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人質事件「自己責任論」と生活保護バッシングの共通点

   シリアでの日本人人質事件を受けて、日本国内では自己責任論が盛り上がりを見せている。筆者はその是非を問う気はないけれども、ちょっとした違和感もおぼえている。というのも、そもそも日本人って、そんな自主独立の気風に満ちた国民性でしたっけ?

 

   フロンティアをゼロから開拓して建国されたアメリカならいざ知らず、どちらかというと長いものには巻かれるのが日本人の国民性のはず。イラク人質事件の際もそうだったが、なぜ日本人はこうした危機に際しての自己責任論が大好きなのだろうか?

日本人の多くはいまも村人である

 

   結論から言えば、日本人の多くが21世紀の今でも「村人」だから、というのが筆者の意見だ。たとえば、ここに江戸時代の農村からタイムマシンで一人の農民を連れてきたとしよう。彼は今回の人質事件に際して、きっとこういうだろう。

「畑仕事もせずに危ないところをほっつき歩いて山賊に捕まった奴が悪い」

   彼にとって、共同体である村への奉仕をせず保護だけ求めるのは悪だからだ。現代日本も彼とそっくり同じことを言う人間であふれかえっている。

 

   こういう日本人の気質は、社会のいろいろな場面でひょっこり顔を出す。たとえば日本は「自力で生活できない人を政府が助けてあげる必要はない」と考える人が38%と、世界でもっとも多く存在する国だ(第2位はアメリカで28%。「What the World Thinks in 2007」)。生活保護バッシングもそうだが、村の仕事をしない、出来ない人間に対して、村人は容赦ないのだ。

 

   人事制度でも、終身雇用色の強い企業ほど、社風は自己責任論が強いように思う。筆者が昨年お会いしたある経営者は、かねてから「終身雇用、年功序列こそ日本型経営の宝」が持論だったが、よくよく話を聞くと、妊娠したり病気で有給を使い切ったりした従業員には退職勧奨するというゴリゴリのスパルタ人事であり、労組も事実上黙認していると聞いて驚いた記憶がある。共同体のメンバーとして認められるのは、共同体にとって有益な人間のみというわけだ。

「オラは一銭も出したくねえ」という点で本質的には同じ

 

   ついでに言うと、わが国の財政危機の根っこにも同じ構図がある。村人は、自分が主権者であり、自分が国から受けるサービスのコストは自らが負担せねばならないというロジックがなかなか理解できない。その結果が1000兆円にも上る借金というわけだ。今でもたまに「増税は財務省の陰謀だ」と言っている痛い人を見かけるが、明治初期に血税一揆(※注1)をおこした農民とおつむの程度は一緒だろう。

 

   余談だが、筆者は日本の右派=村に忠実な村人、左派=村に反抗的な村人だと思っていて、本質的にはどちらも同じような村人に過ぎないとみている。今回のような事件のたびに右は自己責任だと言い、左は官邸前に繰り出して政府批判に躍起になる。弱者に対して、右はやはり自己責任論を前面に出す一方、左も「大企業の内部留保を使え、増税断固反対!」とわけのわからないロジックを振り回し、結果的に小さな政府を志向する。「誰かなんとかしてやれ」という声が小さいか大きいかという違いはあれど、両者とも「オラは一銭も出したくねえ」という点で本質的には同じである。

 

   最後に筆者自身のスタンスを述べておくと、筆者は他人の不幸に便乗して政府や企業の批判をするしか能のない連中が大嫌いであるが、社会の真ん中に「日本国民はかくかくしかじかであるべし」みたいな模範像があって、そこから一歩でも外れたら自己責任として叩かれるような社会も御免こうむりたいと考えている。(城繁幸)

 

【注1】血税一揆::明治6年(1873年)に布告された徴兵令の文中にあった「血税」という字を読み、農民が血をとられると勘違いしたことが一因とされる暴動。