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認知症の父を見送るまでの10年

長いお別れ

 書店で平積みになっている。帯に「認知症/お別れまで十年の日々」とある。認知症はいまや誰もが身近に感じるテーマではないだろうか。本書『長いお別れ』(文春文庫)は認知症患者と家族の姿を描いた、心温まる8編の短編連作集である。

 単行本は2015年5月に発行され、同年の中央公論文芸賞、そして翌16年の日本医療小説大賞(日本医学会主催)をそれぞれ受賞した。元中学校長だった父と長年連れ添った母の二人暮らし。父が認知症を患う。それぞれの道を歩んで別居中の娘3人、その孫たちも登場する。認知症が進行する父は、都心で迷子になり、入れ歯を何回も紛失、さらに言葉にも乱れが現れるなど不測の事態を次々に引き起こす。それに右往左往する家族。父の発症から他界までの十年の物語。排泄の世話など介護の厳しい現実が生々しく描かれるが、同時に、ユーモアに満ちた、ほのぼのとしたやりとりが交わされていく。重い現実を扱いながら、暗くならない。

 著者の中島京子さんは、2010年に「小さいおうち」で直木賞を受賞。その後、認知症の父を介護した実体験をもとに、本書を書いたという。執筆中に父は亡くなった。「私にとって特別な小説」と中島さんは語る。

 「長いお別れ」では、認知症の父と家族の細かなやりとり――どうやってトイレに行ってもらうか、どうやってご飯をたべさせるか-がベースとなっている。日常のささいな出来事の積み重ねなのだが、読み進んでいくうちに、「いま」という時代を感じてしまう。

 直木賞を受賞した「小さなおうち」は戦前の中流家庭を描いた作品だった。真珠湾攻撃の成功に日本中が沸き立っていた時代。その空気に包まれた家族の物語だった。戦前という大きな枠組みを示しつつ、人々の暮らしという「小状況」を描くことで、時代が生き生きと浮かび上がっていた。

 「長いお別れ」でも同じ読後感を持った。認知症の父に向き合う3人の娘は、長女が夫の勤務で米国暮らし、次女の夫は首都圏勤務の中堅サラリーマン、そして3女が独身のフードコーディネーター。それぞれの立場から世相がにじみ出る。

 父の症状が進み、母一人だけでは、面倒が見切れなくなるとき、入院、施設、ケアマネジャー、医師の対応がていねいに描かれるが、それは、いまの介護社会の大枠の解説になっている。

小さな幸せを書き込む

 いまひとつ、この小説が興味深いのは日本医療小説大賞を受賞していることだ。選評には「キュアではなくケアの側面から描いた最先端の医療小説」とあった。認知症は研究が進み、さまざまな薬品も開発されている。しかし、キュア(治療)の面ではまだ限界があるだけに、キュアとともに、いかに介護するかというケアの分野も重要である。その点に「長いお別れ」は焦点をあてている、というのだ。

 確かに、短編に登場するさまざまな認知症の症状――家族の名前を忘れる、どこにいるか忘れる・・・などに向き合うのはつらい。しかし、中島さんは、その症状がもたらす、「クスッ」と笑える「小さな幸せ」を大切に書き込んでいるのだ。「医療小説大賞」受賞は、医療関係者をはじめ患者にたずさわる人たちに、その「小さな幸せ」に気づいてほしい、というメッセージだろう。最近、本欄で紹介した『できることを取り戻す魔法の介護』(にやりほっと探検隊著、ポプラ社)でも、介護における「にやり」「にこり」の効能が書かれていた。

 短編はいずれも予想外に展開する。遊園地での子供たちとの出会い、お葬式の席でのちんぷんかんぷんな会話、なぜか漢字は得意など。なかでも、驚くべきなのは入れ歯のお話である。詳しくは書かないが、この部分はまるで恋愛サスペンス小説のようだ。入れ歯と恋愛サスペンス、その組み合わせに感じ入っていただきたい。

 ちなみに、「長いお別れ」は認知症を英語で「ロンググッドバイ」というところからきている。長女の息子で米国住まいの孫が、自分の先生に祖父は十年前に発症したと報告すると、先生は言った。「十年か長いね」「(認知症は英語で)長いお別れ(ロンググッドバイ)と呼ぶんだ。少しずつ記憶を失くして、ゆっくりゆっくり遠ざかって行くから」。映画化が決まったという。楽しみである。

  • 書名 長いお別れ
  • 監修・編集・著者名中島京子 著
  • 出版社名文藝春秋
  • 出版年月日2018年3月10日
  • 定価本体660円+税
  • 判型・ページ数文庫判・286ページ
  • ISBN9784167910297
 

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