるから辞める」という感覚ではなくて、アイドルの肩書きがなくなってしまって、仕事が減ったら嫌だな、ってずっと思っていたんですよ。ですが、今はアイドルという肩書きがなくなって仕事が減ったとしても「また頑張ればいいんじゃない?」、「それを悔しいと思うんだったら、頑張れる私でいられるんだったらいいのかな」って。「どんな自分や現状であっても、受け止めて努力ができるんだったらいいや」と思って、辞めてみようと思いました。生活の中でほとんどSKE48しかなくて、SKE48しか自分の軸にないので、その軸を取っ払う覚悟って、自分でもどうしていいか分からないのですが...。生活リズムや考え方も変わると思うし、だから怖いのですが、大事なものだからこそ手放す価値はあると思って決断しました。

ファンイベント開くために「これからも本を出せる人になりたい」

―― 卒業発表のあいさつでも、「まだ見ていない景色とか可能性を目の前に置いておいて、それを怖がっている自分は違う」と話していました。まさにそういうことですね。

須田: はい。人生で「やってみたかったな、あれも」と思って終わるよりも、「いろんなことやったな」と思って生きていきたいと思いました。そうであれば、やはりアイドルをやっていると挑戦できないこともあるし、恋愛とかも...。だから、人生のいろいろな部分を、自分自身の肌感覚で味わいたいと思いました。

―― アイドルですと、スケジュール面も大変ですよね。土日は握手会(の代替イベント「現地でトーク会」)などのイベントも入るし、特に須田さんは土曜の夜中にラジオ番組(MBSラジオ「オレたちゴチャ・まぜっ!?集まれヤンヤン?」)に出演するハードスケジュールです。

須田: トーク会やリリースイベントがあると、土日が繋がっちゃうんですよ。1人48時間テレビみたいになっちゃうんです。(卒業後は)自分の意思が通るようになるかもしれないですね。体調を見ながら仕事をできるようになるかもしれないです。

―― 卒業後もギターは続けたいとおっしゃっていました。他は、バラエティー番組や情報番組のコメンテーター、といったフィールドですか。

須田: 子どもの頃からテレビの「中の人」になるのが夢だったので、やはりテレビに出られる人でありたいな、というのはあります。ラジオも大好きなので、ラジオのお仕事も続けたいです。何よりファンの方と会う時間は好きです。最近(コラムを書籍化した)「てくてく歩いてく」を出版したときにも思いましたが、出版イベントの「お渡し会」でファンの方に会う口実ができるというのを知ってしまいました。(笑) これからも本を出せる人になりたいです。これまでに2冊出しましたが、それでも本を書くのは不安だし、自信がありませんでした。ですが、今回は文章を書くことが楽しみなことに変わりました。だから、そうですね...。ギターとかでファンの方と会える人でありたいです。あと、お芝居の勉強もしたいです。

つらかったことも含めて、全部「やってて良かった」

須田亜香里さんのソロ曲「私の歩き方」MVから。須田さんは「一歩一歩真摯にいろんなことに向き合いながら歩いていく」ことを大事にしてきたという(SKE48 「絶対インスピレーション」 avex trax)
須田亜香里さんのソロ曲「私の歩き方」MVから。須田さんは「一歩一歩真摯にいろんなことに向き合いながら歩いていく」ことを大事にしてきたという(SKE48 「絶対インスピレーション」 avex trax)

―― お芝居に出たいと、なるほど...。

須田: でも「お芝居をしたいんです!」というわけでもないんです。今までアイドルという職業があったから、その立ち位置から派生していきなり主演をさせてもらったり、ミュージカルに出たり、女優さん1本でやっている人とは違う不思議なルートで主演をやってきた自分にすごく負い目を感じているので、今からでも足りない部分を学びたい、という感覚です。

―― オーディションは受けてみたいですか。

須田: 受けてみたいなと思います。レッスン受けたりオーディションを受けてみたりしてみたいです。

―― またひとつ可能性が広がりますよね。この13年間のアイドル生活で。「やってて良かった!」とか「これはつらかった」といったことはありますか。

須田: つらかったことも含めて、全部「やってて良かった」ですね。無駄なことは一つもなかったな。失敗はありますよね。でも、何でもやってみたことが良かったと思います。メンバーがたくさんいる分、「自分がこれを断ったら他の子にこの仕事行っちゃうんだ」って思ったら、居ても立ってもいられなくて何でもやった、というのが自分なのですが、「何でも拒まずにやってみる」タイプになったからこそ、バラエティーでも何でもやっちゃう人になったし、文章を書くお仕事も苦手分野だったけど、断ることが自分の中で選択肢になくて「やろう」と思えました。アイドルになったからこそ、何でもやってみるようになりました。失敗しても見てくれる人もいるし、それを見て何か感じてくれる人がいたらそれでいいと思います。

―― 選抜総選挙はつらかったですか。

須田: いや、うーん、私は選挙で命を繋いできてもらった人間で、選挙がなかったらとっくにアイドルを辞めていたので、私は総選挙があってよかったと思っている人間です。

自分たちの努力に誇りを持っている人たちであってほしい

―― 改めてになりますが、卒業までに後輩に何を伝えていきたいですか。「こういうグループであってほしい、あり続けてほしい」といった思いがあればお聞かせください。

須田: 自分たちの努力に誇りを持っている人たちであってほしいと思いますね。結構「つらいことを避けて通ってもいいよ」という時代にはなりましたが、自分が見せたいもののためには妥協しない子たちであってほしいと思います。ファンの方に届けたいものがあるから頑張ってるんだよね、という努力の時間を、ファンの方のために楽しめるプロとして楽しめる人たちであってほしい。あとは、自分のことを好きでいてほしいです。それと、パフォーマンス面や、ファンの方に対してのあり方かな。いつもファンの方の方向を向いて「こういうことをしたら嬉しいかな」とか、「こういう私達であったら、きっとみんな元気になってくれるかな」とか、その目線を忘れずに持てる。それをレッスン場でも、レコーディングの時でも、いろんなときにファンの方のことを思ってステージに立てる人であってほしいです。

―― 先ほどの選抜落ちからの経緯をうかがっていると、青海さんは大丈夫そうですね。

青海: 安心してください。
須田: 本当にひな乃はいいやつなんです。

―― 新公演の囲み取材の時に体調を崩して、一時退出する場面がありました。それほど、力尽きるぐらいに全力でパフォーマンスをしていたと受け止めました。

青海: 過呼吸になっちゃったんです。それこそファンの皆さんにいいものを見せたかったからこそ、追い詰めて追い詰めてやったけど、怒られて。(笑)
須田: 心配になるぐらい、見せたいものに対して努力する子なので...。もうちょっとセーブして、っていつも言ってましたけど、してくれないから。(ペース)配分するのも仕事だから。(笑)
青海: そうなんですよね、私は本当に頭からずっとマックスで行っちゃうんです。

―― マラソンみたいなものですからね。

青海: そこもプロの仕事なので、亜香里さんに学ばなきゃ、と思っています。
須田: 誰がセンターになっても楽しいSKE48になると思うし、未来は明るかったと思いますが、中でも、ひな乃がなったのが私は個人的に嬉しいです。最も「後輩感」のない、何か頼れる後輩。「何年も一緒にやってきたんじゃないかな?先輩だっけ?」というぐらい、私の面倒を見てくれることもあります。逆に、すごくお馬鹿でほっとけないところもあるし、そういう愛おしさと頼もしさが全て詰まっている子なので、きっとメンバーみんなも、ひな乃がセンターで安心もしていると思うし、一緒にいいSKE48をまたみんなで作っていってくれると思います。

須田亜香里さん プロフィール
すだ・あかり 1991年生まれ、愛知県出身。2009年にSKE48に3期生として加入。チームEのメンバーで同チームのリーダーを務める。4枚目のシングル「1!2!3!4! ヨロシク!」(10年)以降の全シングル表題曲に参加。AKB48のシングル表題曲にも通算18作品参加した。18年の「AKB48 53rdシングル 世界選抜総選挙」では2位にランクイン。21年11月と22年5月にソロライブを開催。22年9月に卒業コンサートを開き、22年11月に卒業予定。

青海ひな乃さん プロフィール
あおうみ・ひなの 2000年生まれ、愛知県出身。18年に9期生としてSKE48に加入。チームS所属。前々作「あの頃の君を見つけた」(21年)で初めて選抜メンバーに選ばれ、今作で初めてセンターポジションに抜てきされた。派生ユニット「カミングフレーバー」のメンバーとしても活動している。