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日本語はもういらない!? 「子供の教育第一言語」は英語にすべきか

   筆者が訪れたフィリピンのセブ島で感じたことなどをまとめた「英語」連載の3回目。今回も、英語学校のサウスピークで行った、留学中の約20人のかたとの議論などを踏まえてお伝えします。

   今回のお題は、「日本人なのに、日本語を捨てる?」です。

「子供の英語教育のためシンガポール移住」の例も

子供たちから聞こえてくるのは、英語ばかりに?
子供たちから聞こえてくるのは、英語ばかりに?

   最近、英語が出来るようになるために、子供をインターナショナルスクールに通わせる親もでてきました。

   なかには、子供を、英語を第一言語にして育てるという方針の親もいて、シンガポールやマレーシアなどに引っ越したりしています。

   こうした動きについてどう思うかを聞きました。挙手をしてもらいましたが、びっくりしました。6割くらいのひとが、子供を英語を優先で育ててもいいと言っていたのです。語学学校でのインタビューということを差し引いても、とても興味深い話でした。

   まずは、日本語教育を徹底させるという派は、

「発育過程で言語が中途半端になると高度な思考ができなくなるリスクがあると聞いている。まずは日本語で思考ができるようにして、小学校からでも英語は大丈夫」
「日本はダメになるといってもまだまだ大丈夫だと思っている。日本語というハードルの高い言語に守られているというのは有利なこと。日本人や日本の市場とつながっておくことが大事」
「英語は大事だけども、それなりの会話と読み書きが出来る程度でよい」

   以前は、海外に住むというのは、あくまで一時的なもので、駐在がおわれば日本に戻るといったことが前提でした。日本の教育で、日本の良い大学を目指すという教育方針は揺るがなかったと思います。

「現地にすべて日本語学校があるわけではない」

   しかし、こうした考え方を取らないひとも出始めています。

   国内にいながら子供をインターナショナルスクールに通わせ英語で教育を受けさせたり。マレーシアなどに母子だけが留学して教育させたりということが、一部で始まっています。

   子供の言葉を、英語を第一言語にしてもいいのでは?という派はどうしてそのようなことを考えているのでしょうか?

「いまはトップレベルの学校や教育は英語で行われている。英語で教育を受けさせたほうが、将来の選択肢が広まるのではないか?」
「今後、世界のいろいろなところで働こうと思っているが、現地にすべて日本語学校があるわけではない。子供は英語で教育を受けるということになるかもしれない」
「インターネットで無料で手に入る教育コンテンツが今後充実してくると思うけれども、それは英語で提供されている。大学の無料コンテンツも英語だ」
「子供には、将来どこでも働けるようになってほしい、語学でハンデキャップをもってほしくない」

   親と子供の母国語が違う状態で育てる。メリットがある反面、デメリットもありそうです。このような教育は大丈夫なのでしょうか。

   最後に、サウスピーク塾長の柴田氏に、英語を第一言語で育てるということについて、意見をききました。

「私はニューヨーク市に留学中に香港系アメリカ人と交流が有りました。彼は家庭では父母の言葉である広東語を話し、英語で教育を受けて、そして英語を使って生きていました。移民2世の彼は問題なく2つの言語を使いこなしていました。
   ニューヨーク市は移民が多い街であったため、2つの言語を当たり前のように使いこなす彼のような移民2世達が多くいました。そして彼のような移民2世達との交流を通じて、こういう生き方も有りなんだということを知りました」

子供が日本語をしゃべらない環境の日本人パパも

   日本しか知らない人達も一度こういう移民2世達の生き方を知れば、日本語に固執せずに物事を考えることが出来るようになるのではないでしょうか。

   移民までいかなくても、似たような事例を聞いたことがあります。中国でビジネスをしている吉本さん(仮名)の話です。彼は上海で中国の女性と結婚して、子供ができました。子供は、中国語をメインにして、英語も学んでおり、日本語は喋らないそうです。父親とは、英語でコミュニケーションをします。

「私は日本に戻ることがあるかもしれないが、子供は中国圏で育つだろう。子供が日本語を喋らないというのは、さみしいことではある。微妙なこころのニュアンスとかは伝えられないといったことがあるが、いまは割り切っている」

というようなニュアンスのことを言っていました。

   もちろん、ほとんどの人にとっては日本語で子供を育てるというのは当たり前のことで、別の育て方をできるひとはごく一部かもしれませんが、そういう考えについては、いろいろ意見を戦わせても、面白いと思っています。(大石哲之)