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榎本武揚はなぜ「二君」に仕えることができたのか

  • 書名 榎本武揚と明治維新
  • サブタイトル旧幕臣の描いた近代化
  • 監修・編集・著者名黒瀧 秀久 著
  • 出版社名岩波書店
  • 出版年月日2017年12月21日
  • 定価定価820円+税
  • 判型・ページ数新書・208ページ
  • ISBN9784005008643
BOOKウォッチ編集部コメント

 幕末から明治を彩った英傑や群像の中で、あまり人気がないのが榎本武揚(1836~1908)だ。戊辰戦争の最終局面、箱館・五稜郭の戦いでは幕府側の頭目だったのに、いつのまにか明治政府の重臣として大出世した。幕府と新政府の「二君に仕えた」要領のいい男というイメージが流布されている。本当のところはどうだったのか。

 本書『榎本武揚と明治維新』(岩波ジュニア新書)はそうした「定説」を真っ向から否定し、真実の榎本像について力説したものである。著者は東京農業大学教授、黒瀧秀久さん。歴史通なら先刻ご存知のことが多いのかもしれないが、素人にとっては、目からウロコの話が満載だ。

「二生」を生きる

 榎本の不幸は、「敗者の美学」にのっとっていないところにある。幕末維新の群雄は悲劇の主人公が多い。坂本龍馬は暗殺、近藤勇は処刑、西郷隆盛は自刃、土方歳三は五稜郭で戦死した。それにくらべると、榎本は五稜郭で降伏して投獄されたが、2年ほどで赦され、明治8年(1875)には駐露特命全権公使として樺太千島交換条約を締結。外務大輔、海軍卿、駐清特命全権公使を務めた。さらに内閣制度発足後は逓信大臣、文部大臣、外務大臣、農商務大臣などを歴任、子爵にまでなった。死屍累々の幕臣の中では、異例の出世ぶりだ。

 仮に榎本が、機を見るにきわめて敏な人物だったとしても、当時の情勢の中で、これほどの見事な転身が可能だっただろうか。新政府を牛耳るのは、「血の海」をかき分けてのし上がってきた強者、曲者だらけ。一種の革命政権だ。にもかかわらずなぜ、かつての宿敵・榎本はもう一つの人生、すなわち「二生」を生きることができたのだろうか。

 本書を読んでの感想を一言で言うなら、榎本が天才、超人的な能力の持ち主だったということに尽きる。これほどの才を持つ人物を抹殺するのはもったいない、新生日本のために生かして十二分に使おう。そう考える人が新政府の側にいて、彼を登用した。その結果、榎本に次なるステージが用意され、そこで彼は期待に応えた。というか、自分が本来やりたかったことをやった。

科学技術全般の最新知識を持つ

 幕末、江戸幕府は「開国」に向けて徐々に舵を切っていた。榎本は旗本の次男として、江戸の下町で生まれる。父親は伊能忠敬の弟子として測量に従事し、幕府の「天文方」も務めた。今でいえば、国立天文台や国土地理院の仕事をしていたような人だ。つまり理系のインテリ。榎本はそうした父の影響で幼いころから科学的関心が高く、地球儀も知っていた。

 昌平坂学問所ではオランダ語のほか、ジョン万次郎から英語を学んでいる。さらに幕府が海軍増強のために作った長崎海軍伝習所を経て1862年から67年までオランダに留学している。この間に彼は英語やオランダ語、ドイツ語、ロシア語など多数の言語に習熟、造船、蒸気機関学、砲術、機械工学、冶金、鉱物学、化学、理学、情報通信など明治の殖産興業の基盤となる科学技術全般の最新知識をものにした。当時の留学生の中でも傑出した能力を身に着け、帰国後は幕府の軍艦頭になった。

 しかし、大政奉還、明治維新。榎本は職を失った多数の幕臣を救済するため、彼らの手による北海道開拓を考え、北を目指す。オランダで酪農を目の当たりにしており、同じような気候の北海道ではそれが可能だという見通しもあった。しかし、官軍は、榎本らを賊軍と見なして軍事的追及の手を緩まない。結果は御存じのとおり。多勢に無勢で降伏を余儀なくされる。

「榎本は生かして使え」

 戦闘で敗れた榎本は自刃しなかった、情けない、生き恥を晒した、という説がある。著者は違うという。榎本は自刃を図ったが、腹に突き刺そうとした短刀を、「ここで死ぬべきではない」と部下がつかみ制止、自決できなかったというのだ。

 さらにもう一つのエピソードがある。敗れた榎本は極刑を覚悟し、新政府軍の大将、黒田清隆に「私が死んだら新政府に外交の樹立と国境の画定など法律知識を持ち合わせる人間がいないだろう。だからこの本を使えばいい」と、一冊の書物を贈った。フランスの国際法学者オルトマンの『万国海律全書』だ。これは印刷本ではなく、留学中に榎本がオランダ語の教官からもらった手稿本だ。全2冊で770ページもある。榎本による多数の書き込みもある。

 これを見た黒田は驚いた。「日本にこれほど国際法に詳しい人物はいない」と西郷隆盛に手紙を書く。自分の髪を剃り、「私の坊主頭に免じてくれ」と榎本の助命に奔走した。手紙を見た西郷は、「榎本は生かして使え」。のちに黒田は福沢諭吉にこの本の翻訳を頼んだが、専門用語が多いことから、榎本以外にはできないと断られた、という。

 こうして榎本は2年余りの獄中生活を経て、新政府でも活躍の場が用意される。国際法はもちろん理系、とりわけ工学系全般に最新知識を持っていた当時の「ハイテク万能人」。西欧の産業革命の成果を日本に導入するにあたり、その知識が遺憾なく発揮されることになる。

明治をつくったのは新政府側の人だけではない

 著者は強調する。明治の近代化は「薩長土肥」の力で成し遂げられたとされるが、それを支えたのは旧幕府系を含むテクノクラートであり、その頂点を担ったのが榎本だと。榎本は「二君にまみえた」のではなく、日本の近代化に科学技術者の視点から寄与するということを生涯追究したのだと。

 本欄でも以前に『ある明治人の記録――会津人柴五郎の遺書』を紹介したが、そこでは明治をつくったのは新政府側の人だけではないということが縷々述べられていた。「賊軍」として否定され、排除された中からも、陸軍大将にまで上り詰め、国際的に活躍した人物がいたと。

 榎本武揚のことを著者の黒瀧秀久さんが調べるようになったのは出身大学、東京農業大学の前身を榎本が創設したことが大きい。著者は学究の道に進み、その後、同大のオホーツクキャンパスに赴任して、北海道での榎本の事績に触れる機会が増え、榎本への関心を深めたという。

 したがって本書は、創設者である歴史上の偉人について卒業生の後輩学者が記す形になっている。しかも「俗説」を一蹴しようとする。「ジュニア新書」ではあるが、単なる「偉人伝」にとどまってはいない。上記のような理由で、著者には相当の力が入っており、むしろ岩波新書本体の方が、座りが良かったかもしれない。

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