読むべき本、見逃していない?

「ディストピア」時代を超えて現れる未来の小説は

  • 書名 日本の同時代小説
  • 監修・編集・著者名斎藤美奈子 著
  • 出版社名岩波書店
  • 出版年月日2018年11月20日
  • 定価本体880円+税
  • 判型・ページ数新書判・288ページ
  • ISBN9784004317463

 現代文学の描く景色がいつからか霞んで見える世代にとって、本書『日本の同時代小説』(岩波新書)は格好の虫眼鏡であり、鳥瞰図ではないか。純文学だけでなく、エンタメ、ノンフィクションも俎上に乗せてこの半世紀をたどる本書には、驚異的な数の作家が登場する。巻末一覧によれば、坪内逍遥から若杉冽まで実に約350人。その作品を時代背景とともに読み解く文芸評論家の著者・斎藤美奈子氏の評は、簡潔で小気味いい。

 例えば、『太陽の季節』(石原慎太郎)は「小生意気な遊び人の高校生を描いた不良小説」、『世界の中心で、愛をさけぶ』(片山恭一)は「純愛と難病が好きなケータイ小説の高級バージョン」、『火花』(又吉直樹)は「往年の私小説に近い自虐的なタワケ自慢と貧乏自慢」という按配だ。

 著者は自分の生きている時代の性格を知りたいという思いに従い、年代別に作品を紹介していく。以下、大ざっぱな時代区分で見ていくと、まず1960年代は、安保闘争と全共闘の学園闘争が敗北し、高度経済成長が進んで「政治」から「経済」に季節が移るとともに、近代文学が大きく揺らいだ時代だった、とする。では、近代文学とは何だったのか。

「主人公は(中略)みんな内面に屈折を抱えた『へタレな知識人』『ヤワなインテリ』たちでした。外形的にいうと『いつまでグズグズ悩んでんのよ』とドつきたくなるような性向を彼らはもっていた」

 著者によれば、「私小説」と「プロレタリア文学」を2本柱とする近代文学は、知識人はいかに生きるべきかがテーマだった。しかし、60年代に政治離れが進み、大学進学率が上昇して知識人の権威が失われていく中、近代文学の命脈も尽きていく。この時代に書かれた柴田翔の『されど われらが日々----』、庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』に共通するのは、「知識人の特権と使命が失効した時代に知識人いかに生くべきか」を探った小説だったという。

 そして、「ポストプロレタリア文学」として山口瞳、五木寛之らが描いた会社員を主人公とする小説が注目され、「ポスト私小説」として『どくとるマンボウ航海記』(北杜夫)や『何でも見てやろう』(小田実)などの旅行記が登場する。小説から私生活を切り離し、エッセイとして独立させたことの意義を著者は評価する。その後の年代解説の一部を紹介すると----。

 1970年代。オイルショックや公害問題、ベトナム戦争の泥沼化に直面し、資本主義のほころびが見えた時代だった。公害を告発した『苦海浄土----わが水俣病』(石牟礼道子)のほか、小説のようなスタイルで書いた『敗れざる者たち』(沢木耕太郎)、労働者を描く『自動車絶望工場』(鎌田慧)など、ノンフィクションが興隆した。さらに司馬遼太郎、吉村昭らの歴史小説と、大岡昇平、林京子らの戦争を描いた小説も相次ぎ、近代と戦争の検証が進む。

 1980年代。「小さな政府」を目指す新自由主義経済路線に転換し、バブル経済に浮かれ、文化が爛熟した時代だった。事実を重んじるノンフィクションの時代から、事実を蹴飛ばす超フィクションの時代へと舵を切り、『なんとなく、クリスタル』(田中康夫)のような脱近代の精神を体現したポストモダン文学が生まれた。また、「幻想派」の村上春樹、「破壊派」の村上龍が独自の作風を築き、少女小説が多く生まれるなど、「反リアリズム小説」が席巻した。

 1990年代。東西冷戦が終わり、バブル経済が崩壊して本当の「近代以後」が始まった時代だった。女性作家の台頭が際立ち、マグロと結婚する話を書いた「妄想炸裂系」の笙野頼子、主婦の犯罪を描いた「現実直視系」の桐野夏生、正常と異常の間を描いた「日常の裂け目系」の小川洋子らが活躍。一方で、阪神大震災などで「大量の死」に直面した人々は、『失楽園』(渡辺淳一)などの「美しい死」に癒しを求め、「涙と感動」が隠れたキーワードになった。

 そして迎える2000年代以降の文学状況が、大変なことになっているのに驚かされる。

 米国の同時多発テロ「9.11」で世界は一変し、戦火が広がる中、国内では「聖域なき構造改革」が進み、頑張っても報われないほど経済格差が広がって非正規雇用層が増大する。この時代の小説のトレンドは「殺人とテロと戦争」だ。

 著者は、地域社会の息苦しさが迫る重松清の『疾走』、若者の絶望的な逃避行を描く吉田修一の『悪人』、ネット時代の危うさを背景にした平野啓一郎の『決壊』が、この時代を代表するリアリズム系の殺人小説とし、『となり町戦争』(三崎亜記)や『虐殺器官』(伊藤計劃)など戦争を扱う作品を次々に紹介する。こうした作品が増えた背景について、「『テロとの戦い』というロジックは、いつどこが戦場になってもおかしくないことを意味します。20世紀には、それはなかった感覚でした」と指摘する。

 一方、女たちが戦う相手は経済的な困難だった。路上生活に踏み切る女性を描く萱野葵の『ダンボールハウスガール』などの作品を列記し、「00年代の小説で目立つのは『戦って敗れた女たち』『戦いに疲れた女たち』が、それでも前を向いて生きようとする姿です」という。

 原発の安全神話を砕いた「3.11」が発生し、戦後民主主義のルールを崩そうとする第2次安倍政権が誕生した2010年代は、「ディストピア小説の時代」。ディストピアはユートピアの反対語で、絶望に支配された時代という意味だ。小説に登場するのも、過労死やパワハラ、ブラック企業、非正規雇用の過酷な労働環境、さらには老人介護、無数の震災死、放射能汚染、全体主義国家と、現実の厳しさにしっかりと呼応していることが示され、肌寒くなる。

 では、今後の日本文学に未来はあるのか。著者はこの自問に対し、『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎)のヒットに触れたうえで、こう締めくくっている。

「絶望をばらまくだけでは何も変わらない。せめて『一矢報いる姿勢』だけでも見せてほしい。読者が求めているのは、そういうことではないでしょうか」「冒険を恐れるな。次代の文学史はそこからはじまる」

 本書で数々の小説を読んだ気になり、絶望の底で出口の見えない物語が積み重なっていく状況を痛感した後では、深く同感するしかない。

 J-CASTでは、『村上春樹を読みつくす』(講談社)、『カズオ・イシグロ読本』(宝島社)、『ザ・ディスプレイスト――難民作家18人の自分と家族の物語』(ポプラ社)、『日本語が"母国語"ではないベストセラー作家の"系譜"』なども紹介している。

                          

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