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【IEEIだより】福島・双葉町レポート(その1)土地を売れない人々(越智小枝)

   先日、福島県双葉町を1日かけて見学させていただく機会がありました。ご存知の方も多いと思いますが、双葉町は福島第一原子力発電所が立地する面積51平方キロメートルほどの町であり、未だにほぼ全域が帰還困難区域に指定されています。

   この区域を含めた帰還困難区域に対し、2017年5月に「改正・福島復興再生特別措置法」が施行されました。この法律により、自治体は帰還困難区域の中に5年以内に避難指示を解除して人が住むことを目指す「特定復興再生拠点区域」を設定できます。その区域では避難指示解除に先行して、集中的に除染やインフラ整備が行われるのです。今、双葉町の中でも、双葉駅周辺がこの「特定復興再生拠点区域」に指定され、家屋の解体・建築が急速に進んでいます。

   しかしそれは一方で、帰還困難区域の現状が知られないまま失われることも意味するものです。

  • 復興への道のりは……
    復興への道のりは……
  • 復興への道のりは……

風化の進む帰還困難区域

「双葉町の現状を、五感すべてを使って感じてほしいです」

   案内をしてくださった双葉町役場の職員、Hさんから最初に言われたことです。

「ストーリーありきで入られる方も多いです。『荒廃した街並みが見たい』『復興の現場が見たい』『原発のひどさを伝える写真が撮りたい』などのリクエストをもらえばそういう場所にお連れします。でもなるべくなら先入観なく感じたままを伝えてほしい」

   他の土地では「被災者に配慮してなるべく写真は撮らないでください」と言われることも多かったのですが、Hさんはむしろ個人情報に配慮することは必要だが、そのうえで知ってほしい、伝えてほしい、と言います。

   その気持ちが少しだけわかったのは、東京に帰った後のことでした。見学の翌日友人に

「昨日帰還困難区域を案内してもらったんだ」

   と話したところ、

「福島ってまだ人が入れない場所があるの?」

   と驚かれました。

   じつは都内の官僚やマスコミの方でも、そういう方は少なくないそうです。

   私自身、周りには福島や電力・エネルギーに関係する人が多かったため、つい双葉・大熊のことは皆が知っている、と思ってしまいがちです。しかし、専門がまったく違う多くの方にとって、福島の現状はその程度の認識なのかもしれません。

   この「双葉町レポート」は、たった1日の見学をまとめたものです。また、感情的ではないまでも、主観的なレポートでもあります。そうすることで、福島のことをまったく知らない方も、事実としてすでに知っている方も、自分事という角度で改めて原発事故後の暮らしを考えるきっかけになれば、と思っています。

中間貯蔵施設の建設予定区域を見下ろす

   最初に案内されたのは町役場。立派な4階建ての建物は、外から見ても窓ガラス一つ割れずに残っており、7年半も放置されてきたようにはとても見えません。駐車場に放置されたすべてのクルマのタイヤの空気がすっかり抜けていることだけが、長い時間の流れを物語っていました。

   建物の中に入ると、カビと埃のにおいの混じった空気が鼻をつきます。それは予想していたような腐臭とか獣臭さではなく、むしろ生き物の気配のない、乾いて澱んだ匂い、という印象でした。

   ガラス窓には、

「福島第一原発10キロメートル以内区域のため室内待機となります。外出しないでください。」

   という貼り紙。避難指示がでるまでの3月11日から12日の朝までに貼られたものと推定されます。

建設中の減容施設(写真提供:越智小枝氏)
建設中の減容施設(写真提供:越智小枝氏)

   建物の屋上まで階段で上がり、新鮮な空気にホッとしたのも束の間、正面に広がった景色は、赤い土肌と、巨大な工事現場。これが中間貯蔵施設建設予定区域でした。この地域は、現在は減容のための施設が建設中ですが、保管場所にはすでにパイロット(試験的)輸送として、大量のフレコンバッグが搬入されていました。仮置き場から搬入されたバッグはまず「保管場」に貯められ、この中身を減容して運び入れるのが「中間貯蔵施設」になります。窪地を利用した場所には「土壌貯蔵施設」というものも建設中でした。

「あっちのほうに私の家があります。新築だったんですよ」

   とHさんが指さしたのは、その中間貯蔵施設の建設予定区域の中でした。

「知り合いに『お前のところは(中間貯蔵施設の区域に入って)お金もらえるからラッキーだったな』って言われることもあります。でも、家族と住んでいた自分の家ってそういうものではないでしょう」

   とはいうものの、中間貯蔵施設の外では土地を買ってもらえず、また避難指示が解除されれば税金も課されるはず。そこには歴然とした格差があります。

「解体現場は撮らないでください」

   被災地の残酷な一面として、金銭が人の心を分断してしまう、という点があります。たとえば中間貯蔵施設の建設予定区域の外でも、家屋を解体するのは無料で行えます。

   ただし、それは家屋が「半壊以上」と認定された時のみです。2014年から、この半壊の判定は、原発事故の避難で長期間放置してきたことによる雨漏りやカビ、動物被害なども考慮して判断することが認められましたが、それでもこまめに手入れをした方ほど半壊と認定される可能性は低くなります。また津波の被害で家屋が全壊した場合の補償金とも金額が異なってきます。

   さらに、土地を公共施設の予定地として売るかどうかによっても得られる金額は変わってきます。

   クルマが中間貯蔵施設建設予定区域内を通る際、Hさんに注意されたのは、

「家屋の解体現場は、SNSに上げないでください」。

   ということでした。

「田んぼと家の一部を見ただけで、見る人が見れば『ああ、××さんは土地を売ったんだな』ということがわかります。その写真を他の人が見ることで『裏切った』などと言われることもあるんです。......工事現場に以前は『環境省』と書かれた看板もあったのですが、今はほとんど立っていないのも、『この土地が国に買い取られた』ということをなるべくわからないようにするためです」

   そういうHさんの話に、何ともやるせない気持ちになりました。同じ町で賠償金や補償金が違ってくる。さらに同じ補償金をもらえる人の中でも判断の違いで立場が違ってくる。行政が何かを判断して、一人ひとりが苦渋の選択をするたびに、町と心が分断されていくかのようです。

「土地を売ろうとして、『なんでこんなに安いんだ!』と怒り出す人もいます。東京電力の賠償は固定資産税の評価額が基準になりました。固定資産税の評価額が高ければ、その分、固定資産税も多くかかるんですよね。賠償金がこんな安いなんて、という気持ちの反面、土地を売らない人は高い固定資産税は払いたくない。その結果、賠償金をもらう人ともらわない人との間に心の壁ができます。他の町でも同じだと思いますが、ここにはそんな格差がたくさんあるんです」

   (注意:中間貯蔵施設の建設予定地内の補償の場合には、不動産鑑定評価を踏まえての補償になるので、東京電力の賠償とは仕組みが若干異なります)

「売らない」という選択

   現在双葉町の5平方キロメートル、大熊町の11平方キロメートルの区域が中間貯蔵施設建設予定区域に指定されています。双葉町だけで東京ディズニーランド10個分になります。

   今のところ、この中間貯蔵施設の中身は30年後にはすべて福島県外に出す、と決められています。そのため、区域内の神社仏閣は基本的に残されるそうです。

   この区域に自宅が含まれた場合の対応には、3通りしかありません。

「売る」
「貸す」
「売らない・貸さない」

   10年以上定住したことのない私は、30年間も住めない土地なのだから売ってしまうのが普通なのでは、と安易に考えてしまいました。しかし実際には土地を売らない方も多いとのことです。それはどういう方なのでしょうか。

   一つには、国や東京電力に対する抗議行動として土地を売らない、という人がいます。しかしHさんに話をうかがったところ、ことはそれほど単純な問題ではないようです。

「この町は1000年以上の歴史があります。旧い家では、数百年先祖代々が守ってきた土地を手放すわけにはいかない、という方も多いんですよ。特に本家の長男などは、土地を手放せば分家や親族の方々からの非難も避けられません」

   縄文時代からの人の営みが続いてきたこの町には、神社仏閣以上に長い歴史を持つ家が残っています。その土地の持ち主からすれば、30年などという「短期間」住めない、というだけで土地を手放すわけにはいかないのでしょう。外から来た人にはこの事情をなかなかわかってもらえない、とHさんは苦笑します。

「首都圏の方からは、『どうせ住めないんだから早く売ればいいのに』『お前らが復興を邪魔している』なんてプレッシャーをかけられることもあります。土地を売ったらご先祖様に申し訳が立たない、という気持ちは理解してもらえないこともありますよ」

   そして土地を手放した方もまた、決してお金目的ではなく「自分たちが犠牲にならなければ町や福島県などの復興が進まない」という苦渋の決断をしていることも知ってほしい。それがHさんの願いです。

地域再建にかかわる人が肝に銘じなければならないこと

   町役場のすぐ前から見下ろせることでもわかるように、中間貯蔵施設は人々が帰還を目指す「特定復興再生拠点区域」と接した地域にあります。これは一見奇妙なことです。51平方キロメートルという広さの町なかで5平方キロメートルの中間貯蔵施設をつくるのに、なぜ山のほうではなく住宅の多い町なかに建てなくてはいけないのでしょうか。

「山はここより線量が高いので、建設作業もできない。だから町の中間貯蔵施設も海側の地域につくらなくてはいけないとの説明を受けたことがあります」

   もちろん山に建てるという選択肢がまったくなかったわけではないだろう、とHさんは推察します。しかし、山の持ち主から土地を買うこともまた容易ではないでしょう。さらに、その場合には木も伐り倒さなくてはいけません。

   以前、田村市で林業を営む方にうかがった話ですが、山の木のサイクルは早くても20~30年。お山を手入れする人々は、そのタイムスパンで生きています。私のお会いした方も、

「20年後に人はいなくても、200年後にはまた住んでいるかもしれない」

   と、言いながら林業を続けていました。そんな時の流れと共に暮らす方に、30年だけ山を使いたいから木を切らせてくれ、と説明して納得してもらえるでしょうか。

   歴史のある町に住む人々にとって、土地は単なる財産や物理的なスペースではなく、歴史であり、人が暮らす匂いの染みついている生きた空間です。たとえ原発事故でもその歴史をなかったことにすることはできません。

   そう考えれば、「土地を売る」という判断一つにも、歴史の数と同じだけの思いとこだわりがあるのでしょう。そして、それは「他の地域の復興が遅れるかもしれない」という理由だけで、ないがしろにしてはいけない領域だと思います。

   もちろん、東京都内でマンション暮らしをしている私自身、その感覚を本当に理解はできていませんし、安易に理解できたかのようなそぶりをすることすら許されないと思います。ただ、土地を大切にする人々の気持ちを、単なる感傷や政治的判断の「障害物」として聞き流してはいけない。Hさんのお話を聞いて、強く感じました。

   よそ者の私は、今、地肌の見えているこの工事現場に歴史を見ることはできません。それでも「帰還困難区域」と呼ばれる場所に歴史があったこと、これからも歴史があり続けることは、その地域の再建にかかわる人すべてが肝に銘じなくてはいけないと思います。(越智小枝)

越智 小枝(おち・さえ)
1999年、東京医科歯科大学医学部卒。東京医科歯科大学膠原病・リウマチ内科。東京都立墨東病院での臨床経験を通じて公衆衛生に興味を持ち、2011年10月よりインペリアルカレッジ・ロンドン公衆衛生大学院に進学。留学決定直後に東京で東日本大震災を経験したことで災害公衆衛生に興味を持ち、相馬市の仮設健診などの活動を手伝いつつ世界保健機関(WHO)や英国のPublic Health Englandで研修を積んだ。2013年11月より相馬中央病院勤務。2017年4月より相馬中央病院非常勤医を勤めつつ東京慈恵会医科大学に勤務。
国際環境経済研究所(IEEI)http://ieei.or.jp/
2011年設立。人類共通の課題である環境と経済の両立に同じ思いを持つ幅広い分野の人たちが集まり、インターネットやイベント、地域での学校教育活動などを通じて情報を発信することや、国内外の政策などへの意見集約や提言を行うほか、自治体への協力、ひいては途上国など海外への技術移転などにも寄与する。
地球温暖化対策への羅針盤となり、人と自然の調和が取れた環境社会づくりに貢献することを目指す。理事長は、小谷勝彦氏。