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【IEEIだより】福島レポート 復興のカタチ 日々を暮らし続ける「力」のスゴさ(越智小枝)

   大阪の地震に続く西日本の豪雨災害。猛暑に台風の襲来が加わり、今もまだ二次災害の増加が予測されています。そんななか、私は空調の効いたオフィスで雑務に追われている自分に強い罪悪感を覚えます。

   「今、あんなに困っている人がいるのに、自分はこんなに安穏と暮らしていていいのだろうか」--と。

  • 淡々と日々の生活を続ける「力」が被災地を支えることにつながる
    淡々と日々の生活を続ける「力」が被災地を支えることにつながる
  • 淡々と日々の生活を続ける「力」が被災地を支えることにつながる

「被災地に貢献していない」のは恥ずかしいこと?

   災害時、そういう焦燥感にかられつつ、歯噛みする思いでニュースを見ているのは、おそらく私だけではないでしょう。東日本大震災後にもそのような「罪の意識」を打ち明ける方が大勢いらっしゃいました。

「私は被災地に何も貢献できていないので、何かを語る資格もない」
「子育てに忙しくてニュースもろくに見られなかったので、恥ずかしい」

   東京で幼稚園生の親御さん方にお話しをした際、そう言われたこともあります。

   災害の後、すべての人が支援に行けるわけはありません。むしろ災害のすぐ後に被災地に関われる人のほうが圧倒的に少ないでしょう。では被災地にも行けず、ただ日常生活を送るしかない私たちは、被災地に貢献していないのでしょうか――。

   それは違う、と私は思います。今の浜通りの復興を見て強く感じることは、どんな有事にも日常を暮らし続ける力こそが被災地を支えている、ということでした。

   それが「日常力」です。

   相馬が津波被害に遭った直後のことです。津波により電気が失われ、凍えた人々が高台に避難するなか、かろうじて津波から逃れた、ある宿の女将さんは、

「冷凍庫が停電したから中身が傷んじゃうのよ」

と、冷凍庫の中身を避難された方にふるまった、と言います。自衛隊が乾パンを持って到着したときには避難者がカニ鍋をつついていた、という笑い話のような逸話ですが、災害時にこんな風に暖かい食事をつくれる人の存在は、想像以上に大きなものです。

ノー・モア・ヒーロー

   また、浜通りで開業されるある医師は、原発事故の直後、「まず診療所で宴会を開いた」と笑います。相馬市では500名近くが津波災害で亡くなっています。命を失った知り合いを悼みつつ、昼間は避難所の救護にも回るなか、本来は騒ぐような気分ではなかったと思います。

   しかし、町じゅうが放射能の不安に駆られている時に、とにかく明かりが点いていること、普通に暮らしていることが一番大切だと感じた、とのことでした。

   災害とは、いうなれば皆に降りかかる大きな暴力です。その暴力に屈することなく普通の暮らしに戻ろうとする力。そのような力を持つ人々が存在する社会こそが「災害に強い社会」と言えるのではないでしょうか。

   そう考えれば、有事に特別な活動を行うことだけが支援や復興ではない、ということが見えてきます。崩れなかった道路、倒れなかった建物、営業を続けた店やサービス...... 有事に日常を続けたすべてのものが、被災地を、被災者を今も救っています。

   震災の後、ハーバード・ビジネス・レビュー※で紹介されたのも、福島第一原発ではなくメルトダウンを「起こさなかった」第二原発でした。

   その著者の一人、カスト氏は、

「ノー・モア・ヒーロー(英雄はいらない)」

と言っています。

   災害時には、身を挺して人々を救った人々のような、ヒーロー(ヒロイン)がよく報道されます。しかし、災害発生時に、このような際立った個人がいなくても通常の機能を保てるような地域社会をつくることこそが、本来の私たちの役割なのではないでしょうか。

※参考文献:ランジェイ・ガラディ、チャールズ・カスト、シャーロット・クロンティリス.不測の事態で発揮されたセンスメーキング:そのとき、福島第二原発で何があったか(Harvard Business Review, July-August 2014)

30年後を見据えて、今、「毎日のご飯をつくる」

   同じことが災害急性期だけではなく、復興においても言えると思います。

   ある復興イベントで

「30年後の福島を見据えて、今やれることは何か」

について、皆で話し合っていた時のことです。政策が、イベントが、教育が...... 参加者がさまざまな長期的展望が打ち立てられるなか、ひと言、

「毎日ご飯をつくること」

と答えた方がいました。

   帰還困難区域であった小高にいち早く帰還され、駅前に花を植え続けていた、宿の女将さんです。私はこの言葉に、災害における本当の戦略を見た気がしました。

「百戦百勝は、善の善なる者にあらざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり」

という言葉があります。

   戦を略すことこそが戦略である、その基本に立ち返れば、戦場とならない被災地をつくることこそが復興戦略です。

「もし明日災害が起きても、自分はこの日常を守る」

   そう思いながら、未災地で毎日を生きること。それは、将来起こりえる特殊な日にもご飯をつくり、子どもを育て、あるいは作物を育てる力へとつながります。私たちは災害時に一番必要なこの「日常力」をつい見落としがちなのかもしれません。

防災を底辺で支えるのはマニュアルやシステムではない

   そして、もう一つ大切なことは、災害は「緊急事態」ではありますが、「すぐに終わる事態」ではない、ということです。今、被災地といえば西日本が思い浮かびます。しかし、この10年以内の大災害をみると、北九州豪雨、大分・熊本地震、鬼怒川の氾濫、岩手の台風10号、東日本大震災etc....... これらの被災地には、今でも復興の努力を続ける方々がいます。

   今の大阪に行けない。だから、他の被災地である大分や岩手に行ってみよう。それもまた災害支援の一つであり、また、将来の災害のために学ぶ、重要な防災活動であると私は思います。

   日本はほぼ全国に災害リスクがある、災害大国であり、同時に世界有数の防災大国でもあります。その日本の防災を底辺で支えるのは、マニュアルやシステムではありません。過去の災害に学び、毎日を丁寧に暮らした人々の歴史の積み重ねが今の「減災」に繋がっています。

   被災地に日常を暮らす人がいる。常にそれを忘れないことが、将来英雄を必要としない災害現場をつくるのだと私は思っています。

   被災地に行けないという理由だけで災害にかかわることを諦めず、今、目に見える支援をできないもどかしさを、日常力に転化していくことが大切なのかもしれません。

(越智小枝)

越智 小枝(おち・さえ)
1999年、東京医科歯科大学医学部卒。東京医科歯科大学膠原病・リウマチ内科。東京都立墨東病院での臨床経験を通じて公衆衛生に興味を持ち、2011年10月よりインペリアルカレッジ・ロンドン公衆衛生大学院に進学。留学決定直後に東京で東日本大震災を経験したことで災害公衆衛生に興味を持ち、相馬市の仮設健診などの活動を手伝いつつ世界保健機関(WHO)や英国のPublic Health Englandで研修を積んだ。2013年11月より相馬中央病院勤務。2017年4月より相馬中央病院非常勤医を勤めつつ東京慈恵会医科大学に勤務。
国際環境経済研究所(IEEI)http://ieei.or.jp/
2011年設立。人類共通の課題である環境と経済の両立に同じ思いを持つ幅広い分野の人たちが集まり、インターネットやイベント、地域での学校教育活動などを通じて情報を発信することや、国内外の政策などへの意見集約や提言を行うほか、自治体への協力、ひいては途上国など海外への技術移転などにも寄与する。
地球温暖化対策への羅針盤となり、人と自然の調和が取れた環境社会づくりに貢献することを目指す。理事長は、小谷勝彦氏。